第6話
セラーナは霧の深い街路をただひたすらに走っていた。
息が切れ、足が鉛のように重い。
ドレスの裾は泥と煤で汚れ、黒髪は乱れて顔に張りついている。
(逃げなきゃ……でも、どこへ行けば……)
思考は混乱し、恐怖だけが体を駆り立てた。
石畳を蹴る足音に混じって、別の足音――複数の整然とした靴音が近づいてきた。
自警団だ。
鎧の金属音、松明の揺らめく光、怒号。
「火事だ! 暴走した魔族が暴れてるらしい!」
「奴隷共がまたやらかしたか!」
彼らはセラーナの横を駆け抜けていった。
その流れの陰から、ふっと小さな影が滑り出た。
少年だった。
銀色の短髪に、赤い瞳。
まだ十歳前後に見える華奢な体躯。
ぼろぼろの外套を羽織い、足元は裸足だった。
セラーナが驚く間もなく、少年は駆け寄り、セラーナの腰にぎゅっと抱きついた。
「――っ!?」
驚きの声が喉に詰まる。
キュウウウウンッ
次の瞬間、世界が歪んだ。
視界がねじれ、音が消え、体が浮くような感覚。
転移――聖国でも最高位の魔術師しか扱えないはずの空間移動。
足元が硬い石に変わった瞬間、セラーナは目を見開いた。
空気は重く、粘質で、肺にまとわりつくような魔素の濃密さだった。
息をするたびに、体の中を黒い蜜が巡るような錯覚。
ずっと前からここを知っていたかのように。
体が、魂が、この場所を「帰るべき場所」だと認識している。
なぜか、不思議と、疑う余地がなかった。
「……魔王城」
周囲は薄暗く、巨大な柱が天井を支え、壁には古の戦いの彫刻が刻まれている。
そして――
セラーナは自分が立っている場所に気づいた。
広大な玉座の間。
天井は遥か高く、黒い石で組まれた階段の最上段。
その頂に、巨大な玉座が鎮座している。
王の座。
自分が、そこに立っている。
少年はセラーナから体を離し、無言で階段を降りていった。
下にはすでに五人の魔族が跪いていた。
少年もその列に加わり、肩を並べて、膝をつく。
五人全員が、頭を垂れている。
広間に、重い沈黙が落ちていた。




