第十一話 邂逅
12話に合わせて11話をリライトしました
神楽坂の、こんじんまりとしたホテル——アグネス。
気分転換したい時、たまに一人で来る。
頼むのは、ウォッカ・ドライマティーニ。
今日は、トリニティが隣にいた。
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旧車の話をしていた。
エンジンの音だの、キャブの癖だの、どうでもいい話。
そのどうでもよさが、ちょうどいい。
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ふと、ドアが開いた。
一人の男が入ってくる。
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——アギト。
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トリニティの指が、わずかに止まる。
「……越えてきた」
小さく呟いた。
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この席の周りには、妙な“間”がある。
意識されない程度のズレ。
普通の客は、無意識に避ける。
だが——
アギトは、そのまま歩いてきた。
何もなかったかのように。
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「やあ」
軽い調子で言う。
「お取り込み中、失礼するよ」
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ポケットから、小さなプラスチックの箱を取り出す。
ジッポーほどの大きさ。
カウンターに置く。
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「ノイズキャンセラーだ」
一拍。
「ルーカススタジオ謹製。悪くないだろ?」
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「ここから先は、外に出ない」
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トリニティが、わずかに笑う。
「ライトセイバー以外にも色々あるのね」
グラスを傾ける。
「それにしても……随分と強引」
一拍。
「あなた、こちら側の人?」
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アギトは肩をすくめた。
「当たらずとも遠からず、かな」
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「赤い薬は飲んだよ」
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軽い口調。
だが、軽くはない。
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俺はグラスを置く。
「……不知のことですが」
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アギトは、わずかに頷く。
「あれは、警告だ」
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「海の向こうの連中へのね」
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アギトはグラスに触れたまま、続けた。
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「やり方は、昔から変わらない」
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トリニティが、あっさりと言った。
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「毒ガスと大型ナパームの複合爆弾」
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一拍。
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「それを原爆と呼ぶ茶番に——」
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「天皇制の存続を条件に、日本は乗っただけよ」
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「……」
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言葉は出なかった。
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だが——
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妙に、筋が通っている。
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通りすぎているくらいだ。
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だからこそ、気味が悪い。
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アギトが、さらりと言う。
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「名前は、後からどうにでもなる」
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俺は、グラスを見た。
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透明な液体の中で、氷がゆっくり溶けている。
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形は残る。
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だが——
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中身は、いくらでも変わる。
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……俺としては、妙に合点がいった。
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——世界は、悪意に満ちている。
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「穏便に済ませるなら、やり方はいくらでもある」
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アギトが続ける。
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「例えば——」
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「モバイルバッテリーでも、爆発させればいい」
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言い終える前に、意味は伝わる。
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「呉は?」
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「捨てられた」
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「よくある話さ」
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感情はない。
事実だけを置いていく。
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「それで」
俺は言う。
「今日は、何の用です」
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アギトは、こちらをまっすぐ見る。
「君に会いに来た」
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一拍。
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「ウチのボスがね」
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わずかに笑う。
「“超越者”に興味を持った」
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トリニティの視線が、俺に移る。
「どうするの?」
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俺は答えない。
グラスを指で回す。
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アギトが、ポケットから硬貨を取り出した。
軽く弾く。
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カウンターの上で、回る。
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止まりかけたところで——
俺は、指先でわずかに触れた。
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回転が、延びる。
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トリニティが眉をひそめる。
「……何の真似?」
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アギトは何も言わない。
ただ、見ている。
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もう一度、触れる。
角度を、ほんのわずかに変える。
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硬貨は、静かに立ち上がった。
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縁で、止まる。
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——カラン。
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俺は、そのまま硬貨を摘まみ上げた。
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グラスに落とす。
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ウォッカの中で、沈む。
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だが——
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沈みきらない。
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縁に引っかかり、そこで止まる。
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トリニティが、小さく息を呑む。
「……嘘でしょ」
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アギトが、初めて“評価”の目を向けた。
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「……なるほど」
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「ズレを、使っている」
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俺は、何も言わない。
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アギトは、わずかに笑った。
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「いいね」
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「気に入った」
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グラスを持ち上げる。
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「歓迎するよ」
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一拍。
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「こちら側へ」
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ノイズキャンセラーのランプが、静かに消える。
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バーの空気が戻る。
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外では、いつもの夜が続いている。
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だが——
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もう、同じ場所ではない。




