6話 マイウェイ
2017年・春。
市ヶ谷の防衛省と道路を挟んで向かい合う位置に、
築五十年のヴィンテージマンションが立っている。
光一はランドクルーザーを駐車場に止め、
最低限の引越し荷物だけを運び込んでいた。
建物は“く”の字型で、南東の吹き抜けにはプールがある。
夏には住民たちの憩いの場になるらしい。
(……日本のセキュリティ、どうなってる)
防衛省の真横に、こんな“抜け道”だらけのマンションがある時点で、
光一には理解不能だった。
住民の一部は外国人──
その数と顔ぶれから見て、諜報関係者でほぼ間違いない。
アメリカの政治家には三種類いると言われる。
1.外国勢力に買収された者
2.マフィアに買収された者
3.グローバリストに買収された者
日本の政治家も大差ない。
……まあ、自分も最近“宗旨替え”した身なので、偉そうには言えない。
AO入試は驚くほど滑らかに通過した。
雨宮の言う“神の見えざる手”が働いたのか、
一週間後にはS大学・総合グローバル学部への入学が決まっている。
六年遅れの大学生活──悪くない。
味沢からは
「その学部なら社会人経験者も外国人も多い。お前の外観でも浮きにくい」
と勧められていた。
合格後、一度だけ福島の実家へ戻ったが、
家業は倒産し、父には成年後見人がつき、
名義上の資産は親戚筋にきれいに吸われていた。
まあ、予想通りだった。
光一は原発近くの“ある場所”を掘り返し、
兄と隠していたクルーガーランド金貨を取り出した。
兄は株も不動産も信用せず、
金だけを“本物”として扱っていた。
また“契約金”なのか、
密かに売りに出されていたこの市ヶ谷の部屋を紹介され、底値で買った。
東京オリンピック決定後、不動産価格は急騰している。
このマンションも建て替えとなれば、莫大な利益を生むだろう。
光一の部屋はもともと3階角の70平米・2LDKだったが、
現在1LDKに改装中。
リフォームの二ヶ月間はフィリピンへ渡り、軍事訓練を受けた。
(……雇い主が俺に何をさせたいか、もう分かってる)
だが“土台人”時代のように
“有能な半グレ”に戻るつもりはない。
まずは大学で──瑠衣の痕跡を探すつもりだった。
⸻
◆入学後 一週間
新生活の始まりは、光一にとって“作業”に過ぎなかった。
履修登録、新歓、サークル勧誘。
どれも、役割としての意味しかない。
1号館の自販機横で、缶コーヒーを指先で転がしながら立つ。
飲む気はない。
ただ“何者でもない姿勢”を取るための道具。
(相変わらず、ノイズが多い)
学生たちの声が、ザラザラと波のように押し寄せる。
「法学部にモデルみたいな新入生いるらしいぞ」
「合同コンパ、来週に決まったー!」
「外語のあいつ可愛くね?」
軽い。
情報としての価値はゼロ。
光一は“新入生”には見えない。
誰も勧誘しない。
誰も声をかけない。
むしろ、避ける。
理由は簡単だった。
光一の背後には、フィリピンの訓練施設で育った
**“獣の密度”**が残っている。
大学の軽い空気とは相性が悪すぎた。
(……だが静かなほうが動きやすい)
瑠衣を探すには、群れの外側にいたほうがいい。
その時──
階段のほうから、
“波長の違う音”がふっと届いた。
光一は無意識に顔を上げる。
雑音の海の中で、
ただ一つだけ輪郭をもった“響き”。
胸の奥の回路が、微かに震える。
(……この気配は)
世界が一瞬だけ静まり返った。
光一は缶コーヒーを捨て、階段へ向かう。
⸻
◆渡り廊下──“異質なもの”は現れた
春風。
若い声。
コーヒーの匂い。
昼下がりのキャンパス。
その中心に──
たった一人だけ、世界から切り離された男が立っていた。
身長は190近い。
絵筆で描いたような金髪。
瞳は氷のような薄いグレー。
光一より年上に見えるが、学生証は下げている。
白人──それだけでは説明がつかない。
“場の密度が違う”。
フィリピンで見た傭兵たちと同じ“重さ”。
男はスマートフォンから視線を上げ、薄く笑った。
「やあ、カナモト・コウイチ君だね?
いや──今はマツオ・ルイ君だったか。」
光一は答えない。
数メートルの距離を保ったまま足を止める。
男は気にも留めず歩み寄った。
「初対面のはずだけど……その顔だ。
まるで“もう知っていた”みたいに。」
(……この感じは、“敵”でも“味方”でもない)
“任務を持った運搬係”の匂い。
男は胸ポケットから白い封筒を出した。
どこにも差出人は書かれていない。
「これは、君への最初の連絡だ。
送ったのは……まあ、分かるだろう?」
光一は受け取らない。
男は苦笑して肩をすくめる。
「安心しろ。爆弾じゃない。
開けて死ぬのは……君じゃなくて、別の連中だ。」
光一は静かに封筒を奪うように取った。
(……重くない。紙一枚か)
男はくるりと踵を返し、人混みへ戻っていく。
「名前は?」
光一が背中に声を投げる。
男は振り向かず、片手をひらりと上げた。
「フェルディナンド。
君と同じ──“今しか生きていない人間”だ。」
そして消えた。
光一は封筒を見下ろす。
中で何かが、かすかに揺れた。
風の音が消え、
世界が一瞬深く沈む。
(……ようやく動き出したか)
光一はポケットに封筒をしまい、
校舎の影へと歩き出した。
これは大学生活の始まりではない。
新しい戦場への──開戦通知だ。
──END──




