13 職場復帰
2026.10.26 修正
13 職場復帰
職場復帰の日。アストリッドはユリウスと並んで、魔導災害局のフロアへ入った。書類をめくる音も、端末を操作する音も、途中まで続いていた会話も止まる。課ごとに並んだ机で、職員たちが一斉に顔を上げた。
入口に近い席の職員が立ち上がる。
「アストリッド、もう身体は大丈夫なの?」
「ユリウスさん、左腕は?」
「二人とも、無理してない?」
ほかの職員たちも席を立ち、二人のもとへ集まってきた。事故のあと、同じ局の者たちに心配をかけていたことは分かっていた。それでも、これほど多くの者に出迎えられるとは思っていなかった。
「ご心配をおかけしました。体調は落ち着いています」
「左腕は回復途中だ。リハビリをしている」
ユリウスも周囲へ答えた。
「ユリウス、アストリッド」
局長に呼ばれ、二人はフロアの一番奥にある席へ向かった。集まっていた職員たちも、それぞれの机へ戻っていく。局長は二人から提出された診断書に目を通した。
「アストリッド。当面は勤務時間を短縮する。現場への復帰もまだ認めない」
「はい」
「ユリウスは左手を使う作業を避けること。二人とも、体調に異変があればすぐに仕事を中断しろ」
「分かりました」
「はい」
局長は診断書を机へ置いた。
「二人が戻ってきてくれて、本当によかった」
「ご心配をおかけしました」
復帰についての話は、それで終わった。アストリッドとユリウスは視線を交わした。ユリウスが、わずかに頷く。
「それと、私事ではありますが、ご報告があります」
「何だ?」
「アストリッドと結婚しました」
局長はすぐには答えなかった。フロアが静かになる。アストリッドが周囲を見ると、席へ戻った職員たちがこちらを見ていた。
局長はユリウスとアストリッドを交互に見る。
「結婚、したのか?」
「はい。退院後に婚姻届を提出しました」
局長の視線が、二人の左手へ移った。薬指には同じ銀色の指輪がはまっている。局長はもう一度、二人の顔を見た。
周囲からも、驚く声が上がった。交際を経ず、復帰と同時に結婚を報告すれば驚かれることは分かっていた。それでも、予想していた以上の反応だった。
局長が周囲へ視線を向ける。ロイだけは普段と変わらない様子で座っていた。
「ロイ。知っていたのか」
「はい」
「いつからだ?」
「ユリウスに婚姻届の証人を頼まれたときからです」
「なぜ黙っていた?」
「俺が言うことではありませんので」
局長は小さく頷いた。それから、二人へ向き直る。
「二人は、いつから交際していたんだ?」
「交際はしていません」
「していない?」
「はい」
ユリウスが答えると、周囲の声が止まった。
局長は少し間を置いた。
「普通は、交際を経てから結婚するものだろう」
「普通はそうだと思います」
「なら、なぜ結婚した?」
「アストリッドと結婚したいと思ったからです」
ユリウスは落ち着いた声で答えた。局長の視線が、アストリッドへ移る。
「アストリッドも、それでいいのか?」
「はい。私もユリウスさんと結婚したいと思いました」
答えると、頬が少し熱くなった。局長はしばらく二人を見ていた。やがて、小さく息を吐く。
「……お前たちがそれでいいなら、私から言うことはない。結婚おめでとう」
「ありがとうございます」
その言葉をきっかけに、職員たちが一斉に話し始めた。
「交際していなかったって、どういうことだ?」
「前から好きだったのか?」
「なんでそんな話になったんだ?」
いくつもの質問が重なる。アストリッドは、どれに答えればよいのか分からず、ユリウスを見た。ユリウスも周囲を見回している。壁の時計が始業時刻を示した。局長が一度、手を叩く。
「始業時間だ。話はそこまでにして、各自仕事へ戻れ」
職員たちは二人へ目を向けてから、仕事に戻った。やがて、書類をめくる音と端末を操作する音が、フロアに戻ってくる。
アストリッドも自分の席へ向かった。机の上には、入院中に届いた資料がまとめられていた。椅子へ腰を下ろし、端末を開く。
端末の起動を待つ間、顔を上げると、近くの職員が慌てて手元の書類へ目を戻した。アストリッドは端末へ視線を戻した。未読の連絡と、確認待ちの資料が並んでいる。入院していた期間は長くない。それでも、自分が担当していた案件のいくつかは、ほかの職員へ引き継がれていた。内容を確認しようと、一番上の資料を開く。
「アストリッド」
顔を上げると、ロイが立っていた。ロイは机の上に積まれた資料を見た。
「それ、全部今日やるつもりじゃないだろうな」
「そのつもりはありません」
「本当か?」
「はい」
ロイはしばらくアストリッドを見ていた。信用されていないらしい。
やがて、ロイは数件分の資料を机に残し、残りを腕に抱えた。
「今日はこれだけでいい」
机に残されたのは、引き継ぎ内容を確認するための資料と、すでに処理の終わった案件の報告書だった。
「ですが、確認待ちのものがまだあります」
「そっちは俺とエミールで見る」
「分かりました」
「現場も禁止されてるんだから、まず机に座って仕事ができるか確認しろ」
ロイはそう言って、自分の席へ戻っていった。エミール・シェーリットも、アストリッドと同じ魔導薬学係の職員だ。
アストリッドは残された資料を見る。量は普段より明らかに少ない。それでも、今は従うしかなかった。
最初の報告書を開く。郊外の研究施設で起きた媒質管理装置の不調について、現場確認から復旧までの経過がまとめられている。媒質の種類と濃度、曝露の有無、応急処置とその後の対応を確認する。読み進めながら、必要な箇所に確認済みの印を付けていく。
一件目を終え、二件目へ進む。しばらくすると、思っていたより早く疲れを感じた。
アストリッドは手を止めた。入院前なら、この程度で休むことはなかった。けれど、局長からもロイからも、無理をするなと言われている。
水を飲み、少し休んでから、再び資料へ向かった。
視線を上げると、少し離れた席にユリウスがいた。右手だけで端末を操作している。左手は机の上に置かれたままだった。
アストリッドは自分の左手へ目を落とした。薬指には、ユリウスと選んだ銀色の指輪がある。すぐに資料へ視線を戻した。
しばらくすると、フロアではいつものように電話が鳴り、職員同士の確認の声が交わされ、資料が机から机へ運ばれていった。アストリッドは、次の資料を開いた。




