9-5 海と夕陽に照らされる君の横顔
海の日。
朝から日差しは強く、駅前のアスファルトがじりじりと熱を帯びていた。
駿は待ち合わせ場所に立ちながら、何度目か分からない時計を見る。
まだ少し早い。
けれど、じっとしているのも落ち着かなくて、視線だけがあちこちを彷徨う。
「駿」
名前を呼ばれて顔を上げる。
一瞬、言葉が出なかった。
果奈が立っている。
髪を下ろしていた。
いつものポニーテールじゃない。
風に揺れるその髪が、見慣れているはずの彼女を少しだけ別人に見せていた。
「今日は髪型変えたんだね」
「うん。たまにはいいかなって思って」
少しだけ不安そうに、こちらを覗き込む。
「どう? 似合ってる?」
「すごく似合ってる」
間を置かずに言えた。
それから気づく。
「あと……誕生日プレゼントのヘアピンも、つけてくれてるんだ」
「当たり前でしょ」
少しだけ照れたように笑う。
「駿とデートする時は、絶対につけるって決めてるんだから」
髪を下ろした果奈と最後の一言で、今日は満足したような気分になる。
バスに乗る。
窓の外に流れる街並みをぼんやりと眺めながら、隣の気配を意識してしまう。
やがて降り立った場所には、視界いっぱいに海が広がっていた。
真夏の青空が、その色をさらに濃くしている。
「海、すごく綺麗。ってことは、今日の目的は海?」
「うん。具体的には海辺の散策と最近リニューアルしたばかりの水族館に行くって感じ」
果奈が嬉しそうに言う。
「せっかくだから、海の日っぽくね」
夏にぴったりなデートプランで、自然と気持ちが高まる。
海辺を歩く。
潮の香りと、照り返す光。
途中で見つけた人気のあるジェラート屋に立ち寄る。
自分はバニラ、果奈はストロベリーのジェラートを買った。
近くの海が一望出来る公園で食べ始める。
「バニラ味のジェラート、美味しい」
思わずこぼれる。
「濃いのにさっぱりしてる」
「私のジェラートも苺の甘酸っぱさが効いていて美味しい。駿も一口食べてみる?」
果奈がスプーンを差し出してくる。
一瞬、迷う。
「……いいの?」
「いいよ」
何でもない顔で言う。
受け取って、一口。
甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
「どう?」
果奈の言葉には含みがあるように聞こえた。
そして、じっと見てくる。
「口の中いっぱいに、苺の風味が広がって美味しい」
最初のデートで口にした果奈のケーキは緊張のあまり、味が全くしなかったが、今回のジェラートはちゃんと味わえた。
「果奈も一口どう?」
「良いの?じゃあ、貰うね」
差し出すと、少しだけ取って口に運ぶ。
その仕草が妙に意識に残った。
何でもないはずなのに、さっきから少しだけ調子が狂う。
「暑くなってきたし、ちょっと早いけど、涼みがてら水族館に向かわない?」
果奈が少し早口で言う。
「そ、そうだね。このままだと干からびてしまいそう」
夏の日差しの暑さとそれとは違う別の暑さが襲うなか、水族館へと向かった。
水族館に入ると、ひんやりとした空気に包まれた。
目の前には、大きな水槽。
サメとエイがゆったりと泳いでいる。
「最後に来たのが幼い時であまり記憶ないけど、こんなに凄い水槽なんてあったっけ?」
「リニューアル前も良かったんだけど、リニューアルして魚の種類が増えたり、水槽の雰囲気も変わって、更に良くなったの」
「ほら見て、あそこにシュモクザメが居る」
「シュモクザメ?」
「頭がT字型になっているサメ」
よく見ると、頭がT字型になっているサメが泳いでいることに気付く。
「このT字型の頭部はセンサーにもなっていて、それで獲物を探すんだよ」
「生きている潜水艦みたい。にしても、果奈は魚に詳しいんだね」
「幼い時から水族館が好きで、興味持った魚は図鑑で調べたりしてたから、自然とそういう知識が身に付いたと思う」
「そうなんだ。これから見ていく水槽で疑問に思った魚が居たら、果奈に聞くよ」
「うん、任せて」
聞きながら、ふと思う。
(こういう顔、初めて見たかも)
好きなものを語る時の、少し早口な声。
目がきらきらしている。
新しい一面だった。
水槽を回るたびに、果奈の説明が続く。
その時間が、妙に楽しかった。
やがて外に出ると、イルカショーが始まるところだった。
「せっかくだし、見ていこ?」
「もちろん」
前の方に座り、ショーが始まる。
その途中、近くまでやってきた1匹のイルカが跳ね、水しぶきが上がる。
その一瞬。
ばしゃっ、と水がかかった。
「うわっ!」
思いっきり濡れる。
「ビッショビショ……駿、大丈夫?」
「大丈夫、果奈こそ大丈夫?」
隣を見る。
息が止まった。
濡れた服が、少しだけ肌に張り付いている。
慌てて視線を逸らす。
「ハンカチ、使う?」
「……ありがとう」
受け取るときも、果奈の方を見ないようにする。
でも――
見てしまいそうになる。
(何考えてんだ、俺)
頭を振る。
ショーに集中しようとするのに、どうにも落ち着かない。
終わる頃には、服も少し乾いていた。
そのまま館内を回り、帰りのバスに乗る。
窓の外に広がる海が、夕日に照らされていた。
「今日、楽しかった?」
「うん」
迷わず答える。
「特に、水族館。果奈の説明付きってのが良かった」
「ほんとに、嬉しい」
「一つ、お願いしてもいい?」
「何?」
「いつか、また別の水族館も一緒に見に行こ」
「分かった。絶対に行こう」
自然と口にしていた。
「うん」
その笑顔が、さっきまでの海よりも眩しく見えた。
しばらくして。
肩に、重みを感じる。
横を見ると、果奈が寄りかかって寝ていた。
果奈の幸せそうな寝顔と静かな寝息。
動けなくなる。
このまま時間が止まればいい、なんて思ってしまう。
少しだけ姿勢を整える。
起こさないように、そっと。
果奈が知ったら慌てると思う。
でも、自分にとっては今日のデートを締め括る最高の思い出となった。




