表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/124

8話 ある晴れた日に(改)


新宿・老舗デパート


有線で“いそしぎ”のBGMの流れる

メンズフロアの鏡の前で外す、光一は襟付きのシャツを選んでいた。


白い照明の下、鍛え抜かれた腕と古傷がわずかに覗くたび、

すれ違う客は本能的に距離を取る。


それを見て、後ろのソファでコーヒーを啜る味沢が言った。


「……だから言ったろ。

 お前はTシャツを着るな。うちの猫が怖がる。」


「……猫?」


「外の人間もだよ。」


味沢は、ブルックスブラザーズの白いポロカラーシャツを取り上げ、光一に向ける。


「ほら、これ。

 誰でも“優等生”に見える仮面だ。

 俺も現場で散々試したが、機能性もコスパも最高だ。」


光一が袖を通す。

その瞬間、わずかに“野生”が薄れ、社会の輪郭が重なった。


曲は“オールオブミー”に変わる。


味沢は満足げに頷くと、自分の腕から革バンドのグランドセイコーを外すと光一に

投げてよこす。

Gショックも悪くないが、「牙を隠すには、こういう、主張しないスタイルの方がいい。

 お前がヒューゴボスなんか着たら──」


「……着たら?」


「ナチスだ。完全にアウト。」


光一は思わず噴き出す。

味沢の冗談は、ときどき人を殺しかねない。


他にも上品な縁無しの伊達眼鏡、カンペールのスニーカーを買い


会計を済ませ、二人が横断歩道へ向かう。


ちょうどその瞬間──

白いボルボV50 が静かに前を通り過ぎた。


窓の隙間から、

山下達郎「エンドレス・ゲーム」のイントロが微かに流れてくる。


光一は気づかない。

だが運命は、ゆっくりと交差を始めていた。


吉岡蓮は、白いボルボV50の荷室から機材を降ろしていた。

ビデオカメラ、キャンプチェア、簡易照明──

必要最低限の“誠実な仕事道具”。


ボルボV50のサイズはゴルフワゴンとほぼ同じ。

エンジンは2リッター。

同年式のベンツCクラス(W204)と比べると燃費も取り回しも劣り、

都内の細い路地ではむしろベンツのほうが扱いやすい。


それでも吉岡は、この北欧車を気に入っていた。


華美ではなく、主張しない。

必要な分だけ積んで、静かに走る。

「背伸びしない自分」にいちばん近い車だった。


本業は公共テレビ局のAD。

休日は相棒の赤井と動画制作をしている。

最近になって妙に人気が出てきた。


とりわけ、自ら企画した地下格闘技イベント──

「モノノフ」。

あれは“バズる”という言葉では追いつかない。


64名のアウトローが集まり、

パイカルと味沢という“人外”がセキュリティに立ち、

空気が震えるほどの熱気だった。


……だが、その裏側で“余波”が生まれた。


あの日、リングで倒れた男──湯田。

昨夜、その 死亡の報せ が届いた。


準決勝で“松尾ルイ”に倒され、搬送された男。

ただの参加者の一人……のはずだった。


吉岡は胸の奥がわずかに沈んでいくのを感じた。


湯田の死以上に、

吉岡を震わせたのは別の事実だ。


赤井によれば──

湯田を倒した男“松尾ルイ”は、

中学時代の裏番にして東北震災で消息不明になっていた、“あの怪物”・金本光一 らしい。


当時の面影は薄かったが、

“普通の格闘家”でないことは一目で分かった。


吉岡はベージュのタイルの古いマンションのエントランスへ向かう。


新宿御苑・千駄ヶ谷門に面した

70平米・2LDKのマンション。

一月前に越してきたばかりだが──


福島の沿岸部で育った自分には、

こういう“静かな場所”でないと落ち着かないことが、

最近になってようやく分かってきた。


(……光一、どうしてるんだろうな)


6階バルコニーから新宿御苑を眺め、

吉岡はぽつりと呟いた。


そのとき携帯が鳴る。真名美だ。


「ねぇ蓮、久々に昭和歌謡バトルやらない?

 あたし今天城越えの気分なんだけど!」


吉岡は吹き出し、澄んだ空を仰ぐ。


遠くで救急車のサイレンが鋭く鳴る。

まるで“何かの前触れ”のように。


「……今日くらいいいだろう。」


赤井にも電話を入れる。


「了解。場所は俺が決める!

 シェイクスピアさえ嫉妬する──

 俺の表現力を見せてやる!」


いつもの軽薄な声が、今日は妙に頼もしい。


「赤井……まさか、お前、妖怪人間ベムとか歌わないよな?」


ほんの一瞬の沈黙。


「いや……歌うけど?

 あのジャージーなベースが堪らんのだよ。」


吉岡は天を仰ぎ、肩を落とした。


シャワーを浴び、

お気に入りのグレーのヘンリーネックに着替え、

赤井にもらったエメラルドのチョーカーをつける。

時計はオメガのシーマスター。


玄関の鍵を閉める前、もう一度だけ空を見上げた。


雲ひとつない初秋の空。

その奥で──


“エンドレス・ゲーム”の歌詞のように、

世界がわずかに軋む気配がした。


12月12日15時9分 加筆しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ