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第61話:マシロのおにぎりリベンジ!

 ある日の昼下がり、リビングのソファでくつろいでいた私は突然の宣言に耳を疑った。


「タナデ! 今日のごはん、マシロが作る!」


 テレビ画面の中では料理番組の先生が手際よくおにぎりを握っている。

 それを見て触発されたのか、マシロはビシッと立ち上がり私の顔を真っ直ぐに見つめた。

 銀髪の猫耳がピーンと立ち、尻尾がやる気に満ちてブンブンと揺れている。


「⋯⋯マシロが? 何を?」


「ツナマヨおにぎり!」


 即答だった。

 まあ、そうだろうとは思ったが。


「この前はまともに握れなかっただろう。あれは砲丸投げの鉄球だったぞ」


「大丈夫! もう覚えたもん! それに、ツナマヨはマシロたちの『げんてん』だから!」


 原点――またどこかで仕入れてきた言葉を使っている。その意味が分かっているのかいないのか怪しいが、そのオッドアイは本気だ。


 確かにツナマヨおにぎりは私たちが最初に出会った時の味であり、マシロにとって特別な食べ物だ。

 成長した娘の手料理⋯⋯それは親として一度は夢見るシチュエーションだが同時に台所の惨状も容易に予見できる。


 私は腕を組みながらマシロの真剣な表情と背後にあるピカピカに磨かれたシステムキッチンを見比べた。

 ⋯⋯まあ、いいか。失敗も経験だ。


「わかった。ただし火は使わないこと。私が横で見ているから指示通りにやること」


「やったぁ! タナデ、待っててね! マシロのお料理、食べさせてあげる!」


 マシロは歓声を上げ、エプロンを取りに走っていった。

 その背中を見送りながら、私は胃薬の場所を確認しておいた方がいいかもしれないと思った。


 ☆


 クッキングスタート――まずは米の計量だ。マシロは米びつの蓋を開けると計量カップを無視して両手いっぱいでガサッと米を掬い上げた。


「待て待て待て! マシロ、それは多い! それだと相撲部屋の分量だ!」


「いつもご飯さんいっぱい入ってるよ?」


「それは炊いた後だからだ。お米は炊くと膨らむんだよ」


「お米凄い!」


「このカップですりきり二杯にしなさい」


「はーい」


 米を戻してカップで計量するマシロ。

 次は水加減、マシロは蛇口を全開にして釜に勢いよく水を注ぎ込んだ。


「ストップ! 米が溺れてるぞ! 水は線まで!」


「お米は喉乾かない?」


「米に人格を見出さなくていい。それに吸水時間は必要だがそれは多すぎる」


 水を捨てさせて適量に調整する。

 炊飯器のスイッチを入れると、マシロは満足げに頷いた。


「つぎは、ツナ缶!」


 マシロは戸棚からツナ缶を取り出し、テーブルに置いた。

 プルタブに指をかけ、気合を入れる。


「ふんっ!」


 バギンッ!!


 鈍い金属音と共にプルタブが根元から引きちぎられた。

 勢い余って缶の中身が飛び出し、オイルとツナのフレークが美しい放物線を描いて天井まで飛散する。


「⋯⋯あ!」


「⋯⋯芸術的なスプラッシュだな」


 私は天井にへばりついたツナを見上げ、遠い目をした。

 マシロが本気を出せば人間を軽く凌駕するのは知っていたが缶詰をここまで派手に爆発させるとは。


「ご、ごめんなさい⋯⋯」


「いい、次からはゆっくり開けような。ほらマシロ、マヨネーズの用意だ」


 マシロはしょんぼりとしながら新品のマヨネーズのボトルを手に取った。

 キャップを開け、内蓋のアルミシールを剥がそうとする。


「今度はそっと⋯⋯」


 慎重に、慎重に。

 マシロは息を止め、シールを摘んだ。

 だが、緊張のあまりボトルを握る手の方に力が入ってしまったらしい。


 ブシュッ!!


 圧縮された空気が抜け、続いて白い奔流が勢いよく噴射された。

 それは真横にいた私の黒いエプロンに直撃し、見事な一本線を描いた。


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯タナデ、白くなった」


「そうだな。マシロのおかげで、私は今マヨネーズ人間だ」


 私は引きつった笑顔でマヨネーズを拭き取った。


 前途多難すぎる⋯⋯私は何度も手を出そうとしたが、その度にマシロが「一人でやる!」「タナデはすわってて!」と制止する。


 私は胃をキリキリさせながら、口だけで指示を出し続けるしかなかった。


 ☆


 そうして数時間の激闘の末に――キッチンは戦場のような有様になっていたが――なんとかおにぎりが完成した。


「できた! タナデ、どうぞ!」


 マシロが差し出した皿の上には世界一不恰好なおにぎりが鎮座していた。


 形は歪な球体――大きさはソフトボール大とゴルフボール大が混在しており、統一感は皆無だ。

 海苔はちぎれてパッチワーク状態になっており、所々からご飯がはみ出している。


 マシロは米粒まみれの手と顔で、一番大きな一つを両手で持ち上げ、私に差し出した。


「⋯⋯おいしい、かな?」


 尻尾が期待と不安でゆらゆらと揺れている。

 上目遣いで私を見つめるオッドアイは、まるで審判を待つ子猫のようだ。


 私はそれを受け取った。ずっしりと重く、まだ温かい。


 以前の鉄球状態よりはマシになっている。マシロなりに加減を覚えたらしく、少しふんわりとしている気もしなくはない。


「いただきます」


 私は大きく口を開け、一口食べた。


 ガリッ。


 岩塩かと思うほどの塩の塊に当たった。


 噛み砕くと次は無味の米ゾーンがやってくる――ツナとマヨネーズの比率は完全に崩壊しており、マヨネーズの海にツナが溺れている場所もあれば、パサパサのツナだけが詰め込まれている場所もあった。


 お米に関しては芯が残っている部分と水を吸いすぎてベチャベチャになった部分の二択――客観的に評価するのであれば、料理としては完全に失敗作。


 お金を取れるレベルではないどころか、罰ゲームに使われても文句は言えない。


 でも⋯⋯私はゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。


 喉を通るその不恰好な塊には、マシロが私のために一生懸命作ったという「想い」が詰まっていた。

 「タナデに食べさせたい」「喜んでほしい」という純粋な気持ちが、最高の調味料となって私の胸を熱く満たしていく。


「⋯⋯どう? タナデ、どう?」


 マシロが心配そうに聞いてくる。


「⋯⋯美味しい」


 自然と声が出た。


「ほんと!?」


「ああ。今まで食べたどんなおにぎりよりも、一番美味しいよ」


 嘘ではない。

 コンビニの完璧に計算されたツナマヨよりも高級料亭の塩むすびよりも。

 この歪で塩辛くてベチャベチャなおにぎりが、今の私にとっては世界で一番のご馳走だった。


「やったぁー!!」


 マシロは全身で喜びを表現し、私に飛びついてきた。

 米粒のついた頬を私の胸に擦り付け、尻尾をブンブンと振り回す。


「マシロ、天才かも! お料理の天才!」


「ああ、天才だ。間違いなくな」


 私はマシロの背中を撫でながら目の奥が微かに潤むのを感じた。

 この子が私に食べ物を作ってくれる日が来るとは思わなかった。


 あの雨の日、震えていた小さな子猫がこんなに大きくなって、こんなに温かいものをくれるようになった。それだけで胸がいっぱいだった。


 ☆


 数分後――私たちは脚立に乗って天井についたツナを雑巾で拭いていた。

 マシロはお腹いっぱいおにぎりを食べ、満足げに鼻歌を歌っている。


「⋯⋯次はもう少し穏やかな料理にしてくれ。心臓に悪い」


 私は天井のシミを見上げながら言った。


「マシロ、次はハンバーグ作りたい! じゅーってするやつやりたい!」


「⋯⋯難易度が跳ね上がってるだろう。火を使う料理はまだ早い」


「大丈夫! マシロ、お料理の天才だから!」


「天才でも修行は必要だ。まずは卵かけご飯から修行し直せ」


「卵かけご飯? それお料理?」


「ああ立派な料理だ。卵を割るのも技術がいるだろ?」


「わかった! じゃあ、あしたは卵! マシロ上手に割れるよ!」


 マシロは元気よく返事をした。

 その笑顔を見ていると天井のシミも、エプロンの汚れも、胃のキリキリも、全部どうでもよくなってくるから不思議だ。


 私は雑巾を絞り、苦笑しながら思った。

 明日の朝食は殻入りの卵かけご飯になるかもしれないな、と。

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