改)プロローグ アンノウン もう一つのアナザーストーリー
2013年8月初旬の週末、俺は水道橋にある都のセミナーハウスにいた。
今日はネクストリーダーキャンプ(NRC)の終了式だった。
このNRCというのは、都立高校生を対象とした留学プログラムで、
北米各地の提携校におよそ100名が一年間ホームステイしながら通う。
旅費と生活費を含めた費用は年間80万円。
留学先で取得した単位も認められるため、制度上は留年せずに済む。
いかにも“美味しい”制度だ。
さらに俺の場合、震災特例という枠での参加だった。
帰国後のレポート提出と面談が増える代わりに、留学費用は免除された。
終会となり、
様々な制服姿の他校の生徒たちが次々に席を立つ。
こちらをじろじろ見たり、クスクス笑う輩もいる。
だが俺は気にせず、最後まで講堂に残っていた。
やがて講堂に入ってきたのは、
都立大学法人の担当者と、都の教育委員会の女性職員だった。
まず大学法人の担当者が、
五月にペンシルベニアで開催されたインテル国際学生科学フェアでの
グランプリ受賞を讃え、
「都立大学としては、入学金・学費ともに免除でお待ちしています」
と告げた。
いわゆるスカウト、というやつだ。
俺は少し考えてから、
「高校野球の球児の気持ちが、少し分かった気がします」
と答えた。
続いて教育委員会の担当者が、
それが当然であるかのような口調で、
都知事への表敬訪問の日程について尋ねてきた。
「優先的に対応します」
とだけ答えておく。
一時間後、ようやく解放された俺はセミナーハウスを出た。
レジメンタルのネクタイを外し、
その隣地にある「都立工芸技術高校」の校門をくぐる。
空手部の部室を覗くと、
酸味のあるコーヒーの香りが漂っていた。
黒いTシャツに黒いパンツ姿の長身細身――
モデルのようなルックスの男が、
優雅に脚を組み、紙コップのコーヒーを片手に電話をしている。
女だろう、と俺は思う。
このセナは分かりやすい。
女の子と話している時は、いつも嬉しそうな顔をする。
空手のような競技では、
なるべく表情が変わらない俺のようなタイプの方が有利だが。
二十分後、総武線に乗り、JR飯田橋で降りる。
久しぶりに、お気に入りのトラットリアで
スパゲッティを食べることにした。
デリケートな味付けが好みで、
部の連中とも時々来る店だ。
カリフォルニアのイメージだという店内では、
セナの電話の相手――佐倉真名美が、すでに席に着いていた。
長いストレートヘアに、
カーキ色のミリタリーパンツ。
ゆったりとしたTシャツ姿が妙に似合う。
真名美が立ち上がり、
「阿武先輩。おかえりなさい。
そして、おめでとうございます」
と、髪の先を指で弄びながら言った。
不思議なものだ。
俺の知る限り、“マナミ”という名前の女の子は、
だいたい可愛い。
「ああ、ありがとう」
すると真名美が、少し首を傾げて言う。
「……あれ、先輩。性格、変わったんですか?」
「何か、おかしいか?」
「いえ、その丸眼鏡。
ハリーポッターみたいだな、と思って」
「そうか」
俺が眼鏡を外すと、
真名美はサヴィル・ローのワーウックの刻印を見て、小さく頷いた。
「やっぱり、そうですよね」
「じゃあ、これは?」
俺は黒い革のトートバッグから、
レジメンタルのネクタイを取り出す。
「ビンゴ!
これ、ホグワーツ魔法学校のネクタイじゃないですか!」
なるほど。
セミナーハウスで俺を見てクスクス笑っていた連中は、
俺をコスプレ野郎だと思ったらしい。
「やられた。
また、あの母親に一本取られたな」
俺たちは、ゲラゲラと笑った。
「まあいい。ところで、
いつから、お前たち付き合いだしたんだ?」
そう聞くと、
「六月からです」
と、セナがはにかむように答えた。




