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魔導省魔導災害局  作者: すもも


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14 魔導災害

魔導災害局のフロアは、朝の雑音で満ちていた。

端末の起動音、紙の擦れる音、短い挨拶。


「おはよう、アストリッド」


どこからともなく声が飛ぶ。

アストリッドは反射で笑みを作り、答えた。


「おはようございます」


その日の午前も、いつも通りだった。

淡々と業務をこなしていくうちに、気持ちの輪郭が薄れていく。

気持ちを奥底に仕舞い、取り繕うのは昔から得意だった。


そう思った矢先、局内の警報が短く鳴った。

局長席の端末に通知が飛び込み、次長席が立つ。

局長が即座に判断を下す。


「出動準備。規模が大きい。工学と薬理は全員、他は半数、出動だ」


空気が一段引き締まった。

全員が訓練通りに動き出す。


アストリッドも立ち上がる。

仕事に切り替わる瞬間、余計な感情は置いていける。

そう判断して、装備の確認へ意識を切り替えた。



大規模な魔導充填施設で魔導回路が安定せず、施設内の操作系統があちこちで不具合を起こしていた。

電気系統はまだ一部残っているが、完全に制御が落ちる前に手動で操作する必要がある。


現地の職員はアルカリ性槽の停止と排出を、魔導薬理課は酸性槽の停止と排出を行うことになった。


到着して建物に入ると、空気が刺すように湿っていた。

酸と金属と、焦げの匂いが混ざっている。


アストリッドはアッシュと組み、酸性槽のある区画へ向かった。

扉を開けると塩酸ガスが多く発生している。


「先輩、ここ……」


アッシュが眉を寄せる。

アストリッドは短く頷き、手動の供給バルブへ向かった。


制御が不安定なとき、電動の動作を信用しない。

手で止め、目で確認する。


「供給、停止」


一つずつ確かめながら、酸性槽への供給を遮断する。

次は排出だ。

塩酸が満たされた槽を、安全排出ラインへ落とし切らなければならない。


「アッシュ、排出」

「はい!」


アッシュは手動の排出バルブを回す。

手順通りに操作を始めた。

全て開くと配電盤を確認する。

まだ制御は落ちていなかった。


アストリッドは槽の排出を目視していた。

流量、圧、排出の進み、途中で詰まれば危険が跳ね上がる。


排出が進み残留が減っていく。

安全に落ちきるまで、あと少し。


排気ファンの音が停止した。

照明が一瞬揺らいで消え、機械音が途切れる。

制御が、こちらでも落ちた。


手動のはずの排出が止まった。


同時に、背後で扉が滑る音がした。


スッ――


振り返ったときには、既に扉が閉じていた。

一瞬のことだった。

警告音も、予告もない。


「……!」

「先輩!」


アッシュが扉へ駆け寄り、拳で叩く。


「先輩!なんで――」


横に引いても、びくともしない。

そもそも手動の取っ手がない。

内側から開ける前提の構造ではない。


「落ち着いて、アッシュ」


声は自分でも驚くほど平らだった。

アッシュは息を荒げたまま端末を操作し、制御室へ繋ぐ。


「ロイさん!タクトさん!扉が閉まりました! 先輩が中に――!」


すぐに制御室にいたロイとタクトが駆けつけた。

タクトが扉の継ぎ目を確認し、ロイがロック機構の位置を探る。

三人で押す。叩く。揺らす。けれど扉は沈黙したままだ。


「ロイ、配電盤を探せ」


タクトが短く言い、ロイが視線を走らせる。


自動扉の配電盤。

この区画のどこかにあるはずだが、扉の近くにも壁面にも見当たらない。


「この部屋じゃないのか……」


ロイが舌打ちを堪え、扉の向こうへ声を張った。


「アストリッド!聞こえるか!」


扉越しに、わずかな反響が返る。


「はい」


アストリッドの声は届いた。

それだけで場の空気が少しだけ動く。


「ゆっくり息をしろ!状況を言え!」

「排出、換気が停止。槽内は……まだ残っています。照明も落ちて非常灯のみです」


言いながら、胸の奥が静かに重くなる。

排出が止まり、換気も止まったまま閉じ込められた。

最悪の組み合わせだ。


防毒マスクは使用を始めてから、もう一時間以上になる。

塩酸ガスの濃度が増せばマスクの性能が先に尽きる。


アストリッドはその事実を、頭の端に置いた。

数値として置く。恐怖として置かない。


恐怖にすると呼吸が乱れる。

呼吸が乱れると体力が削れる。

体力が削れれば判断が鈍る。


「工学だ!アッシュ、ユリウスを呼べ!」


タクトが即座に指示を飛ばす。


「了解!」


足音が遠ざかる。

ロイは再び扉の前に戻り、低く言った。


「アストリッド、時間を稼げ!できることをやれ!」


時間を稼ぐ。

できること。


「……分かりました」


返事はした。

けれど胸の奥は静かに冷えていた。

昨夜、廊下で冷えたのと同じ温度。

自分は、こういうふうに終わらせるのが得意だ。

終わらせてしまえば、揺れない。


その冷えに飲まれかけたときだった。


外側の足音が、明確に増える。

誰かが走ってくる。

呼吸の荒い、速い足取り。


そして、扉の向こうから聞き慣れた声が落ちた。


「アストリッド!」


一瞬、世界の色が変わったように感じた。

その声が、昨夜の冷えを一枚だけ剥がす。


「……ユリウスさん」


名前を呼んだ途端、喉が乾く。

扉越しの声は、優しくはなかった。


「諦めるな」


叱りつけるような一言だった。

けれど、それが妙に効いた。


アストリッドは、そこでようやく今の自分に気づく。

冷えることで、諦める方向へ寄っていた。

終わらせる癖が出かけていた。


――違う。

――今は、終わらせる場面じゃない。


ユリウスは外側で状況を一瞬で把握したらしく、声が次に変わる。


「扉の制御盤はどこだ」

「近くには見当たらない」

「探す。自動扉は必ずどこかに制御がある。電源系統を辿れば――」


扉の向こうで、ユリウスが制御盤を探して動き出す気配がする。

配線を辿る音。

壁面を確かめる足音。

短い指示。


アストリッドは扉横の壁に背中を預けて寄りかかる。

この空間に高い場所はない。

ガスの比重は重いから、できるだけしゃがまずに立っている。

アストリッドは深く一度だけ息を吸い、吐いた。


「必ず開ける。だから――」


言葉の途中で、金属が擦れる音がした。

ユリウスが制御盤を探し当て、手をかけたのだと分かった。


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