8-4 仕方ないことだけど……
同じ日の夜。
美生が家に帰ると、玄関の隙間から明かりが漏れていた。
こんな時間に灯りがついているのは珍しい。
扉を開けると、リビングにはお父さんの姿があった。
「ただいま」
「おかえり、美生」
「今、料理温めるね」
「ありがとう」
キッチンに向かい、夕食を温め直す。
湯気の立つ皿をテーブルに並べると、お父さんは「いただきます」と手を合わせ、家族団欒のひとときが始まる。
学校のこと。
最近の出来事。
何気ない会話が続いたあと、お父さんが箸を置いた。
「実はな」
少しだけ真面目な声だった。
「今の会社を辞めて、別の会社に勤めようと思ってるんだ」
一瞬だけ驚いたが、すぐに頷いた。
「いいと思うよ」
お父さんの顔を見る。
「今の会社、休みも不規則だし、帰りも遅い日が多いからね」
お父さんは少しだけ苦笑した。
「そうなんだよな。次の会社は休みも安定してるし、帰りもそこまで遅くならない」
「じゃあ、いいことじゃない」
「ただ……」
お父さんは言葉を選ぶように続けた。
「出張があるんだ。月に何回か、遠くに行くことになる」
「出張?」
「数日家を空けることもあって、その間、美生を1人ぼっちさせてしまうかもしれなくてね……」
申し訳なさそうに話す。
その表情を見て、胸が少しだけ温かくなった。
「大丈夫だよ」
自然に言葉が出た。
「その分、一緒にいられる時間が増えるなら、私は嬉しい」
お父さんの目が少し柔らいだ。
「そう言ってくれると助かる」
そして、少し間を置く。
「それで……一つお願いがあってな」
「お願い?」
「出張のとき、浅村君の家に泊まらせてもらえないか」
流石のお父さんのお願いでも、戸惑いが走った。
「いきなりそんなことを頼んだら、駿君達に迷惑がかかるんじゃないの?」
けれどそれ以上に、別の不安が胸に浮かぶ。
駿君と、果奈ちゃん。
二人は付き合っている。
幼馴染とはいえ、同じ屋根の下で過ごすなんて。
申し訳ない気持ちが、胸の奥で広がった。
「分かってる。でも」
お父さんが静かに言う。
「今の仕事も、帰れない日があった。だけど、数日間、美生を家に一人させるのはやっぱり心配なんだ」
お父さんは深く頭を下げた。
「健介からは許可は貰ってある。お願いできないか」
その姿を見てしまうと、断ることなんて出来なかった。
「……分かった」
小さく頷く。
「ありがとう、美生」
お父さんが安心したように息をついた。
「お父さんの心配する気持ちも分かるし、健介さんが許してくれるのなら、そうするよ」
そう言ったものの、胸の奥のざわつきは消えなかった。
お父さんが夕飯を食べ終えた後、明日の準備などを済ませて、布団に入り、天井を見つめる。
駿君の家に泊まる。
その事実が、頭の中で何度も繰り返される。
(大丈夫)
自分に言い聞かせる。
(いつも通りでいればいい)
幼馴染として。
それ以上でも、それ以下でもなく。
小学生の頃、何度も泊まりに行ったことがある。
あのときと同じだ。
(……だから、大丈夫)
そう思おうとした。
けれど、小さな違和感だけは消えない。
窓の外では、月が静かに夜空を照らしていた。
だがしばらくすると、流れてきた雲がその光をゆっくり覆い隠す。
部屋の中は、少しずつ暗くなっていった。




