表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/124

5話 狼の挽歌


パイカルが去った直後だった。

入れ替わるようにして、一人の男が雨宮のもとを訪れた。


味沢——。

かつて南米の駐在武官として、雨宮と同じ時期に“地獄”を歩いた男だ。


二人はワインを開け、久しぶりの再会を楽しむように昔話へ火をつけた。


「しかし……あの頃は最悪だったな。

外務省の連中、ヘタレのくせに俺たちをパーティーの駐車場係扱いしやがってよ」


雨宮は渋い顔で笑い、グラスの脚を弄る。


実はこの二人には、他人には話さない共通点があった。

どちらも**広島の“原爆二世”**として生まれ、幼い頃から医者にこう言われてきた。


──君たちは“がん”のリスクが、生まれつき高い。


その言葉は影のように、ずっと二人の背に張りついていた。


そんな彼らの思考を覆したのが、南米大使館に派遣されていた、如月博士だった。


博士は煙草の火を弾きながら告げた。


「広島・長崎に、原爆は落ちていない」


味沢は今でも、あの場の空気の重さを覚えている。


如月は続けた。


「熱量計算をすれば一目瞭然だ。

爆心地近くの建物の骨組みが残るはずがない。

地面は巨大なクレーターになり、植物は百年は生えない。

だが実際にはどうだ? 辻褄が合わん」


雨宮はあの時、背筋に冷たいものが流れた。


「ケロイドはマスタードガスの典型症状だ。

本当に放射線で焼かれていれば、骨まで汚染されて、誰一人生き残れない」


如月は淡々と言った。


「アメリカと日本政府が組んだ“戦後最大のペテン”だよ。

硫黄マスタードと焼夷弾を大量投下しただけだ。

アメリカはその後も、世界中でマスタードガスを使い続けている」


その夜、雨宮と味沢の人生は静かに軌道を変えた。


帰国後、雨宮は自衛隊を退き、

味沢とは疎遠にならず、今でもこうして酒を酌み交わせる仲だった。


今日は、雨宮のほうから味沢を呼んでいた。


味沢はグラスを置き、本題を促した。


「うちのパイカルの連れが迷惑かけたようだな?」


雨宮は肩をすくめ、声を潜めた。


「味沢さん……実は一つ、お願いが」


「俺にできる範囲なら言え」


雨宮は短く息を吸った。


「ウチで預かっている若いのに、松尾ルイという男がいます。

そいつが……帯刀を取り押えました」


味沢は鼻で笑った。


「取り押えた? 『半死半生』にしたって聞いたが」


「まあ、その通りです」


雨宮は苦く笑い、続けた。


「その松尾が、地下格闘技“モノノフ”に出ます。

優勝したら……あるミッション系大学の推薦枠が欲しいんです」


味沢はワインを回し、深い赤を眺めた。


「確かに、ミッション系の高校なら推薦枠がある“建前”はある。

だが——松尾とは、どんな奴だ?」


雨宮の声は静かだった。


「東北震災で記憶を失い、ウチで預かっている。

大検を取り直し、AOでその大学を受けさせます」


味沢の目がわずかに鋭くなる。


「……なるほど。顔を見ることは可能か?」


「すぐにでも」


雨宮はスマホを取り出した。


──ここから、運命の歯車が音を立てて回り始める。


===============================


◆モノノフ — 本戦(総合格闘技トーナメント)


会場は“東京の地図に載らない場所”。


湾岸の再開発地区。

地上げに失敗した埠頭の倉庫群。

照明は最低限。観客は“呼ばれた連中”のみ。


中央には狭いケージ。

逃げ場はない。


赤井と吉岡は控室から裏番組を撮影し、

パイカルは観客席の影で腕を組み、

味沢は無言で会場全体の“熱”を測っていた。


雨宮は光一の背中に一言だけ告げる。


「湯田の件……わかってるな?」


光一は頷きもしない。

ただケージへ、静かに足を運ぶ。



★【準々決勝】光一 vs 元キック “コンクリート松”


ゴング。


松が距離を詰めるより早く、

光一の“蹴撃”が地面を叩くように放たれた。


ドンッ。


低く重すぎる音。


松の軸足が折れ、横へ崩れた。


レフリーが割って入る頃には、

足の角度がおかしい。立てない。


試合時間:7秒。


観客席がざわつき始める。


「何だ今の……蹴りじゃない」

「衝撃だ……骨が潰れてる」

「あれ、人間のパワーじゃない」


光一は微動だにせず、息も乱さない。



★【準決勝】光一 vs 湯田(同門)


名前が呼ばれた瞬間、会場の空気が凍った。


湯田は笑っていたが、

目だけが完全に死んでいた。


雨宮も味沢もパイカルも、

この試合の“意味”を悟っていた。


◆ ゴング。


湯田は一気に距離を詰め、

タックルフェイントから右ストレート。


速い。

だが光一には“波”として見えていた。


光一のジャブが湯田の視界を歪める。


続く肘撃が、湯田の頬骨を破砕した。


乾いた骨音。

湯田はまだ倒れない、そして

光一に組みつく——その瞬間。


光一は迷いなく首を抱え込み、

ギロチンに落とした。


普通の締めではない。


ねじる。

捻り潰す。


湯田の頸椎が、きしみながら“縦に折れた”。


光一は締めを解く直前、

湯田の耳元で、低く静かに囁いた。


「……思い出したよ、湯田。

 全てお前の裏切りから始まった。」


湯田の瞳が、割れたガラスのように揺れる。



湯田の力が抜けていく。


光一は淡々と言い放つ。


「これでようやく……帳尻が合う。」



レフリーが飛び込むころには、

光一はすでに湯田の身体を放していた。


湯田は微動だにしない。


雨宮は腕を組んだまま、

わずかに目を閉じた。


試合時間:34秒。


光一は振り返らない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ