◆第13話「それぞれの持ち場、ひとつの艦」
①「始動 ― 持ち場を守れ」
「――全員、配置につけ。持ち場確認演習、開始は明朝0700」
クレメンス教官の低い声が、演習ブリーフィング室に響いた。
「今回の訓練は、艦内各セクションの“持ち場維持力”を測る。
すなわち──“自分の場所で何があっても動けるか”、それが問われる」
室内は一瞬、静まりかえる。
「要するに……持ち場を離れたら失格ってことですか?」と、エレナが不安げに手を挙げた。
クレメンスは微笑もせず頷く。「その通り。火災、浸水、通信不全、敵襲警報……。何が起きても、自分の責任区域から逃げるな。
艦とは“信頼のつながり”でできている。全体が機能するのは、それぞれが自分の場所を守っていると信じられるからだ」
横に並んでいたミレイユが小さく頷いた。「合理的ですね。艦とは一個の統合機械ですもの」
だが、リリィはその言葉に内心でどこかひっかかっていた。
(“自分の場所”……“責任”……)
クラウゼ号に戻る艦内通路で、リリィはぼんやりと考えていた。
操縦室。通信室。機関部。武装制御室。どの持ち場も、艦を支える“柱”だ。
そして、艦長である自分は、どこにも属さず、でも全部に関わっている。
(私は……どこが“持ち場”なんだろう)
「艦長?」
気づけば、ミレイユが隣にいた。制服の胸元は完璧に整えられ、眼差しは真っ直ぐ。
「演習、楽しみですね。今回こそ“沈まない理由”が明確に数値化できそうです」
リリィは苦笑いを返すしかなかった。
(うち、そもそも数値化できるような艦じゃない気がするけど……)
夜、艦内の灯が落ち始める中、リリィは一人、艦長席に腰掛けた。
艦のどこかから聞こえる、かすかな金属音。誰かが持ち場で整備をしているのだろう。
それぞれの場所で、黙々と“自分の役割”をこなす仲間たち。
その音が、妙にあたたかく感じられた。
「……持ち場って、“自分だけの場所”じゃないんだよね。
信じて、任せて、それでも繋がってる……そういう場所なんだ」
リリィは小さくつぶやいた。
その声は、機関音にまぎれて誰にも聞こえなかったが――
クラウゼ号は、ふわりと空を流れるように、いつもより穏やかに揺れていた。
②「衝突 ― 完璧ゆえの“干渉”」
訓練当日。朝から艦内には、いつも以上に張り詰めた空気が漂っていた。
「クラウゼ号、通信系統点検完了。周波数、正常。予備回線も問題なし」
通信室から聞こえるのは、ミレイユの張りのある声。チェックリストを片手に、寸分のズレもない手順で端末を操作している。
「よし、完璧……っと」
その横を通りかかったエレナが軽く手を振った。
「おーっすミレイユちゃん、準備バッチリ? こっちは操縦席の感度チェック中~」
「その座標調整、誤差が出てます。左舷操舵を1.3度右に補正してください」
ピタッ、とエレナの手が止まる。
「……え? あ、あたし、今そっちまだ……」
「“まだ”の間にトラブルが起きたらどうするんですか? 時間のロスは命取りです」
ミレイユの言葉は正論だった。でも、それを聞いたエレナの顔が引きつる。
「そ、そうだけど……なんか、急に言われると焦っちゃってさ」
「焦らないために、訓練をするのでは?」
その完璧主義が、次第に艦内に小さなひびを走らせていく。
整備区画では、マルグリットがジャッキの下から顔を出し、手にしたスパナでミレイユを軽く小突いた。
「なあに? 次はエンジンの点火順まで口出す気?」
「違います。ただ、点火時にガス圧が上がりすぎていたので、点火角度を1.2秒早めたほうが……」
「やーめーろーッ!! うちの子に口出しすんなー!」
「“うちの子”?」
「エンジンは家族だ!」
ミレイユの眉がぴくりと動いた。
艦内のあちこちで、ちょっとしたすれ違いが重なっていく。
レーネは医療室でその様子を見つめていた。
そして、午後の休憩時間、ミレイユを艦橋に呼び出す。
「ねえ、ミレイユ。あなたさ、“信じてない”でしょ。みんなのこと」
ミレイユは少しむっとした顔を見せた。
「信じてます。……ただ、任せるには不安なところが多すぎるんです。この艦は穴だらけです」
「完璧なんて、目指したらキリがないよ。それに――」
レーネはそっと、指を自身の胸に当てた。
「“任せる”って、技術と同じくらい、訓練が必要なの」
ミレイユは、その言葉に一瞬だけ目を伏せた。
「……私は、ただ……間違えたくないだけなんです」
静かな、けれど痛い言葉だった。
それを聞いたレーネは、柔らかく笑う。
「なら、うちの艦に向いてるかもよ。“間違えながら、沈まない”のがクラウゼ号なんだから」
ミレイユは小さく息を吐いた。
その音は、ほんのすこし、肩の力が抜けたような気配を運んだ。
③「悩み ― 艦長の“線引き”と“責任”」
クラウゼ号、艦長室。
古びた木の机に、未処理の報告書が積まれている。窓の外には、明るい空に浮かぶ訓練空域の雲々。
けれど、リリィの目はそのどこにも焦点を合わせていなかった。
「……また、うまく言えなかった」
午前の訓練で起きた軽微な混乱――操舵と通信の連携ミス。
本来なら艦長としてすぐに是正すべきだった。
けれど、リリィは現場の雰囲気に押されて、強く言えずに流してしまったのだ。
(ちゃんと注意すればよかった。ミレイユにも、エレナにも。でも――)
「私が何か言うと、空気が止まる気がするんだよね……」
艦長であることと、仲間であること。その線引きが、今もリリィには曖昧だった。
背もたれにぐったりと体を預ける。
書類の山が倒れ、1枚のメモ用紙がひらひらと舞って床に落ちた。
それは、演習祭のとき、エレナが描いた「艦長ポスター」のラフ案だった。
“沈まない艦には、沈ませない艦長がいる!”
リリィは苦笑する。
「……ううん、違うよ。沈まないのは、みんなのおかげで。私はいつも怖がってて、震えてて……」
言葉が詰まる。
けれど、次の瞬間、艦内通信の呼び出し音が鳴った。
『艦長、こちら整備班マルグリット。機関圧力、臨界前で調整完了。次の訓練、たぶん爆発せずにいけまーす。たぶんね』
『こら! たぶんとか言わないの!』と背後で誰かがツッコむ声。
それに続いて、別のクルーたちからも次々と報告が入ってくる。
『通信室、準備オッケーです! ミレイユさんに、3回も回線張り直されましたが!』
『武装班、魔導蓄積率70%。本番では100超えます。レーネが、たぶん』
それは、バラバラで、ドタバタで、完璧からは遠いけれど――どこか温かくて、頼もしい音だった。
リリィは、静かに机から立ち上がった。
「……私、たぶん艦長じゃなくても、この艦は回ると思う」
でも。
「でも、私が艦長だからって、この艦がちょっとでも強くなれるなら……その理由になるのなら――」
ぎゅっと両手を握りしめる。
「……ちゃんと、言おう。間違ってもいい。怖くても……言わなきゃ」
艦橋へ向かうその足取りに、ほんの少し、迷いは薄れていた。
④「危機 ― 爆雷演習中のトラブル」
「爆雷投射、3秒前……2……1……投下!」
訓練空域のやや北寄り、標的となる幻影ターゲットに向けて、クラウゼ号の爆雷ユニットがぽん、と控えめな音を立てて射出された。
直後、艦体が小さく揺れる。
「うわっ、ちょっと効いた! でもまあまあ合格点じゃない?」
エレナが操縦席で顔をしかめながらも笑う。
「反応悪くないです! 投射角、計算通りです!」とミレイユが読み上げる。
「いいねぇ~いいねぇ~。久々にまともに爆雷が動いてるー!」
マルグリットが機関部から上機嫌で叫んだ、その直後だった。
――ボンッ!
艦体が、ぐらりと大きく揺れた。
「なにっ!?」
「右舷後部から圧縮音! 爆雷投射管、逆流……?」
「……え? 逆流って、待って、えええ!?」
警報が鳴り響いた。
《警告:右舷第2砲架、圧縮魔力逆流。再爆発の可能性あり》
「まずい!」ミレイユがすぐに端末を操作、「爆雷ユニット、強制停止!」
「ダメです! 制御が戻らない――!」
「エレナ、回避機動っ……!」とリリィが叫ぶ。
「やってるけど、舵重すぎて抜けないっ!」
艦がゆっくりと右に傾く。圧縮されすぎた魔力の流れが、艦内の循環管を狂わせているのだ。
「わかった、こっちで手動調整入れる! あーもうこれだから旧式ユニットは!」
マルグリットの怒鳴り声が響き、工具を持った足音が甲板を走り抜ける。
「艦長! 判断を!」
ミレイユが言った。リリィは一瞬、目を見開く。
(判断……私が、“命令”しなきゃ……!)
艦長席に座るその手が、震えている。
このまま爆雷が暴発すれば、艦の後部が吹き飛ぶかもしれない。
(どうする……私に、できるの?)
でも――その瞬間、誰かの声が響いた。
「リリィの“逃げろ”で助かった私たちが、
今度は“止まれ”って言われたら、止まってみせるよ!」
エレナだった。
「そうよ。艦長が言うなら、私は信じる」レーネも言った。
(ああ、そうか……これが、“持ち場を守る”ってことなんだ)
リリィは大きく息を吸い、叫んだ。
「――クラウゼ号、非常姿勢! 全員、持ち場死守!」
「エネルギー流路、ミラー回線に切り替え! マルグリット、調整まで何秒!?」
『10秒! 9! 8! あーもう、これ締まんないッ!』
「締めてー!!!」全員が叫んだ。
……そして。
「――いけたッ!!」
艦が、静かに水平を取り戻した。
エレナが操縦席で息を吐き、マルグリットは天井にスパナを投げつけてガッツポーズをした。
「っしゃああ! 沈まないったら沈まないッ!」
「艦長、指示、的確でした。助かりました」
ミレイユが、少し驚いたような顔でそう言った。
リリィは、まだ震える手を膝に押しつけながら、ほっと息を吐いた。
「……私も、怖かったけど。でも、みんなが“止まってくれる”って信じられたから……言えた」
クラウゼ号は、静かに、ゆっくりと雲間を滑っていた。
それは、沈まないことが“偶然”じゃないと示す、小さな証だった。
⑤「守ったのは持ち場じゃなくて信頼」
爆雷逆流という予期せぬ危機を脱したクラウゼ号は、ようやく訓練空域の穏やかな層へとたどり着いていた。
艦内にはまだ、工具の音や再点検の掛け声が飛び交っている。
けれどその空気はどこか晴れやかで、どこか静かだった。
リリィは艦橋に立ち尽くしていた。
両手はようやく震えを止め、足ももうふらついていない。
艦長席のそば、計器パネルに肘をついて息を整える彼女に、そっと近づく足音があった。
「……艦長」
ミレイユだった。
「はい……って、あれ? いつのまに“艦長”って呼ぶようになったんですか?」
冗談っぽく言うと、ミレイユは少しだけ照れたように顔を背けた。
「演習中、あんな状態で的確に指示を出せる人間を、呼び捨てにはできませんわ」
「的確だったかどうかは……ちょっと微妙ですけど」
リリィは苦笑する。
けれど、どこか誇らしげな顔だった。
ミレイユはしばらく黙って、それから口を開いた。
「……クラウゼ号は、他のどの艦とも違います」
「え?」
「戦術の完成度でも、装備の性能でもない。けれど……みんなが、あなたの言葉に“止まる”んです。信じて」
リリィは、はっとしたようにミレイユを見る。
「艦って、命令で動くものだとずっと思ってました。でも――」
少しだけ微笑んで、ミレイユは続けた。
「この艦は、信頼で動いてる。今日のこと、忘れません。
私が見たかった“沈まない理由”、やっと、わかった気がします」
そう言って、ミレイユは静かに敬礼した。
リリィは驚いたように瞬きをして、それから、ふっと笑った。
「……うん。持ち場を守るのも、もちろん大事だけど」
彼女は艦橋の全員――エレナ、レーネ、通信士、補助員たちへと目を向ける。
「でも、今日守れたのは……“みんなの信頼”だったのかもしれないね」
その言葉に、誰かがぽつりとつぶやく。
「艦長の指示、今日はちゃんと“頼れた”もんな」
「いつも頼ってるけどねー。今回は特にねー!」
「おい、マルグリット、それイヤミか褒めてんのかどっち!?」
ドタバタと笑い声が艦内に響く。
けれど、リリィの胸にはしっかりとあたたかい光が灯っていた。
沈まない艦の理由。それは、誰かの完璧な操縦でも、戦術でもなく――
「……信じ合えるって、たぶん、それだけでけっこう強いことなんだよね」
そう呟いた艦長の横顔は、少しだけ誇らしげだった。
そしてクラウゼ号は、今日も沈まなかった。




