5-3 夢と不安
その日の夜。
駿の家で夕食を終えた美生は、小さな弁当袋を手に抱えながら、夜道を歩いていた。
◆◆◆
住宅街は静かで、街灯がぽつりぽつりと道を照らし、夜風が頬を優しく撫でていく。
その穏やかな景色とは裏腹に、胸の中では一つの決意が静かに膨らんでいた。
(……今日、ちゃんと話そう)
何度も心の中で繰り返した言葉だった。
来年には高校三年生になり、進路を決める時期が近づいている。
もう、自分の夢から目を逸らしたくなかった。
少しだけ緊張しながら家へ帰る。
家に着くと、いつもは鍵がかかっている筈の玄関の鍵が空いていて、そのまま玄関に入り、茶の間に向かうと、そこにはお父さんが居た。
「お父さん、ただいま。今から夕飯準備するから、ちょっと待ってて」
「おかえり、お父さんも準備手伝うよ」
「お父さんは仕事で疲れてるんだから、休んでいて」
「分かった」
手際よく夕飯の支度をこなし、お父さんに料理を出す。
「美生、また料理の腕上げたね。生姜焼き凄く美味しい」
「ありがとう、夕飯の買い物の前にお父さんが帰って来るの知れたから、お父さんの大好きな生姜焼きにしたの」
「今のお父さんにとって1番の楽しみは美生の料理を食べることだよ」
「そんな褒めても何も出ないよ」
お父さんは笑った後、少しだけ表情を曇らせる。
「でも、仕事の関係とはいえ、帰ってくるのが遅い時間ばかりなのとたまに帰って来れない日があるのはごめんな」
申し訳なさそうに視線を落とすお父さんを見て、自然と言葉が出ていた。
「お父さん!夕飯食べる時にそんな暗い話しないの。私も高二になったから一人で家に居るのなんてへっちゃらだからさ。それに、夕飯は駿君や結ちゃんと一緒に楽しく食べているし、私は凄く幸せだよ」
その言葉を聞いたお父さんは、小さく頷く。
「そ、そうか……」
それ以上は何も言わなかったけど、その横顔にはどこか複雑な表情が残っていた。
お父さんとのやりとりはゆっくりと続く。
学校のこと。
仕事のこと。
他愛もない会話ばかりだった。
それでも、かけがえのない時間だった。
お父さんが夕飯を食べ終わり、宿題などのやるべきを終わらせた後、覚悟を決めて、父親に話しかける。
「お父さん、ちょっといい?」
「いいよ」
「私も来年で高三になって進路を決めなければならないでしょ」
「確かにね、美生は成績がいいからいい大学からの推薦貰えるんじゃないのかな?」
その言葉を聞いた瞬間、胸が少しだけ締め付けられる。
お父さんは、私にいい大学へ進んでほしいと思っている。
そう感じた。
それでも、今日は逃げないと決め、大きく息を吸う。
「私ね――」
一拍置く。
「パティシエになりたいの」
部屋が静まり返り、時計の秒針だけが、小さく時を刻んでいた。
「パティシエね……」
お父さんはその言葉をゆっくり噛みしめるように繰り返す。
それ以上は何も言わず、考えている。
沈黙が、とても長く感じられた。
でも、ここで黙ったら後悔すると思い、言葉を続ける。
「私が小さい時にお母さんとお出掛けした時に食べたプリンがあって、そのプリンが今でも忘れられないくらい美味しくて、私も作りたいと思った」
懐かしそうに微笑んでしまう。
「それから、中学生になって、おばあちゃんとプリン作りの練習するようになったんだけど、最初はなかなか上手く行かなかった」
「あの時、毎週のようにおばあちゃんの家に行ってたのって、そういうことだったんだな」
「うん。でも、何回もやっていくうちに、上手く出来るようになって、中三になる頃には一人で美味しいプリンを作れるようになったんだ」
特訓していた日々のことが頭に思い浮かぶ。
「だけど、それ以上にここまで試行錯誤して辿り着くまでの過程が楽しかったし、このプリンを色んな人に食べてもらいたいなって思った。それが私がパティシエになりたいと思ったきっかけ」
お父さんは真っ直ぐ私を見つめていて、真剣に聞いてくれているのだと感じた。
そう向き合ってくれるお父さんに、更に言葉を続ける。
「高校に入学してから、パティシエになる為にどんな進路を歩めばいいのか調べていたら、市内に製菓専門学校があることを知ってね」
覚悟を決めて、最後の一言を言う。
「私、そこの学校でお菓子作りを学びたい」
言いたかったことを全部伝えられて、胸の中が少し軽くなる。
けれど。
お父さんは黙り込み、真剣な表情で考えている。
その沈黙が、何より怖かった。
「駄目かな……」
望み薄だと思い、諦めかけるように呟くと、
お父さんが話し出す。
「う~ん、お父さん的に美生は成績が優秀だから、偏差値が高い大学に行っていい就職先に内定出来れば、美生の将来の為にもなると思うし、親としても安心する」
父親の期待を裏切ってしまったことに、心が張り裂けそうな気持ちになる。
「でも、それはあくまでお父さんの願望であって、大切なのは美生が何をやりたいかなんだよ」
「お父さん……」
「だから、どうしても美生がパティシエになりたいって言うんだったら、美生自身も頑張って行かなければならないと思うし、お父さんも出来る事があったら何でも協力するよ」
その瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、瞳から涙があふれる。
「そもそも、美生に毎日寂しい思いをさせているのに、お父さんに美生の夢を否定する資格なんてないからね」
「お父さん、ありがとう……」
更に感極まって泣いてしまい、お父さんがそれを慰めるように、優しく抱きしめ、背中をさする。
一件落着して、お父さんが明日も仕事が早いので、風呂に入ったりなどして、寝ようとしていた。
「美生、先に寝るね」
「分かった。お父さん、最後に一ついい?」
「うん?」
「改めて、私のわがまま聞いてくれてありがとう」
「わがままと夢は全然違うよ。お父さんはただ美生の夢が叶う為に頑張るだけだよ」
「お父さん、ほんとにありがとう。おやすみ」
「おやすみ」
部屋に戻って、自分の時間を過ごすことにした。
——ベッドに横になった美生の父親、拓也は天井を見上げる。
◆◆◆
(美生がパティシエね)
自然と笑みがこぼれる。
娘が初めて、自分の夢を語ってくれたことが何より嬉しかった。
けれど同時に、胸へ引っ掛かる言葉もあった。
『私は凄く幸せだよ』
夕食の時、美生はそう笑っていて、あの笑顔は本物だった。
それでも。
(あれは……俺を安心させるための笑顔でもあったんだろうな)
仕事ばかりで、家を空ける毎日で、本当はもっと寂しい思いをしてきた筈なのに、美生は一度も弱音を吐かなかった。
その優しさが、嬉しくて、少しだけ苦しかった。
(美生が勇気を出したんだ。俺も、もっと頑張らないとな)
夢を応援すること。
寂しい思いを少しでも減らすこと。
どちらも父親としての役目だ。
静かな決意を胸に刻みながら、ゆっくりと目を閉じる。
その夜は、いつもより少しだけ穏やかな眠りにつくことが出来た。




