◆第12話「ミレイユ、沈まない理由を探す」
①「朝の点呼、艦内のリズム」
朝。
クラウゼ号の甲板に、まだ蒸気が立ちのぼる。
ミレイユ・フォン・カルディナは、艦内通路をまっすぐ進みながら、手元のスケジュール帳をめくった。
「艦内点呼:第3甲板前。7時00分厳守。各班整列、号令後、整備・補給・艦長巡察開始……」
彼女の声は小さく、しかし一語一語がはっきりとしていた。
名門カルディナ家出身の彼女にとって、“規律”は呼吸と同じ。初日だろうと欠かせない。
しかし、整列予定の場所に着いて出迎えたのは――
「……なぜ誰もいないの?」
甲板には、人影も号令もない。代わりにあるのは、ハンモックでまだ寝ている機関士の足先と、風で舞うトーストの切れ端だった。
「おっはよー! 艦長来てる?……え? 違う? あ、点呼か!」
エレナが片方の靴だけ履いて階段を駆け下りてくる。
「ごっめーん、点呼って今日“あだ名順”だったよね?」
レーネがどこからかノートを抱えて現れる。
「“あだ名順”とは?」
ミレイユが眉をひそめると、レーネは軽く笑った。
「クラウゼ号、日替わりで点呼順が変わるの。“体の柔らかさ順”とか“朝食の好み順”とか、ね。今日は『あだ名五十音順』だよ~」
ミレイユは完全に言葉を失った。
整列どころか、班の区分すら怪しい。しかも、工具は甲板に転がったまま、補給リストは壁に手書きで貼ってある。
「点呼、始めるよー!」
軽快な声がして、リリィ艦長が艦橋から顔を出す。頭に寝ぐせが一本跳ねていた。
「じゃ、えーっと……“あ”から……マルちゃん!」
「はーい、マルグリット、生きてまーす!」
「“い”……いないな、“え”のエレナちゃん!」
「ういっす! 生存確認済み~!」
「“れ”のレーネちゃん!」
「いますよ~」
「“み”……あっ、ミレイユさん!」
呼ばれて、ミレイユは思わず背筋を伸ばして敬礼する。
「ミレイユ・フォン・カルディナ、点呼に応じます。異常なし!」
一拍の沈黙のあと、艦内が一斉に拍手と歓声に包まれた。
「なにこれ、めっちゃ本格的!」
「うちにもついに“ちゃんとした人”が来たー!」
「でもそれだと浮くんじゃ……」
ミレイユは目を丸くしながら、笑う彼女たちを見渡した。
整ってはいない。計画性もあやしい。けれど――
(この艦、どこか……温かい)
工具の代わりに声をかけ、規律の代わりに信頼で繋がるリズム。
それは、ミレイユがこれまで知らなかった艦の在り方だった。
「……変な艦」
思わず漏れた本音に、リリィが聞きとがめて振り返る。
「えっ、なにか言いました?」
「いえ……なんでもありません。少し、風通しがいいだけですわ」
ミレイユは、そっと笑った。
②「新任務:模擬通信哨戒」
「模擬通信哨戒訓練?」
朝のブリーフィング室にて。ミレイユが疑問を口にするのと同時に、紙コップの紅茶をのどに詰まらせる音がした。
「げほっ、ごほっ……そ、それ、私たちがやるんですか!?」
リリィ艦長が目を白黒させて問い返す。
「書いてありますよ、艦長」
レーネが指差したのは、訓練命令の紙。そこにははっきりとこう記されていた。
『C艦隊:通信連携担当(偽装通信艦)』
「任務内容:通信途絶区域にて、味方艦との連携・中継・欺瞞信号の発信などの総合訓練」
「つまり……」
ミレイユは指先で眼鏡のブリッジを押さえながら整理した。
「通信が乱れる状況下で、味方の位置を把握し、最適なタイミングで情報を流す。錯乱されやすい状況であれば、機転と正確な判断が必要です」
「そ、そう! そういう感じ!」
リリィが曖昧に頷く。「うち、たぶん、そういう“なんとなく勘で”のやつ得意なんで!」
「“勘”ではなく、“即応的な判断力”です」
ミレイユはきっぱりと訂正した。
けれど、どこか……不思議だった。
この艦は、明らかにシステムが古く、手順もズレている。
それでも、全員が何かしらを“信じて動いている”ように見える。
「……では、ブリーフィングを簡潔に進めます」
ミレイユは立ち上がり、ホワイトボードの前に立った。
一瞬、リリィたちがぽかんと見上げたが、すぐにマルグリットが手を叩いた。
「おっ、名門スタイルだ! はい先生、よろしく!」
「えっと……では、クラウゼ号は通信哨戒中、“囮通信艦”として機能します。各部の対応は――」
・通信系:干渉回避モードへ切り替え、レーネ担当
・操縦系:エレナが機動優先モードへ設定
・機関:マルグリットによる熱制御と安全弁の維持
・艦長:判断と発令を迅速に(※リリィはここで大きく頷く)
「全員が、正しいタイミングで役割を果たせば、任務は成功します」
静かに言い切ったミレイユに、艦内がちょっとした静寂に包まれた。
「……すごい」
リリィがぽつりとつぶやく。
「こんなにきちんと“やること”を整理してくれたの、たぶん初めてです……!」
「そうなの!?」
ミレイユが思わず声を上げた。
「うん! うちはだいたい“そのときのノリ”で始まるから」
エレナが笑いながら肩をすくめる。
「でも、こうやって“ちゃんと整ってる”のも悪くないかもな」
マルグリットが整備帽をかぶり直す。
ミレイユは、ふと戸惑った。
自分の常識ではありえない状況――
だが、なぜか不思議と「嫌じゃない」と思えていた。
「……それでは、出撃の準備を始めましょう。次は、実戦です」
(“沈まない艦”に、規律を足せば――)
(もしかして、もっと強くなれるのかもしれない)
彼女の目が、わずかに光を帯びた。
③「個の力と艦の力」
――訓練空域、模擬通信哨戒開始。
クラウゼ号は、ひときわ頼りなげな機関音を響かせながら、雲の合間を滑っていた。
目立たぬよう高度を抑え、風に乗るような、しかしどこかふわふわとした航行。
「こちらクラウゼ号。現在、Bポイント通過。周辺に通信干渉は――あっ、少しノイズ!」
通信席のレーネが、笑顔のままなぜかノリノリで報告する。
「ノイズの中身がなぜかラジオっぽいですけど、たぶん気のせいです!」
「気のせいで済ませないでよ!」
操縦席のエレナが必死に機体を安定させていた。
「なんか風が変! 雲が……動き変わってる!? ちょっ、ああもう! 舵重いっ!」
「ははっ、大丈夫大丈夫! 後ろのエンジン、ちょっと火ぃ吹いてるだけだから!」
機関室から聞こえるマルグリットの声に、ミレイユの額にじわりと汗が浮いた。
「これが……あなたたちの“普通”なの?」
完璧な指揮。正確な通信。想定された行動。
それが、ミレイユが今まで信じてきた“艦のあるべき姿”だった。
だが、目の前のクラウゼ号は――そのどれにも、当てはまらなかった。
「艦長!」
ミレイユはたまらずリリィの元へ駆け寄った。
「機関部の熱上昇率、操縦系の遅延反応、通信遅れ。全体として効率が20%以上低下しています! このままでは訓練評価に――」
「そ、そうだよね……!」
リリィは椅子の上で膝を抱えながら、びくっと肩をすくめた。
「でも……でも、止まるよりは、進んだほうが……きっと、いいよね?」
不安げな顔。それでも、指先はスイッチを一つひとつ押していた。
「ミレイユさん、あなたが正しいことはわかってます。でも、たぶんこの艦は“正しいだけ”じゃ動かないんです……!」
(正しいだけじゃ、動かない?)
耳慣れない言葉に、ミレイユは目を細めた。
そのとき――通信席からレーネの声が飛ぶ。
「来た来た、目標艦からの通信! ノイズ混じりだけど、私たちが中継できれば、任務成功です!」
「でもこの状態で機動加速は……!」
エレナが汗をぬぐう。
「機関もギリギリ……!」
マルグリットの声に、皆がリリィを見る。
――艦長として、どうするか。
リリィは震える手で、スピーカーに口を近づけた。
「全艦、前進――って言いたいけど……!」
一瞬間を置いて、微笑んだ。
「できる範囲でいいから、それぞれ“得意なやり方”で動いてください!」
その言葉に、艦内が一瞬静まり――次の瞬間、驚くほど滑らかに艦が加速した。
マルグリットがエンジンをぎりぎりで調整。
エレナが揺れに逆らわずに舵を切る。
レーネがノイズの中に通信ルートを見つける。
「これは……!」
ミレイユはその様子を、信じられない思いで見つめた。
「システムはズレている。判断も曖昧。でも、それでも……」
彼女たちは、艦を“信じて”動かしていた。
正確さではなく、呼吸と勘と、仲間への信頼で。
通信は中継され、模擬任務は成功。
だが、評価表の数値はたぶん最下位。
――それでも、誰も下を向かなかった。
艦橋に戻ったリリィが、にこっと笑って言った。
「ありがとう、ミレイユさん。あなたの“正確さ”、本当に助かったよ。……でも、あとは“好きに動いていい”時間にしちゃいました!」
「……無秩序のなかに、秩序を見た気がします」
ミレイユは静かに答えた。
(この艦には、理屈じゃない“生存力”がある……)
(沈まない艦は、ただ運がいいんじゃない――“誰かが信じて動いてる”から、沈まないんだ)
初めて、彼女は“チーム”というものに、ほんの少しだけ、心を許した。
④「想定外の妨害電波」
「――あれ?」
レーネが通信パネルの前で眉をひそめた。
「さっきまでの中継波が、突然……消えました。いえ、違う。潰されてる。妨害電波、です!」
「妨害って、誰が!?」
エレナが操縦桿を握ったまま振り返る。
艦内の空気が一気に張り詰めた。
訓練空域での電波妨害は、本来あってはならない。だがその異常は、明確に“外部からの悪意”を感じさせる強さだった。
「通信機、過熱中! いったん停止します!」
レーネの声と同時に、クラウゼ号の通信系が一時ダウン。
「これって、まさか他艦の干渉?」
マルグリットが唸る。「演習中に、遊びで妨害してくる奴って結構いるからな。どこのバカだよ」
「でも今、うちら通信係でしょ? このままだと任務失敗になる……」
エレナの焦りが、艦内を包みはじめる。
リリィは、艦長席の端でこっそり震えていた。
(どうしよう、どうしよう……こんなの、マニュアルにも書いてなかった)
「……!」
そのとき、一歩前に出たのはミレイユだった。
「艦長。妨害波の出力、断続的です。たぶん、短波帯を“掃くように”流している。範囲妨害――素人の遊びではありません」
「な、なるほど……それはつまり……どうすれば……?」
リリィがうわずった声で聞き返す。
「こちらが“定型”で返している限り、相手の方が有利です。だから――」
ミレイユの眼鏡が、淡く光る。
「――定型を捨てましょう」
「へ?」
「“マニュアル通りにやっていたら妨害される”のなら、マニュアルを破る。いま必要なのは、艦の“癖”と“偶然”を使った反応波です」
「偶然って……」
「例えば、クラウゼ号のエンジン出力。変動が激しいですよね?」
ミレイユはマルグリットの方を見る。
「え? あ、うん! こいつ、温度で気まぐれになるから。……え、まさか、それ使うの?」
「ええ。それで乱数信号を発生させ、通信妨害波の隙間を見つけて――“穴”を突きます」
艦内が、息を呑んだ。
「でも、それって理論上ってやつじゃ……」
「……私は“理論”をやります。みなさんは、“感覚”で動いてください」
その言葉に、マルグリットが口角を上げた。
「へへ、名門娘が“感覚頼り”を許すとはね。……了解、気まぐれエンジン、踊らせてやるよ!」
「エレナ、揺れを増やすぞ! 雲の中でターンして、ノイズ出して!」
「は、はいっ!」
エレナの目に緊張とわずかな高揚が混ざった。
「レーネ、短波帯でバラついた反応拾えたら、すぐ教えて!」
リリィも震えながら、ようやく指示を出す。
「はい艦長っ!」
レーネが笑顔で親指を立てた。
艦が揺れる。小刻みに、しかし確かに波を刻むように。
「……見えた!」
レーネの声が跳ねた。
「妨害波の“谷”! ミレイユ、いける!?」
「了解! 今です、信号再送――!」
キィィィ――ンと、艦内に通信復帰の電子音が響いた。
模擬任務中の味方艦から、声が戻ってくる。
「……こちら第3小隊、クラウゼ号の中継信号確認。任務継続」
クラウゼ号、沈まず。任務遂行、成功。
「……やったぁぁぁ!!」
リリィが操縦席の上で跳ね上がる。
「ふぅ……予想より癖の強い艦でしたが」
ミレイユが小さく微笑んだ。
「でも、あなたたちのやり方――少し、分かってきました」
⑤「信じられる艦へ」
訓練空域を抜け、クラウゼ号はゆっくりと高度を下げていった。
風はまだ冷たく、空は夕暮れの黄金色に染まっている。
艦内はさすがに疲れた様子だったが、どこか晴れやかで静かな誇りに包まれていた。
リリィは艦長席に座り、ゆっくりと息をつく。
「今回の訓練、みんなのおかげで乗り切れたね」
マルグリットがエンジンルームから顔を出し、汗を拭いながら笑う。
「まったく、あの妨害波は厄介だったけど、いいリハビリになったよ」
レーネは通信席でモニターを指し示しながら言った。
「信号の乱れを見つけて、その隙間を狙う。完璧主義のミレイユさんの発想が、今回の勝因よね」
ミレイユは少し照れたように顔を赤らめながらも、誇らしげに答えた。
「理論だけでは限界があるのね。みんなの“感覚”があったから、うまくいった」
そして、リリィはそっと目を閉じた。
(この艦は……)
(ただの機械じゃない。みんなの心が織りなす、生き物なんだ)
彼女の背中を優しく押すように、エレナが艦橋にやってきて言う。
「艦長、次の訓練も一緒に乗り越えようね。怖くても、私たちがいるから」
リリィは深呼吸し、小さく頷いた。
「うん。私も、この艦とみんなを……信じたい」
クラウゼ号はまた、夜空へと飛び立つ準備を始めていた。
沈まない艦隊の、誇り高き航海は、まだ続いていく。




