7話 メカニック
2017年年11月、「電撃フリントGoGo作戦」の軽快なテーマ曲が、風に乗って流れてくる中、
味沢と光一は、夢の島マリーナの二階の展望カフェでコーヒーを飲んでいた。
冬の陽光が差すテラス。その眼下では──
54フィートのスマートな新造クルーザー〈ムーディー DS54〉が、静かに給油をしている。
もちろん光一は、そこに“因縁の相手”である蘭が乗っているとは知らない。
そして味沢も、光一と蘭の過去に触れたことは一度もない。
格闘技ジムの帰りだ。
これまで二人はスパーリングを四度やった。
1分なら味沢が勝つ。
2分なら五分。
3分なら光一が勝つ。
──長期戦なら自分。だが実戦は、映画ではない。そんな悠長な時間はない。
光一は、素直に優越感を抱けなかった。
コーヒーを置いた瞬間、味沢が切り出した。
「中国残留孤児の連中が作った半グレ組織について……何か知っているか?」
光一は、無言で首を振る。
味沢は淡々と続けた。
「昔、残留孤児のための日本語学校を作った公益財団があった。
そこのOBの“やんちゃな連中”が中心になって、半グレ組織が出来た。」
湯気が、急に薄まった気がした。
「だが最近は、財団の言うことを聞かん。
どうも中国側の介入があったらしい。幹部がごっそり中国についた。」
「……財団は韓国や台湾とも繋がってたはずだろ。」
「だから、まずいんだ。」
味沢は、光一へ視線を寄越す。
「お前、格闘トーナメント決勝で当たっただろ。
あれが、その半グレ組織のナンバー2だ。」
光一の目が細くなる。
「……奴は湯田の義兄弟だ。」
海風が、一瞬だけ刃のように冷たくなった。
「つまり、俺に地雷を踏ませたってことですか。」
味沢は、静かに首を振る。
「湯田はお前が記憶喪失だと知った上で、雨宮のところに入ってきた。
お前と前後してな。」
光一の眉が動く。
味沢は、そこで核心を突いた。
「──お前を“監視”していたんだよ。」
光一は、言葉を失った。
「記憶喪失のお前を監視する理由が、奴らにはあった。
何かは聞かん。しかし──この五年、お前は喉元に刃を突き付けられながら生きていた。」
背筋が粟立つ。
兄貴の裏金。湯田による流用。
金貨の存在を知られていたら──記憶が戻った瞬間、掘りに行く前に奪われていた。
いや、もっと悪い。
何かを聞き出すために“生かされていた”可能性。
味沢が追い討ちを掛ける。
「宮本と飲みに行く約束でもしてたか?」
光一は、わずかに視線をそらす。
「やめとけ。
湯田の仇を取りに来るか、罠か。
それとも、単にお前に興味があるだけかもしれんが……お前は潜入捜査向きじゃない。」
「……わかりました、ビショップ。」
光一は静かにうなずく。
グループ内で味沢は、そう呼ばれていた。
曲がザ・ゾンビーズの「好きさ 好きさ好きさ」に変わる。
味沢は封筒を差し出した。
松田瑠衣。
1993年生まれ。
2013年4月死亡。
死因──薬物による急性アレルギー。
薬物を供与したのは、都内半グレ幹部──宮本 龍。
紙をめくるごとに、光一の呼吸が乱れていく。
結局、親父も兄貴も“本物”じゃなかった。
金だけ持たされ、役割を与えられただけの操り人形。
幕が閉じれば退場する、ただの役者。
そんななか──
唯一、自分を叱り、気に掛けてくれたのは瑠衣だった。
「アンタの家族は“ただ金だけある人たち”じゃない。
あんたまで同じにならないで。勉強でもして、そして本物になりな。」
辛辣な言葉なのに、
なぜか嬉しかった。
味沢は短く言う。
「……残念だが、松田瑠衣はもういない。」
報告書をテーブルに置くと、味沢は静かに席を離れた。
そのとき──
〈ムーディー DS54〉が、給油を終えて埠頭を離れ始めた。
光一は、椅子を払いのけるように立ち上がった。
胸の奥で、何かが破裂した。
「──あああああああああああああッ!!!」
客たちが恐る恐る振り返る。
海鳥さえ、一瞬、羽ばたきを止めた。
光一は巨体をアルミのテーブルに突っ伏し、しばらく動かなかった。
そして──
そんな光一をあざ笑うかのように、
テラスでは「酒と薔薇の日々」の戦慄めいた旋律が、どこからともなく流れ込み、
冷たい指先で、そっと光一の背中を撫でていった。
金本光一(松尾ルイ)に関しては
一部9章 最も危険なゲーム
参照ください。




