11-9 当たり前の距離感と好きな人の正体
満月の光が更に眩しくなる中、駿は帰宅した。
◆◆◆
玄関の扉を開けると、ふわりと食欲を誘う香りが鼻をくすぐる。
(今日はカレーだ)
しかも今日は十五夜の満月だし、せっかくだから月見カレーにしようと思いながら台所に向かうと、美生と結が台所で調理していた。
「駿君、おかえりなさい」
美生がこちらへ振り返り、少しだけ背筋を伸ばした。
「それと――今日も一晩よろしくお願いします」
改まった言い方で、未だにどこか遠慮が残っている。
家族みたいな距離感なのに、美生の中ではまだ“お世話になっている”という気持ちが消えていないのだろう。
「そんな改まらなくいいよ。自分の家だと思って過ごして」
「……うん。ありがとう、駿君」
美生はようやく肩の力を抜いたように笑い、その表情を見て、少しだけ安心する。
そして、夕飯の準備を手伝う為に二人の輪へ加わった。
夕飯を食べ終え、風呂や片付けも済ませ、自室でのんびりしていた時だった。
(あっ)
今日使った練習着を洗濯に出してないことに気づく。
今日は俺が洗濯当番で、洗濯する直前に出せばいいと思ったが、バッグの中に汗で汚れた練習着をずっと入れたくなかったので、洗濯機のある洗面所へと向かう。
洗面所のドアを開けようとすると、その中にある浴室から声が聞こえてくる。
「美生姉さん、また今度買い物に一緒に行ってくれませんか?」
「うん、いいよ」
美生が優しく返し、楽しそうな空気が扉越しにも伝わってくる。
一瞬だけ入るのを躊躇したが、洗濯機にすぐ入れて出ればいいと思い、洗面所に入った。
急いで洗濯機へ練習着を入れていると――。
「駿君」
浴室からくぐもった声が聞こえる。
声の正体は美生だった。
「今日は勉強教えなくて大丈夫?」
「今日は大丈夫」
たったそれだけの何気ない会話だった。
「うん、分かった」
それだけ言い合って洗面所を後にした。
自室に歩きながら思う。
俺と美生が幼馴染だからこそ、こんな風に出来るだろうけど、直己が同じ立場だったらどんな反応をするのだろう?
多分、扉の前で固まり、顔を真っ赤にしてまともに喋れなくなる気がする。
そう考えた瞬間。
(……いや)
ふと違和感が生まれた。
冷静に考えると状況がおかしい。
一枚扉を隔てた向こう側には、兄妹でもない同い年の女の子が風呂に入っている。
幼馴染だから。
家族みたいな存在だから。
そう思っているけれど、普通なら平然としていられる状況ではない。
(何考えてるんだ俺は)
慌てて首を横に振り、余計なことを考えるのはやめようと、自分に言い聞かせながら、自室へ戻った。
それからしばらくして。
喉が渇き、飲み物を取りに台所へ向かうと、そこには美生の姿があった。
「美生、まだ起きてたんだ」
「うん、健介さんと話していて、ちょっと遅くなっちゃったみたい」
どうやら父さんと話し込んでいたらしい。
そこから、自然と会話が始まった。
新人戦のこと。
学校のこと。
互いの交際関係のこと
話題は次々と変わっていき、やがて岸さんの話題となった。
「最近、岸さんとどんな感じ?」
「よく連絡し合っているし、先週は一緒に買い物にも行ったよ」
思わず感心してしまう。
知り合ってからまだ一ヶ月も経っていないのに、随分仲良くなっている。
「凄いね」
「うん、睦美ちゃんと話していると、よく話が合うから凄く楽しいの」
俺がきっかけと言えるのか分からないけど、二人が友達になれたことが自分のことのように嬉しかった。
「実はね」
美生が改まって話し出した。
「睦美ちゃん、最近好きな人が出来たらしいの」
「えっ!?そうなんだ」
突然のカミングアウトに驚きを隠せず、思わず声が出てしまう。
だけど同時に、どこか納得しているところもあった。
前回の実行委員の集まりの時、岸さんの様子がいつもと違うように感じた。
何かを隠しているような。
何かを考えているような。
あの違和感の理由が、今なら少し分かる気がした。
「睦美ちゃんの恋が実るように、私も影ながら支えようと思うの」
「俺もそうするし、岸さんが俺に打ち明けたら、全力で協力する」
岸さんには実行委員の仕事をする時、様々な場面で支えられた。
だから。
今度は俺が岸さんを支える番だ。
そう心に強く誓った。
美生との話を終えて自室に戻り、ベッドに寝転がる。
岸さんに好きな人が出来た。
どんな恋なんだろう。
どんな人なんだろう。
そんなことを考えているだけで、胸がソワソワする。
けれど。
一つだけ引っ掛かることがあった。
(そういえば……)
同じ日に、岸さんが俺の誕生日を聞いてきたことを思い出し、どうして聞いたのか、少し不思議に感じた。
でも。
(まあ、誕生日くらい聞くこともあるか)
そう思い、考えるのを辞めて、窓の外へ視線を向ける。
果奈と見た時にはあれほど綺麗だった満月は、今は厚い雲の向こうに隠れていた。
その姿を見ていると、胸の奥に小さなざわめきが残る。
理由は分からない。
だけど、そのざわめきだけは、なかなか消えてくれなかった。




