第65話:マシロ、お金を稼ごうとする
ある日の午後、『ワンダ・バウ』こと戌井くるみが奏のマンションに遊びに来ていた。
二人はソファに並んで座り楽しそうにテレビを見ていたが、ふとくるみがマシロの耳元に顔を寄せた。
「ねえマシロちゃん。もうすぐ何の日か知ってる?」
「んー? ツナマヨの日?」
「違うよ。来週はね、奏さんの誕生日なんだよ」
「たんじょーび!」
マシロの猫耳がピーンと立った。
誕生日は知っている。ケーキを食べて、おめでとうって言って、プレゼントを貰う日だ。
テレビでやってたからよく知っている。でもタナデがプレゼントを「貰う」側になるのは初めて聞いた。
「タナデに、プレゼントあげる!」
「うんうん、いい子だね。マシロちゃんは何をあげたい?」
「えーっとね⋯⋯ハンバーグ! ツナマヨおにぎり!」
「可愛い! でも、せっかくだから形に残るものもいいんじゃないかな? マシロちゃん、お金は持ってる?」
くるみの言葉にマシロは固まった。
きょとんとした顔で首を傾げる。
「お金? ⋯⋯マシロ、お金持ってない」
Vtuberとして億単位の収益を上げているマシロだが金銭管理は全て奏と敏腕税理士が行っており、マシロ自身は財布すら持っていない「箱入り娘」だったのだ。
必要なものは全て奏が買い与えてくれるし、お小遣いという概念もまだなかった。
「お金、どうやってもらう?」
「うーん⋯⋯大人はお仕事をすれば貰えるけど、マシロちゃんは難しいわね」
「お仕事⋯⋯!」
マシロのオッドアイがキラリと光った。
お仕事。それは大人の響き。
マシロは拳を握りしめ、決意を固めた。
☆
その日の夜――雑談配信が始まった。
奏が隣で見守る中、マシロはいきなり椅子から降り、カメラに向かって深々と頭を下げた。
土下座のような、あるいはただ床に突っ伏しているだけのような姿勢だ。
「リスナーのみなさん! マシロにお仕事ください! マシロお金がほしいです!」
唐突すぎる宣言にコメント欄は一瞬でパニックに陥る。
『!?』
『どうしたマシロちゃん!?』
『金欠か!?』
『スパチャ投げるぞ!』
『口座番号を教えろ!』
『一ノ瀬ママに虐待されてるのか!?』
『俺の全財産を使ってくれ!』
赤スパが滝のように流れ始めて画面が見えなくなる。マシロによる突然のスパチャ乞食に慌てて奏がマイクに割り込んだ。
「マシロ! ちょっと待て! 突然何を言い出すんだ! 皆さんスパチャしなくて大丈夫です、無理のない範囲でお願いします」
マシロは顔を上げ、涙目で訴えた。
「だって、お金がないとプレゼント買えないもん!」
「プレゼント? 誰に?」
「え、えーと⋯⋯ワンワンお姉ちゃん!」
嘘が下手すぎる。目が泳ぎまくっているし、尻尾が落ち着きなくパタパタしている。
奏は頭を抱えた。
「⋯⋯マシロ。お前は、すでに一生遊んで暮らせるだけの金を稼いでいるんだよ」
「えっ! ほんと!?」
「ああ。私の口座にしっかり貯金してある。投資信託も回してる」
「とーし⋯⋯しんたく⋯⋯?」
マシロの頭上に「?」マークが浮かんでいる。
四歳児に金融リテラシーを説くのは不可能だ。
しかし、それはさておきファンからのスパチャをそのままプレゼントに使わせるのは、教育上どうかと奏は考えた。
お金は額面ではなく、汗水流して得るものだということを教える良い機会かもしれない。
「わかった。マシロ、自分の力で稼ぎたいなら家事を手伝え」
「かじ?」
「掃除、洗濯、料理の手伝いだ。一つクリアするごとに一回につき100円、お小遣いをあげよう」
「ひゃくえん! マシロ、やる!」
「よろしい。明日からだ」
マシロは即答した。
『ワンダにプレゼント⋯⋯? 妙だな』
『マシロちゃん頑張れ~』
『お手伝い、偉いねぇ。はいお小遣い』
『ワンダのやつ⋯⋯! 許さんぞ⋯⋯!』
『ちゃんとお手伝い出来るのか私、気になります』
コメントが流れ、相変わらずスパチャが飛んでいる。
奏は配信終了後、押し入れから猫の形をした貯金箱と100円玉を用意した。
物理的にチャリンと音がして、重さが増えていく実感を持たせるためだ。
ここからマシロの涙ぐましい労働(と書いて破壊活動)の日々が幕を開けた。
☆
翌日――ベランダから取り込んだ乾いた洗濯物の山を前にマシロは腕を捲った。
「マシロ、タナデのお洋服、畳む!」
「ああ、頼んだぞ。シワにならないようにな」
奏は仕事部屋でPCを開きながら横目でその様子を見守った。
マシロは奏のシャツやタオルを手に取り、丁寧に畳もうと悪戦苦闘している。右に折り、左に折り、丸め、ねじり⋯⋯。
十分後。
「できた!」
「⋯⋯ありがとうマシロ。だが、これは何だ?」
奏がリビングに戻るとそこには全ての洗濯物が丸められ、結ばれ、謎の「布の団子」と化した物体が山積みになっていた。
しかも、なぜか全ての布地にマシロの抜け毛(白い猫の毛)がびっしりと付着している。畳む時に自分の体に擦り付けたらしい。
「きれいにしたよ!」
「⋯⋯そうだな。でも次は、コロコロをしてからにしてくれ」
奏は苦笑しながらマシロの手に百円玉を一枚握らせた。
「やったぁ!」
あとで布団子をほどいて再度洗い直しアイロンをかけ直さなければならないが、彼女のやる気を削ぐわけにはいかない。
☆
その日の午後
「ごみ、吸うやつ! マシロがやる!」
マシロはクローゼットから、ダイソン的な強力吸引力を誇るサイクロン式掃除機を引きずり出してきた。
スイッチを入れると、ギュイイイイン!という轟音がリビングに響く。
「よしよし、隅の方までしっかりな」
奏が感心しながら見ていると、マシロはノズルを振り回してソファの下やラグの上を掃除し始めた。
しかし、彼女は一つ重大なことを忘れていた。自分の身体の一部が、掃除機の吸引口と同じ高さにあるということを。
ズボッ!!
「みゃああああっ!?」
油断していた隙をつくように掃除機の先端が、マシロの長く豊かな白い尻尾の先を完全に吸い込んだ。
強力なモーターが毛皮を巻き込み、マシロはパニックに陥った。
「タナデぇ! マシロの尻尾が食べられたぁぁ!」
「マシロ、動くな! スイッチを切れ!」
「みゃああああ!!」
マシロは尻尾に掃除機をぶら下げたまま、リビング中を猛スピードで逃げ回り始めた。
延長コードがピンと張り、見事に奏の足首に絡まる。
「あっ」
ドターン!!
奏は盛大に転倒し顔面から床に突っ込んだがギリギリで受け身を取り、軽症で済ませる。
数分後。
なんとかスイッチを切り、尻尾を救出したマシロは涙目で奏の前に正座していた。
尻尾の先だけが、微妙にチリチリになっている。
「⋯⋯怪我がなくてよかったよ」
奏は氷嚢で額を冷やしながら、震える手で百円玉を渡した。
「ごめんなさい⋯⋯」
☆
夕食後。
「あわあわにする! マシロ、お皿洗う!」
マシロはキッチンのシンクの前に立ち、スポンジを手に取った。
今度こそ挽回しようと意気込んでいる。
「洗剤のつけすぎに注意しろよ。二、三滴で十分だからな」
奏が忠告したものの、マシロの「いっぱい泡立てた方が綺麗になる」という謎の理論が発動した。
彼女は洗剤のボトルを逆さにし、力任せに握りしめた。
ブシュゥゥゥ!!
ボトルの半分の液体が一瞬にしてシンクに放出された。
そこに勢いよく水を出し、スポンジでかき混ぜる。
モコ⋯⋯モコモコモコ⋯⋯!!
「わぁ⋯⋯!」
一瞬にして、シンクから白い泡が溢れ出した。
それはまるで生き物のように増殖し、カウンターを越え、キッチンの床へと雪崩れ込んでいく。
「マシロ! いったん水を止めろ!」
「タナデ! マシロ、泡に食べられちゃう! 消えちゃう!」
マシロ自身も泡まみれになり、雪だるまのような姿でキッチンでもがいていた。
奏は慌てて水を止め、バスタオルを何枚も持ち出して床の泡と格闘する羽目になった。
三十分後。
ピカピカ(洗剤の成分で過剰に滑りやすくなった)になったキッチンの床を見つめながら、奏は深い、深い溜息をついた。
「⋯⋯床掃除の手間が省けたよ」
奏は泡だらけのマシロを風呂場へ連行する前に、三枚目の百円玉を渡した。
☆
夜、ボロボロになった(主に奏の精神と体力が疲弊した)一日が終わった。
マシロはパジャマ姿でベッドの上に座り、猫の貯金箱を嬉しそうに振っていた。
チャリン、チャリン。
中に入っている三百円が軽快な音を立てる。
「タナデ、みて! お金、たまった!」
マシロは満面の笑みで奏に貯金箱を掲げてみせた。
「ああ、頑張ったな」
奏はベッドの端に腰掛け、苦笑した。
実際にはマシロの失敗のリカバリーに費やした時間と労力、そして無駄になった洗剤の代金を考えれば大幅な赤字だ。
時給換算すればマイナスからのスタートだろう。
それでも。マシロが一生懸命に汗をかき、失敗しながらも得たこの数百円は配信のスーパーチャットで飛んでくる数万円の電子マネーよりも、はるかに尊く、重たい価値がある。
少なくとも奏にはそう思えた。
「目標額までしっかり貯めろよ。無駄遣いは禁物だぞ」
「うん! ⋯⋯なにを買うかは、内緒だよ!」
マシロは貯金箱を宝物のように大事に抱きしめ、布団に潜り込んだ。
「ワンワンお姉ちゃんに」と嘘をついた時の、あの下手くそな視線の泳ぎ方を思い出して奏はこっそりと口角を上げた。
「⋯⋯おやすみ、マシロ」
部屋の電気を消し、リビングへ戻る。
奏は壁に掛かっているカレンダーを見上げた。
そこには今月末の自分の誕生日の日付に、小さな赤い丸印がつけられている。
「⋯⋯期待して待ってるか」
奏は小さく呟き、まだ少し滑りやすいキッチンの床を慎重に歩きながらブラックコーヒーを淹れた。
疲れた体には染みるが、その味はいつもより少しだけ甘く感じられた。




