第64話:海の向こうから
平日の午後、私は防音室にこもってパソコンのモニターとMIDIキーボードに向き合っていた。
画面には無数のカラフルな波形が並び、スピーカーからは新曲のデモ音源が繰り返し流れている。ベースの帯域を微調整し、ストリングスのボリュームをコンマ数デシベル単位でいじっていく。
地道で孤独な作業だが今の私にとってこれほど充実した時間はない。
かつてのように「納期」と「クライアントの顔色」に怯えながら音符を並べるのではなく、ただ純粋に「マシロの声をどうすれば一番美しく響かせられるか」だけを考えて曲を作れるからだ。
作業が一段落し、冷めたブラックコーヒーに手を伸ばした時。
デスクの隅に置いていたスマートフォンの画面が明るくなり短い振動音が鳴った。
メッセージアプリの通知だ。送り主は『ワンダ・バウ』こと、戌井くるみさん。
『奏さん! 凄いですよ! 今ちょっと時間ありますか!?』
ただならぬテンションの文面に私はコーヒーカップを置いて即座に返信した。
『どうしました? 何かトラブルですか?』
『逆です、逆! マシロちゃんの曲が世界中でバズり散らかしてます! とりあえずこれ見てください!』
続いて送られてきたのは、動画共有サイトのURLが五つほど並んだリストだった。
「⋯⋯バズり散らかしている?」
私は首を傾げながら、リビングでお昼寝をしているマシロを呼びに行った。
自分に関する出来事は、きちんと本人にも共有するのがプロデューサーの努めだ。
ソファで丸まっていたマシロを優しく起こし、目を擦る彼女を隣に座らせて私は最初のURLをクリックした。
☆
画面に映し出されたのは近未来的なネオンが輝くスタジオセットだった。
タイトルはハングルで書かれており読めないが、再生数はなんと二千万回を超えている。アップロードされてからまだ一週間も経っていないのに、だ。
重低音の効いたイントロが流れ出す。
原曲の柔らかなハ長調とは打って変わってゴリゴリのエレクトロ・ポップにアレンジされているが、そのメロディラインには聞き覚えがあった。
マシロが復活配信で歌った『おおきくなっても』だ。
「わぁ⋯⋯!」
マシロが身を乗り出した。
画面の中では韓国のトップアイドルと思われる女性五人組のグループが、キレキレのダンスと共にマシロの曲をカバーして歌っている。
サビの『おおきくなっても、おおきくなっても』という日本語のフレーズはそのままに、ラップや英語のフェイクが絶妙にミックスされていた。
「お姉さんたち、ダンス上手! マシロの歌、すごくかっこいい!」
「ああ⋯⋯見事なリミックスだ。ティーンエイジャーがTikTokなんかで真似して踊りやすいように、完璧に計算されている」
コメント欄には世界中の言語で「この曲の原曲(Original)は誰?」「日本のV-tuberらしいぞ」「原曲は天使の歌声」といった書き込みが溢れ返っていた。
次の動画を開く。
今度はうってかわって歴史を感じさせる厳かな教会の内部が映し出された。
日曜礼拝の様子らしい。祭壇の前に並ぶのは色鮮やかなローブを身に纏った総勢五十名ほどのゴスペルクワイア(聖歌隊)だ。
彼らが歌い出したのは、あの伝説の初配信でマシロが歌った『きらきら星』だった。
五十人の分厚いハーモニーが教会の高い天井に響き渡る。
オルガンの伴奏に乗せて、黒人のリードボーカルの女性がソウルフルに歌い上げる。
原曲の素朴さはどこへやら、魂を揺さぶるような壮大なブラックミュージックへと変貌を遂げている。
そして曲のラスト。
マシロが高音を出しそこねて裏返り「みゃっ!」と威嚇してしまったあの放送事故のパート。
リードボーカルの女性が、マイクを両手で握りしめ、天を仰いで絶叫した。
『――Myaaaaaaaa!!!!』
圧倒的な声量とビブラートを伴った、魂のシャウト。
それに呼応するように、五十人のクワイアが「Oh, Mya!」「Hallelujah, Mya!」とコーラスを重ね、教会全体がスタンディングオベーションの熱狂に包まれた。
「⋯⋯そこまでリスペクトしなくていいんだが」
私は思わず突っ込みを入れてしまった。
マシロは画面の中の熱狂に当てられたのか、両手を口の横に当てて真似をした。
「みゃ~~~!」
「放送事故がとんだ進化を遂げたな⋯⋯」
三つ目の動画はミラノを拠点に活動する著名なオペラ歌手(恰幅の良いヒゲの紳士)が、マシロのライブ映像を見ながらリアクションと解説を行うという内容だった。
彼は『ねこのあしあと』を歌うマシロの映像を時折一時停止しながら、身振り手振りを交えて熱弁を振るっている。自動生成による日本語の字幕が付いていた。
『信じられない! 皆さんはお気づきだろうか。彼女のこの高音域での発声は、人体構造学的にあり得ない共鳴をしている!』
紳士は自分の頬や額を叩きながら興奮気味に語る。
『普通、声帯で作られた音は口腔や鼻腔で響かせる。だが彼女の歌声は頭蓋骨全体、いや、細胞の一つ一つが楽器となっているかのような響きを持っているんだ。まさに”Divina(神聖)”としか言いようがない!』
専門家によるガチの解説だ。
そのコメント欄は日本語がまじり「プロがべた褒めしてて嬉しい」「マシロちゃんは本物の天使だからな」と、好意的な反応で埋め尽くされていた。
最後の動画。
風景はガンジス川のほとり、夕暮れのガート(沐浴場)だった。
ターバンを巻いたストリートミュージシャンが、あぐらをかいて伝統楽器のシタールを弾いている。
独特の「ビヨーン」という共鳴音で奏でられているのは、マシロのオリジナル曲『ねこのあしあと』だった。
オリエンタルでエキゾチックな旋律にアレンジされているが、その根本にある優しさと温かさは全く失われていない。
周囲には多くのバックパッカーや観光客が座り込んで静かに聴き入っている。
そしてなぜか、ミュージシャンのすぐ隣には一頭の大きな野良牛が座り込み、目を細めてシタールの音色を聴いているというシュールな光景が広がっていた。
「⋯⋯牛さんも、マシロの歌、好きなのかな」
「そうかもしれないな」
私は次々と流れる映像を見ながら胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。
☆
かつて私が「天才作曲家・一ノ瀬奏」と呼ばれていた頃――私が生み出した音楽は常に「商品」だった。
タイアップのために秒数を計算され、流行のコード進行を当てはめられ、大量消費社会の中で一瞬だけ輝き、そしてすぐに飽きられて次の新曲に押し流されていく。
それが商業音楽の宿命だと頭では理解していても、自分の魂を削って作った曲が『消費』され『捨てられていく』現実に私の心は摩耗し、やがて壊れてしまった。
しかし画面の中で起きていることは違う。
マシロの歌は消費されていない。
国境を越え、言語の壁を越え、文化の違いを越えて世界中へ『伝播』している。
ソウルのダンススタジオで。ニューオーリンズの教会で。ミラノの音楽院で。インドの川辺で。
私の書いたメロディとマシロの歌声がそれぞれの土地の色に混ざり合い、新しい形となって愛され、根付こうとしている。
それは私がずっと夢見ていた光景だった。
音楽が本来あるべき姿。人の心から心へ手渡されていく「文化」としての姿。
「タナデ!」
不意にマシロが私の袖を強く引いた。
オッドアイをキラキラと輝かせ、満面の笑みを浮かべている。
「マシロの歌、みんなが歌ってる! いろんな国で、いろんな人が! すごいね! うれしいね!」
マシロは純粋な喜びを爆発させ尻尾をブンブンと振っている。
私が過去のトラウマから抜け出し、再び音楽と向き合えたのは間違いなくこの子のおかげだ。
この無垢な声があったからこそ私の音楽は世界に届いたのだ。
「ああ」
私はマシロの銀髪を優しく撫でた。
「マシロの歌が世界に届いたんだ。⋯⋯すごいことだ。本当にすごいことだよ」
声が少しだけ震えた。
マシロは「えへへ」と笑い、私の手に自分の頭をすり寄せてきた。
世界中でどれだけ崇められようと、この子は私の前ではただの甘えん坊の子猫だ。その事実が何よりも愛おしかった。
☆
その日の深夜、マシロが遊び疲れて寝静まった後に私は一人リビングに残ってノートPCを開いた。
昼間の感動の余韻はまだ残っていたが、プロデューサーとしての私の脳は、すでにもう一つの「事実」に行き着いていた。
私はいつもの『shiro_cat_growth_record(成長記録)』という名前のスプレッドシートを開いた。
日付、身長、体重の推移グラフ。
ここ数週間、マシロの身長の伸びは上がってきている。先日の「2センチ」からさらに伸び、体重も増え、身体能力も向上しているように思えた。
私はブラウザの別のウィンドウを開き、配信サイトのアナリティクス画面を表示した。
さらに外部ツールを使って『海外でのマシロ関連動画(切り抜き、カバー含む)の再生数推移』のグラフを抽出する。
二つのウィンドウを並べ、グラフの曲線を重ね合わせてみる。
「⋯⋯⋯⋯」
私は小さく息を呑んだ。その曲線は同じ軌道を描いていた。
海外のインフルエンサーやアーティストがマシロの曲をカバーし始め、世界中での「認知の拡大」が爆発的に跳ね上がった時期。
そして、一度は落ち着いていたはずのマシロの肉体的な「進化(成長)」が再び動き出した時期。
二つの折れ線グラフは見事なまでに同じカーブを描いて右肩上がりを示していた。
(⋯⋯やはり、そうか)
私は冷たいブラックコーヒーを一口飲み、背もたれに深く寄りかかった。
あの狐面の神使が言っていた。
マシロは本来、人々の「信仰(畏怖や祈り)」を糧にして存在を維持する神の眷属だという。
現代社会において、その「信仰」に最も近い形が熱狂的な「推し活」であり「認知」だ。
マシロの成長リソースは、ツナマヨおにぎりやハンバーグといった物理的な食事だけではない。
世界中の人々が彼女を「認識」し、その歌声に「感動」し彼女を「好きだ」と願う。その感情の総量が膨大なエネルギーとなって彼女の器(肉体)に注ぎ込まれ、拡張させているのだ。
日本のネット民だけでなく海を越え、言葉を越え、世界中で彼女が愛されるということは。
地球規模で彼女への「エネルギー供給源」が激増したということを意味している。
「⋯⋯大きくなるのも、困りものだな」
私はPCの画面を見つめながら複雑な表情で呟いた。
彼女の歌が世界に届いたことは音楽家としてこの上ない喜びだ。
だが保護者としては、これ以上彼女が「人間離れ」した存在へと駆け上がっていくことに、一抹の恐れを抱かずにはいられない。
「これは嬉しい悲鳴ってやつか?」
誰にともなく問いかけてみるが、答えを返してくれるのはPCのファンの駆動音だけだった。
寝室からは世界を魅了する神聖なる歌姫の「んめ⋯⋯カナデ⋯⋯」という間の抜けた寝言が聞こえてくる。
私は肩の力を抜き、小さく笑った。
どれだけ世界が広がろうと、信仰が集まろうと。
私がやるべきことは一つしかない。あの子の手を離さず、隣でピアノを弾き続けることだ。
私はスプレッドシートを保存して閉じ、明日の朝食の仕込みをするためにキッチンへと向かった。




