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3話 アンノウン もう一つのアナザーストーリー 

空港の床は、どこでも同じ匂いがする。

ワックスと金属と、人の移動。


搭乗まで、まだ時間があった。

柱の影に立ち、ペットボトルの水を一口飲む。

人の流れを正面から見ない位置が、落ち着く。


向かいのベンチに、年配の男が座っていた。

片手にスマートフォン。

画面には、地方競馬のオッズが並んでいる。


発走まで、あと数分。


男は一度だけ、こちらを見た。

視線は合わない。

だが、空気がわずかに歪む。


——今日は、荒れる。


理由はいくつもある。

馬場、返し馬、騎手の癖。

どれも数字にできる。


だが、今日はそういう日じゃない。


「賭けるかい?」


独り言に近い、軽い口調だった。


「いいえ」

俺は答える。

「今日は、見ない方がいい」


男は笑った。

冗談だと思ったらしい。

指で画面をなぞり、三連単を一つだけ追加する。


発走。


最初のコーナーで、形が崩れた。

逃げ馬の脚が重い。

来るはずの一頭が、来ない。


直線。

誰も想定していなかった馬が、内から突っ込んでくる。


配当表示。

男の肩が、目に見えて落ちた。


「……そんな日もありますよね」


そう言って、男は立ち上がる。

それ以上、何も言わなかった。


搭乗案内が流れる。

英語のアナウンスは、どこでも同じ抑揚だ。


席に着き、シートベルトを締める。

離陸の瞬間、身体が一度だけ押し付けられる。


この感覚は、嫌いじゃない。


高度が安定する頃、目を閉じた。

呼吸が、自然に揃う。


——必要はない。


胸の奥で、何かが起動しかけて、すぐに引っ込む。

今回は、使わない。


九月六日。

海外の試合は、予定通り終わった。


勝敗は記録に残る。

感覚には、残らない。


控室でシャワーを浴び、

タオルを肩に掛けたままスマートフォンを開く。

時差のせいで、日本はすでに日付が変わっていた。


ブックメーカーの画面に、

一つだけ目新しい項目がある。


——2020年夏季オリンピック開催地。


最終候補。

それぞれに、数字。


東京。

3.7倍。


数字を見た瞬間、

呼吸が一拍だけ揃った。


理由は考えない。

もう形は、閉じている。


賭け金の入力欄に、

「1万ドル」と打ち込む。

今日のレートでは、1ドル=99円台だ。


確認画面。

東京。

3.7。


確定。


それだけだ。


同じ部屋にいた選手が、

「何してる?」と聞いてきた。


「明日の話」

それだけ答える。


その夜は、よく眠れた。


九月七日。

移動のバスの中で、ラジオが流れている。


発表は、日本時間の夜。


窓の外を見ながら、

身体の重さを座席に預ける。


——問題ない。


この程度のことでは、何も起動しない。

ただ、そうなる場所に、先に置いただけだ。


夜。

画面の表示が更新される。


東京。


3.7という数字が、

ただの計算結果に変わる。


確認は、一度で十分だった。

払い戻しを済ませ、

そのまま別のページを開く。


車の予約フォーム。



BMW320iツーリング

色は、深いグレー。


オプションはレザーシートとナビだけ。

余分なものは、要らない。


納車は、数か月先。


送信。


それだけだ。


金は、溜めておくものじゃない。

使う場所に、先に置いておく。


画面を閉じる。


残りは、決済時のレートで考えればいい。

四月一日生まれの俺としては、問題ない。


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