12 情報統制
2026.10.26 修正
12 情報統制
翌日。午後三時を少し回った頃、アストリッドはソファに座って三人を待っていた。病室の扉が控えめに叩かれる。
「どうぞ」
ロイとオリヴァーが、制服姿で入ってきた。その後ろからユリウスが続く。ロイは小さな紙袋を提げ、オリヴァーは資料を抱えている。
ロイは紙袋をテーブルに置いた。
「ゼリーだ」
「ありがとうございます」
「調子はどうだ?」
「全身が重いですが、経過は良好です」
「呼吸は?」
「少し息切れはしますが、落ち着いています」
ロイは小さく頷くと、今度はユリウスの左腕へ視線を向けた。
「お前の腕は」
「肘は動く。手首も昨日よりは動く。親指と人差し指が、まだわずかに動く程度だ」
「そういうことを聞いてるんじゃない。医師は何と言っている」
「回復には時間がかかる。リハビリを続けながら、経過を見るそうだ」
ロイは眉を寄せたまま、ユリウスの左手を見た。
アストリッドは膝の上で指を組み直した。あの日、力なく垂れていた左手を思い出す。
その様子に気づいたのか、ロイがアストリッドへ顔を向けた。
「アストリッド、お前のせいじゃない」
「ですが、私を助けるために」
「アストリッド」
ユリウスは落ち着いた声で言った。アストリッドは二人の顔を見てから、小さく頷いた。
オリヴァーも、アストリッドとユリウスを交互に見ていた。
「アストリッドのせいではありません。お二人とも、今はしっかり休んで、まずは回復を優先してください」
「はい」
「分かっている」
ユリウスはアストリッドの隣に腰を下ろし、ロイとオリヴァーはベッド脇の椅子をソファの前へ運んだ。オリヴァーはアストリッドとユリウスに資料を渡し、自分の分を開いた。
「では、ご説明します。現時点で判明していることは三点です」
アストリッドは姿勢をわずかに正した。
「第一に、今回の異常は、照明や制御盤の表示が一瞬消えた直後に発生しています。ただし、この現象との因果関係はまだ判明していません。第二に、設備の点検記録に異常はなく、通常の故障や経年劣化だけでは説明できません。そして第三に、交換記録のない魔導回路が現場から発見されています」
アストリッドは資料から顔を上げた。
「設置した人は、分かっているのですか」
「現時点では分かっていません。保守台帳にも記録はなく、施工者も不明です」
ロイが言葉を引き継ぐ。
「保守記録、入退館記録、工事申請、業者の出入り。確認できるものは十年分、全部調べた。だが、疑わしい記録は一つもない」
「十年分も……」
アストリッドは資料へ視線を落とした。交換されたものなら、どこかに記録が残っていてもおかしくない。
「では、いつ設置されたのかも分からないのですね」
「はい。それ以前の資料も確認を進めていますが、施設建設当初の記録には欠損が多く、追跡は困難です」
それまで黙って聞いていたユリウスが口を開いた。
「交換記録が残っていない以上、あとから交換されたものとは限らない。建設当初から組み込まれていた可能性もある」
オリヴァーはゆっくりと頷く。
「その可能性も否定できません。ただ、それを裏付ける資料も残っていません」
「そんなに前から……」
アストリッドは小さく呟いた。ロイが腕を組む。
「設置の目的も、まだ分からない」
「その回路は、今どうなっているのですか」
「魔導先端工学局へ送ってある。ただ、解析は難航してるらしい」
オリヴァーが資料をめくった。
「内部構造が、現在使用されている既知の魔導回路と一致しません。少なくとも、魔導省が採用している純正品ではありません」
ユリウスは資料を見ていた。
「既知の規格と一致しないなら、既存の設計資料と照合するだけでは解析できない。回路の構造から、一つずつ動作を推定する必要がある」
「解析に時間がかかるということですか」
アストリッドが尋ねると、ユリウスは頷いた。
「ああ。下手に魔導エネルギーを流せば、回路そのものを損傷する可能性もある。解析する側も慎重にならざるを得ない」
ロイが小さく息を吐く。
「ただでさえ、魔導災害局だけじゃ人手が足りない。魔導先端工学局と魔導生物工学局からも人員を出してもらってるが、今は施設の封鎖と復旧に掛かりきりだ。調査は思ったほど進んでいない」
「復旧を優先する判断は妥当だ」
ユリウスは落ち着いた声で答えた。
「証拠保全が済んでいるなら、解析は時間を掛けて進めた方がいい」
「お前らしい答えだな」
ロイは苦笑した。少し間を置き、三人を順に見た。
「当面、対外的には事故として扱う」
アストリッドは顔を上げた。
「人為的な関与の可能性があるのに、ですか」
「公表は事故だ。少なくとも、当面はな」
ロイの声が低くなる。
「魔導省としては、人為的な関与があった可能性を重く見ている。だが、それを外へ出せば、仕掛けた人間が警戒するかもしれない。誰がどこで聞いているかも分からないからな」
アストリッドは資料へ視線を戻した。もし人為的なものなら、関係者が今も調査の動きを見ている可能性がある。オリヴァーも静かに頷いた。
「内部では、人為的な関与も含めて調査を続けます」
ロイが、かすかに笑った。
「そういうの、魔導省は得意だろう」
誰も否定しなかった。ユリウスは手元の資料に目を戻した。
「解析結果が出たら知らせてくれ。退院したら、僕も回路を確認する」
「その前に腕を治せ。それがお前の仕事だ」
ロイが間を置かずに返す。ユリウスは一度口を開きかけ、苦笑した。
「ああ、分かった」
説明を終えると、オリヴァーは資料を閉じた。
「続報が入りましたら、またお知らせします」
「ありがとうございます」
ユリウスとオリヴァーが先に病室を出た。
ロイもあとに続き、扉が静かに閉まった。
アストリッドはテーブルに残された資料へ視線を落とした。




