3話 信長の野望(改)
2018年、正月明け。
運河沿いのマンションの一室。
蜜は新しい事務所の長椅子に腰掛け、
コーヒーを静かに飲んでいた。
バッジは付けていない。
ジーンズにマスタード色のVネックセーター。
ナチュラルメイクだけで十分だった。
向かいには、パイカルと瑠衣。
「ハニー、入籍おめでとう。今年からは
信長の野望〈天翔記〉を一人でプレイしなくちゃならないな。……笑」
パイカルが言う「ハニー」は甘い呼び方ではない。
昔からの符号に近い。
「そうね。でも――」
蜜はカップを置き、窓の外に目を向けた。
「今はもう、“リアル”のほうが信長の野望になってきたわ」
「改めて分かったけど、この国、
中国と台湾に相当侵食されてる」
「あの野党の二重国籍議員も結局処分されなかったしね」
「彼女の二代前が“黒い霧事件”に関わっている。
今の与党幹部の二代前の連中ともワイロ仲間だった」
「宗旨替えした“その孫”を罰するのは、
彼らの“仁義”に反するらしい」
蜜は苦く笑った。
パイカルは一息つき、淡々と続けた。
「マスコミ対策はこちらでも進めるが、
オールドメディアは特に気をつけろ」
「信長の野望やってただけで、
妙な話に仕立て上げられそうね」
FMから一青窈『他人の関係』が流れる。
瑠衣はそのリズムに合わせ、軽く振りをつけていた。
パイカルは横目で見ながら、言葉を継ぐ。
「ああ。連中はハニーの味方じゃない。
『今だけ、金だけ、自分だけの政治にNOを!』
あのスローガンは連中に刺さりすぎる」
「国が豊かだからこそ甘い汁が吸える。
だが欲をかきすぎて、今や敵国側のスポンサーの言いなりだ」
蜜は小さく息を吐いた。
「……全く、世も末ね」
「全くだ。だから俺たちが呼ばれた」
パイカルは足を組み替えた。
「そろそろ時間だ。新年会には――新しい顔が来る」
チャイムが鳴った。
味沢がアギトと光一を連れて立っていた。
「おめでとうございます」
アギトが包みを差し出す。
「それ……アゼルバイジャン産?」
「いや、トカイです。“苦い話には甘いワインで”」
「食えない奴ね」
味沢が笑い、蜜は三人を中へ招いた。
リビング。
瑠衣が光一を見て微笑む。
「松尾さん、おめでとうございます」
光一はパイカルに一礼し、瑠衣にも軽く会釈した。
「おめでとう」
その声には祝意と……ほんの微かな寂しさが混じっていた。
全員がウォールナットの特注テーブルに着く。
瑠衣はリーデルのグラスを並べ、
前菜と握り飯を次々と運んだ。
ドヴォルザークの《新世界より》が静かに流れる中、
蜜の音頭で――乾杯。
味沢がシャケの握り飯を頬張り、
蜜もイクラを摘む。
美味いものを食べると、人は喋らない。
沈黙が、妙に心地よい。
光一が里芋を口に運び、ふと尋ねる。
「……これは?」
「うちの田んぼと畑で採れた米と里芋だ」
パイカルが続けた。
「“稲妻”の語源を知ってるか?
落雷のあった田んぼは数年豊作が続く。
土中の電位差と磁場が最適化され、微生物が活性化する」
光一は思わず目を見開く。
「旧日本軍はこれを物理学的に解析し、
満州の農地開発で実用化していた」
アギトが低く呟いた。
「……楢崎流風水か」
「その通りだ」
パイカルは頷く。
「だが敗戦後、アメリカが化学肥料を押し込み、
土地は酸化し、日本の農地は瀕死。
環境問題も温暖化も――根本は同じ“電位の乱れ”だ」
蜜が思い出すように言う。
「宇宙戦艦ヤマトでもそうだったわね。
酸化した“死の惑星”の人達が地球を侵略をする話」
パイカルは淡々と続けた。
「グローバリストは政治とメディアを握り、
本当の危機――“土壌の死”――を隠蔽している」
「台湾の金融マフィアは中国と裏で繋がり、
ドラッグと半導体を支配して世界を動かすつもりだ」
「そして奴らの半導体工場近郊では、
水源汚染が必ず発生する……偶然ではない」
沈黙。
「ノストラダムスの予言も……
まんざら無関係ではない」
そして、告げた。
「このままでは、十年以内に日本は終焉を迎える」
空気が止まった。
パイカルの虹彩がわずかに紫を帯びる。
その視線は、誰よりも遠い未来を見ていた。
「……この世界はバーチャルリアリティだ。
観客である我々にとっても、
これから起きるのは一つの“悲劇”の一幕にすぎん」
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「――だが俺たちは、もう最終話の結末を知ってしまった」
呼吸すら消える。
パイカルは静かに言い放った。
「――要は、誰が信長になるかだ」
因果率は臨界に達し、
黙示録の扉は音を立てて開いた。




