4話 カーニバルの朝
2018年に全国で開催された
《虐げられた者たちの芸術展》は、静かな話題を呼んでいた。
動画ユニット「トリニティ」──
吉岡、赤井、真名美の三人も企画として取り上げ、
その反響は想定以上に広がっていた。
撮影を終えた三人は喫茶店に腰を下ろし、編集方針をすり合わせていた。
店内では、カエターノ・ヴェローゾの歌う《カーニバルの朝》が静かに流れていた。
その旋律が、のちに“冥府からの呼び声”となることを、
三人の誰も知らなかった。
赤井がストローを噛みながら笑う。
「いやぁ……なんか俺たち、作品絡むと“プロ感”出るよな!」
吉岡はコーヒーを撹拌しながら頷く。
「視聴者は“トリニティのテンポ”を期待してるしな。」
真名美はスマホを置き、肩をぐるりと回す。
「よし。今日の編集はここまで。
……で、今年もやる? 昭和歌謡カラオケバトル」
三人は一度解散し、夜──
いつもの神楽坂のカラオケスタジオへ集合した。
◆
真名美が《仮面ライダーアギト》を熱唱している。
赤井はツッコミ待ちの顔でストローを噛みながら、
「おい真名美、それ昭和じゃ──」
と言いかけた瞬間、スマホが震えた。
画面には、
「アギト先輩」
赤井は眉を寄せ、通話ボタンを押す。
「もしもし先輩?
……え、ちょ、ちょっと……うん……」
短い沈黙。
スマホを耳から離した赤井の顔は、
泣き笑いとも困惑ともつかない“感情が形になる前”の表情になっていた。
「……ラズリさんが、亡くなった。」
アコースティックギターのイントロだけが、虚しく流れ続けた。
吉岡は息を呑み、
真名美はマイクを落としそうになりながら固まった。
赤井は震える声で続けた。
「……フェンタニルの急性中毒だって……
アギト先輩……声が……もう……」
部屋の空気が、まるで酸素を失ったように薄くなる。
カラオケルームは、一瞬で“音のない宇宙”へと変わった。
◆
1月後──四谷・大学の会議室。
「フェンタニル、だと?」
光一の問いに、フェルが静かに頷く。
「そう。合成麻薬だ。主な消費地はアメリカ。
日本ではほとんど流通しない……いや、流通する必要がない。」
「じゃあ、なぜラズリさんが?」
フェルは机に資料を滑らせる。
「君も知っての通り、“日本の税関を通過した物”に対しては
海外は検査が甘い。
“日本製なら安全”というブランドが、逆に盲点になる。」
そして淡々と続けた。
「今回さらに特殊なのは……
芸術展に出展された《少女像》の内部に、合成麻薬が仕込まれていたことだ。」
光一が目を細める。
「国外への搬出ルートか。」
「そうだ。
その運びの過程で、像の不審点に気づいたラズリさんが調べ、
漏れ出していた薬物に触れた。」
光一は低く呟く。
「……触れただけで死ぬなんて……VXガスみたいじゃないか。」
「人による。」フェルは言った。
「フェンタニルは、“数ミリグラムで呼吸を止める”。
体格差より、個体差が極端に出る麻薬だ。」
光一の拳が机の下で強く握り締められる。
フェルは静かに告げた。
「これは事故じゃない。
台湾企業を隠れ蓑にした中国のアメリカ浸透工作の一部だ。
だが……その裏で糸を引いているのは、エリシュオンだ。」
フェルは立ち上がり、宣告した。
「光一、“エリシュオン”の正式名称を教えておこう。」
光一は動きを止める。
フェルは一語ずつ噛むように発音した。
「Exo-Linked
Legacy &
Yield
Syndicate for
Influence,
Occult &
Network」
「外部勢力・歴史利権・収益のために、
影響工作・秘教詐術・巨大な共犯網を駆使する……
“文明の裏面”に潜むカルテルだ。」
光一は即座に理解した。
「……国家を越える犯罪組織か。」
フェルは小さく首を振る。
「違うよ、光一。
彼らは──国家を 作る側 の組織だ。」
◆
四十九日。寺の本堂。
線香の煙が揺れ、冬の光が畳に淡く落ちていた。
僧侶の読経が止み、参列者が頭を下げる中で──
光一は視線の先に立つ人物を捉えた。
蘭。
黒いコートの肩に積もる白い光。
手を合わせる横顔には、悲しみでも静謐でもない──
“別の次元の色”が宿っていた。
七年ぶりの再会。
蘭は気配に気づき振り返る。
目が合う。
だが光一は、驚くほど静かだった。
(……こいつとは、いずれ決着をつける。
だが、それは“今”じゃない。)
ラズリの死。
エリシュオンの影。
フェルの言葉。
光一の心は、すでに別の戦場へ向かっていた。
◆
四十九日が終わり、寺の石段を降りたところで──
フェルが光一を呼び止めた。
「光一。」
数日前の説明で、光一はすでに
エリシュオンの正体を理解している。
だから今日は “続き” だ。
「落ち着いているように見えるね。」
光一は短く頷く。
フェルは淡々と告げた。
「“動き”があった。
ラズリさんの件……エリシュオン側の反応が早すぎる。」
「……隠蔽か。」
「それより悪い。」
フェルは冬空を見上げた。
「彼らは、もう次の段階へ進もうとしている。
“実験”ではなく、本番のフェーズだ。」
光一の拳がゆっくり固まる。
「……アギトは?」
「何も言っていない。
だが、“戦うと決めた目”をしていた。」
フェルは光一の目を見て言う。
「光一。
君は、もう“巻き込まれた側”じゃない。」
光一は低く答えた。
「分かってる。
これはもう、俺自身の戦いだ。
──奴らを潰す。」
冬の空気がかすかに震えた。
フェルは背を向けながら言った。
「蘭くんのことは焦らない方がいい。
君たちは“同じ場所”へ向かっている。
だが、辿り着き方が違う。」
光一は返事をしなかった。
ただ、冷たい風の中で目を閉じた。
──黙示録の幕は上がった。
登場人物はすでに配置され、
物語は静かに、しかし不可逆に動き出していた。




