◆第14話「完璧じゃないって、怖いけど楽しい
①「訓練前夜 ミレイユの焦燥」
クラウゼ号の夜は、少し早めに静けさを迎える。
音の絶えない昼間とは対照的に、エンジンの軋むようなうなりも、マルグリットの笑い声も、今はない。艦内灯は落ち着いた橙に変わり、眠る艦のように穏やかな時間が流れていた。
だが、その中でただひとつ、眠れずに机に向かっている人影があった。
「……連携時の補正時間は、平均で1.6秒。それをC艦隊の操縦精度で割ると――んんっ」
ミレイユ・フォン・カルディナ。
名門艦育ちの優等生、銀縁の眼鏡にぴたりと整えた制服、今もシャープなペンの動きで自らの“完璧”を塗り固めている最中だった。
艦の揺れに合わせて、小さく揺れるキャンドル型の灯。
それが、彼女の横顔に陰を落とす。
「……私が気を抜いたら、この艦、また煙を上げるかもしれない」
小声で、でも確かな重さを持ってつぶやいた。
自分が気を張っていなければならない。
完璧であり続けなければならない。
“C艦隊だからこそ”ミスが許されると思われたくない――そんな焦りが、ミレイユのノートを埋めていく。
だが。
「まだ起きてるの? 明日は連携訓練だし、ちゃんと寝ておかないと」
背後から柔らかい声がして、ミレイユのペンが止まる。
振り向けば、パジャマ姿のリリィ艦長。
手にはカップ二つ。どうやら、ホットミルクらしい。
「……お気遣いは無用ですわ。私は大丈夫ですので」
「そう? でも、たまには“無理してない”って言ってもいいんだよ?」
リリィの言葉に、ミレイユはわずかに口を噤む。
この艦の艦長は、戦術の理論も、操縦の技術も、評価で見ればたぶん“落第寸前”だ。
それなのに――どうしてこんな言葉が、こんなに響くのだろう。
ミレイユはそっとペンを置き、カップを受け取る。
「あたためただけのミルク。特別なものは何も入ってないけど……」
「……いえ。充分、特別ですわ。ありがとう、艦長」
ふっと微笑むその顔には、少しだけ疲れが滲んでいた。
けれどその夜、ミレイユはいつもより早く、そして穏やかに眠りについた。
完璧じゃなくても、大丈夫かもしれない。
少しだけ、そんな気がした。
②「次の演習は二艦連携・共同操艦」
翌朝。クラウゼ号の食堂では、朝食後のゆるやかな時間が流れていた。
マルグリットは口いっぱいにパンをほおばり、エレナはヨーグルトをつつきながら眠そうに新聞を読んでいる。リリィはというと、紅茶の香りをふわっと吸い込みながら、机に置かれた艦内通達をぼんやり眺めていた。
そのとき――。
「えっ!?」
通達を読んだエレナの声が、食堂の静けさを突き破った。
「え、なに? なんか爆発物でも届いた?」
「いや、訓練内容だってば! 見てこれ、次の訓練――“二艦連携・共同操艦”だって!」
「は?」とマルグリットがパンを喉につまらせた音がする。
「連携訓練……ですか?」
ミレイユが新聞の影からそっと顔を出し、資料に目を通す。
そこにはこう書かれていた。
『訓練科目:複数艦編隊における陣形維持・回避・補完操艦の実習』
『C艦隊は、F艦隊(哨戒班)との連携を行うこと』
「F艦隊って、あの“ゆるふわ系”の艦ですよね……」
レーネが資料を確認しながら、少し困ったような表情を浮かべる。
「確か以前の訓練では、風に流されて編隊から外れてましたね」
「しかもそのまま“気持ちよさそうだったから”って理由で、独自ルート取ったって噂……」
「隊列、保てるのかな……」
艦内に、若干の不安と不穏なムードが漂う。
一方で、リリィは通達の裏面をくるっとめくって読み終え、紅茶をひとすすり。
「ま、うちも似たようなもんだしね」
「似たような!? 艦長、それは自虐がすぎますわ!」
ミレイユが若干目を見開いて立ち上がる。
「そもそも連携操艦というのは、各艦の精密な操縦精度と高度な状況判断を前提とした戦術であり――」
「うん、それな!」
「話、聞いてましたか!?」
「うん、聞いてたよ! でも……“完璧じゃなくても組める”のが、たぶんうちらの演習ってやつなんじゃないかなって」
リリィの言葉に、ミレイユは絶句する。
けれど――ふと、昨夜のミルクの温かさが胸によみがえった。
「……完璧じゃなくても……」
(そんなの、あるわけ……)
そう思いつつも、ほんの少しだけ――その可能性を考えてしまう自分に、ミレイユは気づいていた。
③「転:F艦隊、自由すぎる動きで混乱」
雲ひとつない訓練空域。
青空を背景に、クラウゼ号とF艦隊所属の小型哨戒艇が編隊飛行の体制に入っていた。
「各艦、航路D4よりE3へ移行。指定高度で等間隔を保ちつつ、3秒後に旋回準備――」
ミレイユの声が艦内通信に響く。
彼女の指示は正確で無駄がなく、言葉には迷いがなかった。
「……了解!」と、クラウゼ号の操縦席ではエレナが素直に応じ、進路を調整する。
「うちの艦も、やればできるじゃん」とマルグリットが笑うが――その直後。
《ティリス》艦長:「わぁ、今日は風が気持ちいいですねぇ~♪ そっちの雲の方がふわふわしてるし、通っちゃいましょう~!」
「――え?」
ミレイユが呆然とモニターを見つめる。
F艦隊、まさかの勝手ルート変更。
それも大きく逸脱し、ふわふわ雲へ突撃していくティリス号の姿が、悠々と映し出されていた。
「なん……なのですか、あれは!? 訓練ですのよ!? 進路、完全に逸脱してますわ!」
「こっちも吹き戻し風が来てます! 旋回角が足りません!」とエレナの悲鳴。
「燃料配分ズレた! 誰か補正掛けてー!」とマルグリットが機関室で叫びながらスパナを振り上げる。
陣形は一気に崩れた。
整然としていた隊列は、今やまるで“空に浮かぶ盆踊り”のよう。
「……こんな状況、許されるわけが……」
ミレイユは震える声で呟いた。視界が狭まる。冷静な判断も、机上の完璧な想定も、何一つ通用しない。混乱の渦中で、思考が硬直する。
けれど。
「了解、こっちがちょっと下に潜って位置合わせる!」
「艦長ー! 三秒後、軽く左へ! ふわっと! “ふわっ”ですよー!」
「ミレイユ殿、進路予測、前に置いといたポンチ絵と照合してみてくだされ~」
――クラウゼ号のクルーたちは、混乱の中でも笑いながら動き出した。
阿吽の呼吸。正確さではなく“慣れ”と“信頼”のチューニング。
誰も怒らず、誰も責めず。むしろ嬉々として調整している。
「な……なぜ、そんな……めちゃくちゃなのに……!」
呆然とするミレイユの手から、スケジュール表が落ちる。
そこに書かれた“想定進路”の線は、もう何の意味も持っていなかった。
だが、クラウゼ号は沈まない。
そんな無茶をしても、なぜか“かたち”になるのだ。
完璧じゃない。でも、進める。
ミレイユの常識が、音を立てて揺らぎ始めていた。
④「急:リリィの判断、『完璧じゃなくても、いい』」
訓練空域――隊列はぐちゃぐちゃだった。
先頭をゆるやかに逸脱する《ティリス》号。クラウゼ号は本来の進路を保とうとして空間を埋めきれず、旋回失敗の余波で上下に揺れていた。
その艦橋、操縦席ではエレナが歯を食いしばって叫ぶ。
「艦長! このままだと進路、完全にかぶりますっ!」
リリィは操縦桿を握りしめたまま、声を失っていた。
(どうする……どうすれば正解? 進路修正? いや、それはF艦隊の動きが安定してから……いやいや、それじゃ遅れる……でも——)
冷や汗がこめかみを伝い、心臓がひとつ跳ねる。
そんなリリィの背中に、聞こえてきたのはミレイユの悲痛な声だった。
「このままでは……! 正規のルートから逸れますわ! この回避はマニュアルにも、戦術書にもない……!」
「……うん、だからね——」
リリィは、呼吸を整えた。そして言った。
「この際、“正解”じゃなくて“沈まない方”を選ぼう!」
艦橋が一瞬、静まりかえる。
エレナが目を見開いたまま、それでも操縦席を再調整する。
「了解! “ふわっ”といきます!」
「了解、こっちはエンジン少し吹かすわ! 機関、ムリヤリ合わせてみる!」
「電波誘導ちょっといじります。だいたい、で!」
リリィが言ったことは、戦術としては正しくない。教本にも記されていない。
けれど、その言葉には確かな“意志”があった。
混乱を収めるためじゃない。
誰かを正すためでも、勝つためでもない。
“沈まない”ために——自分たちが生きて帰るために。
「——進路、再構成! 右に二度、上昇五! あと、エレナ……その、ちょっとだけ斜め!」
「ちょっとって、どれくらいですか!?」
「えっと……感覚で!」
「感覚ーッ!?」
それでも、クラウゼ号は動いた。ぎこちない、けれど確かに生きている航跡。
ミレイユは呆然とその動きを見ていた。
想定外だらけの連携。誤差だらけの操艦。それなのに、なぜか成立している。
(……どうして? どうして、こんなバラバラなやり方で……でも……)
脳裏に浮かぶのは、先ほどのリリィの声だった。
「正解じゃなくても、沈まない方を——」
ミレイユの中で、何かが静かに揺らいだ。
⑤「結:ミレイユ、自分の失敗を『笑って報告』できるようになる」
訓練が終わった夕刻、クラウゼ号の艦内には、疲労と達成感が混じった柔らかな空気が流れていた。
「これで今日の訓練報告、全艦分そろいました~」
エレナが書類を束ねて、ポンと机に置いた。
その脇で、ミレイユは自分が書いたレポートに目を通していた。几帳面な字で書き込まれた訓練記録、状況報告、タイムスタンプ……その中の一行で、ふと手が止まる。
「……あっ」
彼女は眉を寄せたあと、意を決して声を上げた。
「ここの座標値、わたくしが書き間違えていました……ええと、正しくはE3ではなく、E5ですわ!」
一瞬、場がしん……と静かになる。
その後――
「え、そんなの全員どっかで間違ってるって~」
「私なんて“敵艦進路予測”の欄に“風向き:気持ちいい”って書いてたし」
「俺の報告書なんて“燃料漏れ:いい匂い”って書いてあるぞ。何味だよ」
「それはマルグリットさんのせいでは!?」
そんなツッコミ混じりの笑い声に包まれる艦内。
ミレイユは、一瞬ぽかんとしたあと、思わず――ふっと、笑っていた。
「……なんですの、それ……もう、むちゃくちゃですわね……」
口元に手を当てながら、けれど心からの笑顔。
完璧でなくてもいい。ミスをしても、こうして一緒に笑える。
そのことが、こんなにも心を軽くするなんて、思ってもみなかった。
艦窓の向こう、夕焼けがクラウゼ号の機体を茜色に染めていた。
ミレイユのモノローグが、静かに綴られる。
「完璧じゃないって、怖い。
でも……誰かと笑えるのは、ちょっと楽しい」
そう思える今の自分を、少しだけ好きになれそうな気がした。




