1-3 ダンジョン
ダンジョンの奥。
普段では入らない領域――いや、入れない場所だ。
何が出てもおかしくない。
それでも足は止まらない。
理由はない。
いきなり現れた老人の霊の言葉を、俺は疑うことなく受け入れていた。
「さて、この辺で良いじゃろ。その石を動かしてみろ」
目の前には、腰ほどの高さの岩がある。
どう見ても一人で動かせる大きさじゃない。
「このサイズは動かせないよ」
「いいからやってみろ」
渋々、手をかける。
冷たい石の感触、指先にざらつきが伝わる。
力を込める。
……びくともしない。
もう一度、体重を乗せて押す。
それでも石は、微動だにしなかった。
「やっぱりだめだ」
「今、どう動かそうとした?」
「どうって……部屋で見せたように、浮かせようとしたんだけど」
「儂は動かせと言った。動かすのは、浮かすだけか?」
その言葉に、引っかかる。
もう一度、石を見る。
浮かせることしか考えていなかった。
今度は持ち上げるんじゃない。
手前に引く。
そのイメージを、強く。
――わずかに、石が擦れた。
「……今の」
もう一度、力を込める。
――ずずっ。
確かに、動いた。
「……動いた」
「そうじゃ。お主の力は浮かすことではない。物を動かすことじゃ。縦だけではない。もっと自由に考えろ」
動かす。
その言葉が、やけに重く響く。
なぜ今まで、こんな簡単なことにも気づかなかったのか。
「この手の能力は、使えば使うほど強くなる。儂の見立てでは、その程度ならもう動かせるはずじゃ」
そう言って、手のひらサイズの石を指さす。
今まで挑戦しようともしていなかったサイズ。
石を見つめ、同じように、手前へ引くイメージ。
――ずずっ。
小石が動いた。
「……動いた」
さっきよりも、自然に。
(本当に、できるのか……)
そのとき、奥の通路から乾いた音が響いた。
カタ、カタ。
何かが近づいてくる。
暗闇の中から現れたのは、人の形をした骨だった。
「儂のいた時代にはスケルトンと呼ばれていたが、現代ではどうじゃ?」
「ああ、その認識で違いないな」
目はないはずなのに、確実にこちらを捉えている。
距離はまだある。
だが、すぐに詰められる。
……やるしかない。
視線を固定し、動きを追う。
手元には石と、道中で拾った少し長くて固い棒。
棒で殴っても、時間が経てば元に戻る。
(なら――)
「よく見るのじゃ。あいつはただの骨じゃ。動かされているにすぎん」
その瞬間、見え方が変わる。
敵じゃない。
――動いているだけの物体。
アユムは石に意識を向ける。
スケルトンの足元へ滑らせる。
――ずずっ。
がっ。
こちらに向かっていたスケルトンは石につまずき、俺の手前で崩れた。
間を置かず、棒を振る。
腕の関節を。
繋ぎ目だけを狙う。
――ゴキッ。
腕が外れる。
もう一度、脚。
腕と脚を断ち切ることで、スケルトンは自力で立ち上がることができなくなる。
(……ここまではいい)
問題は、その先だ。
魔物自体は周囲の魔力を集めて再生する。
魔力で急所を断ち切られなければ、本当の意味で倒したことにはならない。
それが、才能ありとされる者との決定的な差だった。
「ほう、なるほどな。倒しきるには魔力がいるのか。それじゃあ、棒を動かしておるじゃろ? その時の感覚を棒に残したまま、首を断ってみろ」
「棒を動かす感覚を残す? イメージがつかないが」
「なら、棒を動かしながら、まずは残った腕に攻撃を加えてみるんじゃ」
言われる通り、棒を動かしてスケルトンの関節を断ち切る。
先ほどと同じように、スケルトンの腕が関節を軸に外れる。だが、切れた先のほうが光の粒になってほどけていく。
「……できた?」
「ほれ、次は首じゃ。今度は棒を手に持ちながら、動かさずにやってみろ」
光の粒を見ていた視線を、手元へ向ける。
さっきの感覚を、棒に集中させる。
そして、残っているのは頭。
首を棒で切る。
今までしてこなかった、ただそれだけのことを、言われた通りに行う。
――スッ。
胴体と分かれたスケルトンは、先ほどとは違い、両方が光となって崩れた。
そして残る静寂。
その場に残ったのは、小さな石だった。
初めに持ち上げようとした石とは比べ物にならないほど小さい魔石。
「……これ、俺がやったのか?」
「ああ、お前だけの力だ」
言葉にならない何かが、喉に詰まる。
手の中の魔石は小さい。
宿代にもならない程度の価値しかない。
それでも。
強く、握りしめた。
その手だけが、少しだけ熱を持っていた。




