6-9 言いたいけど、言えない
大会が終わり、駿は帰路に着いていた。
空は夕焼けに染まり、街全体が柔らかな橙色に包まれている。
普段なら足を止めて見上げる光景だ。
けれど今日は、その光がやけに眩しくて、目に刺さるように感じた。
個人戦の結果は、祐希がベスト16。県大会出場。
同じ部の仲間として、誇らしい結果だ。頭では、ちゃんとそう理解している。
それでも――その事実を思い出すたび、胸の奥が小さく軋んだ。
自分は、二回戦で終わった。
家に着き、玄関を上がる。
居間の扉を開けた瞬間、湯気の立つ夕飯の匂いがふわりと広がった。
「兄さん、おかえり」
先に声をかけてきたのは、結だった。
「今日の試合、疲れたでしょ。兄さんの好きなの、父さんと一緒に作ったから」
一瞬、足が止まる。
普段はどこか素っ気ない妹が、こちらをちらりと見て、少しだけ視線を泳がせていた。
「駿」
お父さんが、続けるように口を開いた。
「久しぶりに試合を見たけど……前より、ずっと上手くなってたな。あの相手に、あそこまで食らいついてた。無駄な試合じゃなかったと思うぞ」
胸の奥に溜まっていた重さが、ほんの少しだけ緩む。
その瞬間――
「父さん!」
結が、思わずという様子で声を荒げた。
「兄さんが負けた話、今しなくていいでしょ!」
お父さんは一瞬言葉に詰まり、気まずそうに咳払いをする。
「……すまん、駿」
「……もう」
それだけ答えて、視線を落とす。
胸の奥はまだ重い。
けれど、その重さの底に、確かな温もりがあるのを感じていた。
不器用で、回りくどくて。
それでも二人なりに、自分を気遣ってくれている。
「……ありがとう」
思ったより低い声が、静かに部屋に落ちた。
「県大会に出るために、もっと頑張るよ」
それは二人に向けた言葉であり、同時に、自分自身へ言い聞かせる言葉でもあった。
「うん。頑張って、兄さん」
「お父さんも、全力で応援する」
お父さんが少し無理をした明るさで手を叩く。
「ほら、料理が冷めるから、早く食べよ」
促されるまま席に着き、箸を取る。
味は、きっといつもと同じだ。
それなのに今日は、不思議と胸に沁みた。
風呂を終え、部屋に戻る。
スマホを見ると、通知がいくつも溜まっていた。
直己、美生、そして果奈。
直己と美生には、短く返事を送る。
残ったのは、果奈からの二つのメッセージだった。
『大会、おつかれ』
『結果はどうだったの?』
画面を見つめたまま、指が止まる。
ラケットを握った手の感触。
観客席のざわめき。
ポイントを落とした瞬間、何も言えなくなった自分。
喉の奥が、きゅっと詰まった。
しばらく迷ったあと、ようやく文字を打つ。
『県大会、行けなかった』
それだけ送信して、すぐスマホを伏せた。
これ以上、何かを聞かれるのが怖かった。
翌朝。
待ち合わせ場所には、すでに果奈が来ていた。
こちらに気づくと、いつも通りの笑顔を向けてくる。
「おはよう、駿」
「おはよう」
二人で歩き出す。
果奈の歩幅が、ほんの少しだけ早い気がした。
追いつけないのは――足じゃない。
自分の心だ。
学校までの道で、テストの話や他愛のない会話で盛り上がる。
けれど、大会の話題は出なかった。
それがありがたくて。
同時に、少しだけ苦しかった。
教室で別れ、席に着いた途端、ため息がこぼれる。
「おい、朝からどうした」
直己が何気ない顔で話しかけてきた。
「早川さんと喧嘩か?」
「違う。そんなことなら、もっと落ち込んでる。これ以上変なこと言ったら、誕生日プレゼントなしな」
「ごめんごめん。因みに誕生日プレゼントはゲームのプリペイドカードが欲しいです」
「考えとく」
軽口を叩ける相手がいることに、少しだけ救われる。
ふと窓の外を見る。
空は分厚い雲に覆われていた。
まるで雲の下で、答えを飲み込んだまま歩いているような気分だった。
昼休みが、近づいてくる。
言葉にした瞬間、何かが壊れるかもしれない。
それでも――
壊れないふりをするのは、もう終わりにしたかった。




