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その三十、円満な婚約不成立の為に

 部屋のクローゼットの隠し扉から隠し通路へと飛び込んだのに、私は大きな男性の腕の中に飛び込むという結果となってしまった。

 そしてカートは、私が昔読んだ煽情小説の台詞みたいなことを私に言ったのだ。


「君を手に入れるためになら、俺はいくらだって跪くよ」


 耳がくすぐったくなるぐらいの、低くて素敵な声で。


「い、いいえ。あなたが跪く必要なんてありません。私はもともとあなたと結婚したくなかったのだもの。私に懇願する必要は無いわ」


「昨夜はそんな風ではなかったけどね。姉達が失礼すぎたか?」


「いいえ。私はあなたと結婚したらとてつもない困難に見舞われるって事に思い当たりましたの。私にはそれはとても耐えられません」


「浮気はしないと約束するよ」


「それは当たり前です!!私だってしません。でも、あなたが私と結婚する必要はないでしょう?あなたは今季最高の結婚相手ですもの」


「そうじゃ無くなるそうだけどね」


「だ、大丈夫です。私はそれを大丈夫にするために出掛けるのですもの」


「どこに出掛けるつもりだい?」


「相談できる方のいる場所よ。さあ、もういいでしょう。私は今すぐに外に出なければ。せっかくですから、外に出る道を教えてくださいな」


 私はカートから離れて歩き出したが、すぐに彼が私に立ち塞がり、立ち止まった私の顔を覗き込む。


「あの」


「一人で外に出て誰に相談するつもりかな?君を危険にさらしたくなどない」


「危険など無い方です」


「ミゼルカ?」


 低くて滑らかなカートの声に、ぞわぞわぞわっときた。

 怖いじゃなくて、素晴らしい歌声を聞いた時に体に響く感覚に近い。

 もう一度聞きたい、何て思った自分にぞっとして、私はカートに答えていた。

 もともと内緒にするような方では無いのだし。


「ハピュアー修道院にいらっしゃるクロイッツェラー様です」


「クロイッツェラー様はそんな簡単にお会いできる人ではないよね」


「あら。ヘルマンのお母様でしょ。エバンシュタイン侯爵令嬢だった方で私の大伯母様ですもの。絶対に会って下さります」


 カートの笑顔は、ぴしっと音が聞こえるみたいにして、そのまま固まった。

 そんな自分の顔を壊す勢いで、彼は右手で叩くようにして目元を覆う。


「ちくしょう!!そういやそうだった!!ヘルマンの音楽祭の目的が、そもそもお母様に捧げてってやつだった!!」


 ああ、そうか。

 彼はヘルマン王子に仕えている人だから、王子と縁続きの私との婚約不成立がとっても問題になるのだわ。


「ご、ご心配は不要です。そもそも、私が彼女に相談したいのは、私達の婚約不成立でどちらにも悪評が立たないようにするにはどうしたらいいの、ってことです。あなたもご心配なら一緒に相談すればいいのだわ」


 私の言葉にカートの気が落ち着いたようで、目元から手を下ろした彼は大きく溜息を吐いていた。

 ほう、よりも、ぶしゅう、という音だったから、気の抜けた溜息、と表現したほうが良いものかしら。


「ご安心なさった?」


「いや。ますます落ち込んだ。君は本気で俺から逃げるつもりか。俺は君にはそんなにも怖くて嫌な男か?」


 脅したり揶揄ったり散々してきた事は忘れていらっしゃる?

 いえ、でも、それは謝罪されて私が許したから、ええと。


「ええと。あなたが悪いのでは無くて」


「では何かな?」


 顔が近い、顔が近い!!

 私はカートから後退ったが、たった半歩で壁に背中が当たった。

 逃げられない!!


「教えてくれ?後学のために。俺は今後嫁捕りに苦労しそうだからね」


「ぬ、盗み聞いていた?」


「盗み聞きなど礼儀に反してしまった事を謝罪しよう。だが言い訳させてくれるなら、俺の目的は君に会う事だった。君が傷ついているかもってね、君だけに会いに来た。そうしたら」


「母達の会話を全部お聞きになってしまわれたってことですわね」


「ハハハ。そう。自分が死刑囚になっている話を聞いて脅えまくっている。君に慰めて貰いたいぐらいにね。こんな哀れな男では、君の婚約者に不適格だと決めつけられた事に言い訳は出来まい。だか、知りたいんだ。気に入った可愛い子にここまで嫌われてしまった理由を」


 可愛い、だなんて!!

 それも、気に入った、なんて言ってらっしゃる。

 私はカートを真っ直ぐに見上げた。


「き、嫌いじゃないのよ。あなたとの結婚が怖いの」


「そうか。男が怖いか。そうだね、それは仕方がないね。そこは俺もできるだけ君を思いやって進むつもりだ。君は何も心配せずに俺に任せればいい」


 そんなことしたら、どんどん式が派手になっちゃうのでは無いの?

 どれだけ私は沢山な人に手を振らなきゃいけないの?

 英雄の奥さんなのに地味って、がっかりって、沢山の人達に笑われちゃうの?


「無理!!だめよ!!あなたとは結婚できない!!」


「そうか。俺が怖いか」


 カートは納得した声を出し、私に柔らかく微笑んだ。

 でもすぐに、ちょっと目を伏せて、え、なぜそんな悲しそうな表情を?


 私はカートが見せた表情によって、忘れていた彼への警戒心が呼び起こされた。

 そんな事無いわよって頭を撫でたくなる雰囲気を、この強面のカートが出していることこそ警戒しなきゃでしょ。


「ミゼルカ?俺の何がそんなに不安に思わせるのか教えてくれないかな?」


 低くて滑らかなカートの声に、傷ついている人が出すような響きがあって、私の背中がぞわぞわぞわっと震えた。

 大きなカートが小さな仔犬に見えてしまった、そんな自分自身が怖いわ。


「ミゼルカ?頼む」


 懇願された!!


 どうしよう。

 そうよね、自分自身が否定されたのは、誰だって辛いわ。

 誰かに嫌われているって考えるのは、とっても辛い事だわ。


「あ、あなたが悪いわけじゃないの」


「では、何かな?」


「えと。パレードなの」


「パレード?」


「ごめんなさい!!結婚式がパレードになる人とは結婚できないの!!私は社交界の華になれないの。目立たずひっそり生きていたい人なの!!」


 真顔になったカートは私をじっと見つめ、それから、雨が降って来たかのようにして天井を見上げ、また私へと視線を戻した。

 カートは無表情に近い真面目な顔になっている。


「君のクロイッツェラー様に会いに行こうか?きっと俺達だけでは導きだせない答を彼女が与えてくれる気がする」

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