第24話
出発の準備が整う直前、エリークスがセラーナの下へやって来た。
手に小さな銀のアミュレットを持っていた。
「魔王様、失礼を」
エリークスはセラーナの胸元に近づき、慎重にアミュレットを留めた。
「これは緊急時に魔王様をお守りするものです。常に身に着けて頂ければと」
セラーナは、エリークスの目を見つめて言った。
「ありがとう、エリークス」
エリークスはどこか戸惑ったような表情で、頭を下げた。
「……お気をつけて」
セラーナはヴァレリアと共に魔王城を後にした。
リオの転移魔法が発動し、世界がねじれる。
次の瞬間、二人は黒岩の前哨の外縁に立っていた。
そこから馬車で半日――ヴェルディア占領下の、最も近い村へ。
馬車が停まったとき、セラーナは窓の外に広がる景色に目を奪われた。
村と言いつつも、予想以上に開拓が進んでいた。
石畳の道が整えられ、木造と石造りが混じった建物が並び、市場では商人たちの声が飛び交っている。
それなりの規模の町並み――辺境とは思えない活気だった。
ただ、空気は重い。
道端に鎖で繋がれた魔族の姿がちらほらと見える。
角を生やした男性が荷物を運ばされ、翼の小さな少女が地面を這うように歩かされている。
数はそれほど多くはないが、その存在が町全体に暗い影を落としていた。
ヴァレリアが馬車から降り、セラーナの手を取って降ろしながら、言った。
「ここはヴェルディアの占領下でも比較的安定した地域です。魔族の奴隷はいますが、大半は本国へ送られているはず。現地でくすぶらせるより、儲かるのでしょう」
ヴァレリアに促され、二人は町の中心へと歩き始めた。
目指すは酒場だった。
「こういう場所は初めてでしょうが、情報はここで集めるのが一番早いです」
ヴァレリアの言葉に、セラーナは静かに同意を示した。
酒場の扉を開けると、熱気と酒の匂いが一気に押し寄せてきた。
中は人でひしめき合っていた。
ヴェルディア軍の兵士たち、傭兵らしき荒くれ者、鎖を付けられた魔族の奴隷――そして、冒険者と呼ばれる者たちが大半を占めていた。
剣や斧を腰に下げ、傷だらけの鎧をまとった男たちが、テーブルを囲んで大声で笑い合っている。
二人が入ると、視線が一斉に集まった。
「おいおい、女が来たぜ」
「魔族のメイドか? いい趣味してんなぁ」
「嬢ちゃんたち、一緒に飲まねぇか?」
下品なヤジが次々と飛ぶ。
セラーナの胸が、わずかにざわついた。
聖国での嘲笑を思い出すような、粘ついた視線。
ヴァレリアは堂々と胸を張ってカウンターへ向かった。
カウンターに着くと、ヴァレリアは酒を二つ頼み、多めに硬貨を置いた。
「仕事はあるか?」
酒場の主人が硬貨を素早くしまい、眉根を寄せた。
「仕事ねぇ……魔物退治くらいだな」
その言葉に、冒険者の一人が椅子から立ち上がった。
髭面の大柄な男で、腰に大剣を下げ、酒の匂いをプンプンさせている。
「仕事なら俺がくれてやろうか。嬢ちゃん、こっち来いよ」
男はにやにやと笑い、セラーナの方へ近づいてきた。
汚れた手が、彼女の頬に伸びる。
その瞬間――セラーナの体が、凍りついた。
(……嫌っ)
脳裏に、聖国の追放の夜が閃いた。
王宮の衛兵たちの下卑た笑い声。
港で船員たちの影が迫ってきたときの、冷たい恐怖。
誰も助けてくれない闇の中、ただ一人で震えていたあの感覚が、胸を締めつけた。
息が詰まり、指先が冷たくなる。




