10-21 線香花火と可愛い
美生はこれから向かう夏祭りに向けて、結と浴衣に着替えていた。
◆◆◆
着付けを終え、全身鏡の前で軽く裾を整えると、浴衣越しに伝わる布の感触が、夏祭りへ向かう高揚感を少しずつ運んできた。
「美生姉さん」
振り向くと、結ちゃんが困ったように背中へ手を回している。
「後ろの帯、結んでもらえますか?」
「いいよ」
結ちゃんの後ろへ回り、少し緩んでいた帯を丁寧に整えていく。
「毎年自分でやろうと頑張ってはいるんですけど、なかなか出来ないです」
「慣れればすぐできるようになるよ」
最後に帯の形を整え、軽く叩く。
「結ちゃん、終わったよ」
結ちゃんは嬉しそうに振り返り、その場で一回くるりと回った。
「似合ってます?」
「うん。似合ってるし、凄く可愛い」
その言葉に、結ちゃんは満面の笑みになる。
「ありがとうございます。美生姉さんも綺麗の中に可愛さがあって、見てるだけで惚れ惚れしちゃいます」
「大袈裟だよ。でも、ありがとう」
褒められて、どう言葉を返せばいいのか一瞬だけ分からなくなった。
けれど、その言葉が心のどこかに引っかかった。
結ちゃんの"可愛い"と鈴木君の"可愛い"。
同じ言葉なのに、不思議と胸に響き方が違う。
(……どうしてなんだろう)
そんなことを思いながら、二人で駿君の前に姿を現す。
「駿君、待たせてごめんね」
「大丈夫。どうせ結が――」
――ぐっ……
駿君の足の方から鈍い音がした瞬間。
「いったっ!?」
足元に目を向けると、結ちゃんの足が駿君の足と重なっていた。
「兄さんが悪いんです!」
普段より一段高い声。
それだけで、本気で怒っていることが伝わってくる。
「今のは駿君が悪いよ」
「確かにな。結、ごめんな」
「許して欲しかったら、今日の屋台全部奢ってください!」
「えーっ!?」
「えーっ、じゃないです!」
意地でも我を通そうとする結ちゃんになす術がなくなったのか、駿君は戸惑いの視線を向けてきた。
悪いのは駿君だけど、このままだと埒があかないと思い、仕方なく結ちゃんを説得する。
「結ちゃん、そんなに怒ったら折角の浴衣姿が台無しになっちゃうよ。屋台全部だと、駿君も大変だから、選んだ一店舗だけにしよう」
「美生姉さんがそこまで言うなら分かりました……」
表情は納得していなかったが、私の案を受け入れてくれた。
「分かってくれてありがとう。あとで、かき氷奢るね」
「本当ですか。ありがとうございます」
さっきのことが嘘かのように、結ちゃんに笑顔が戻っていた。
「よし。それじゃあ、祭りに向かおう」
「そうだね」
「はい」
駿君と結ちゃんが同じタイミングで返事を返す。
それだけのことなのに、不意に笑ってしまう。
「急に笑ってどうしたの美生?」
「美生姉さん?」
「なんでもない」
そして、祭りの会場へと向かった。
始めは、駿君と結ちゃんの間にいざこざが起きてどうなるかと思った。
だけど。
二人同時に返事をするところを見て、改めて仲のいい兄妹なのだと感じ、喧嘩するほど仲がいいってこういうことなのかなって思った。
祭りの会場に到着し、屋台を巡る。
私が結ちゃんにコツを教えながら一緒に金魚すくいをしたり、駿君が射的で思うように景品が取れず三回も挑戦したりと、各々が夏休み最後のひとときを楽しむことが出来たと思う。
祭りを満喫し、駿君の家に戻ると、健介さんの姿があった。
「おかえり。三人とも祭り楽しんできた?」
「はい。とても楽しいい思い出になりました」
「楽しかったけど、結に肉串を奢らさせられて、財布の中が空っぽ」
「兄さんが自業自得なだけです」
「また二人は喧嘩してるのか……困ったね、美生ちゃん」
その言葉にただただ苦笑するだけだった。
「それよりも父さん、手に持っているの花火?」
健介さんの手には花火が入った大きな袋があり、少し見ただけでも、多くの種類の花火が入っているのを確認できるほどだった。
「スーパーで買い物してたら、たまたま目に入って買ったんだよ。美生ちゃんも一緒にどう?」
「いいんですか、ありがとうございます」
いつもだったら、拒んでいたと思う。
だけど。
手持ち花火をやったのが随分前で、久しぶりにやってみたくなり、気づけば思いよりも先に言葉が出ていた。
家の前の通りに移動して、花火を始める。
変色花火。
ススキ花火。
絵型花火。
夜風に乗って火薬の匂いが漂い、その懐かしい香りに包まれているだけで、子どもの頃へ戻ったような気持ちになる。
駿君たちがまだ明るい花火を楽しむ中、私は線香花火に手を付ける。
先端に火をつけてじっと待つ。
――ぱちっ!ぱちぱちぱち。
小さな火花が静かに咲き始める。
派手さはないけど、いつまでも見ていたくなる美しさがある。
やがて、弾け終わった線香花火が火玉となって消えようとした瞬間。
ぽとり。
火玉が地面へと落ちた。
「先にやってたんだね」
振り返ると、駿君がいた。
「どこまで出来るかやってみるか」
そう言って、線香花火に火を付ける。
――ぱちっ!
さっきと同じように弾け始めるが次の瞬間。
ぽとっ
ここからというところで、火玉は地面へと落ちていった。
「ここで落ちるの?」
「駿君がじっとしてないからだよ」
「じっとしていたつもりなんだけどな……」
そう言って、眩しい光の方向を二人で見てみると、結ちゃんと健介さんが手持ち花火を楽しんでおり、色とりどりの光が、夜を照らしている。
そんな様子を眺めていると、駿君が改まって話し始める。
「にしてもこの夏休み、色んなことがあったな~」
駿君がぽつりと呟く。
「私も鈴木君と花火デートしたりして、楽しかったけど新鮮な夏休みだった」
「俺も果奈と祭りや向日葵畑に行って、より夏を楽しむことが出来た気がするよ」
恋人ができて迎えた夏。
互いに、それぞれの幸せがあった。
そのことが嬉しかった。
「それだけじゃなくて、岸さんと駄菓子屋に行ったり、隆二たちと部活後にテニスしたりするのも楽しかった。そして最後の今回の祭り、結と一悶着あったけど、夏休みを締めくくる最高の思い出になった」
駿君は満面の笑みで答えたのと同時に、結ちゃんの持ってる花火が緑色から赤色へと変わる。
会話の雰囲気と花火の雰囲気が合わさり、気になっていたことを駿君に質問する。
「そうだね……駿君一つ質問してもいい?」
「うん」
「私の浴衣姿……どうかな?」
聞いた瞬間、自分でも驚いた。
どうして今、そんなことを聞いたのだろう。
駿君は少しだけ目を丸くして、それから笑った。
「似合ってる。美生らしい浴衣だと思う」
「そう……ありがとう」
嬉しい。
それは間違いなかった。
でも。
結ちゃんや鈴木君と同じように、"可愛い"と言って欲しかった。
何故そう思ったのか自分でもよく分からない。
「もう一回、線香花火しない?」
「いいよ。次は出来るだけ長くやってみせる」
線香花火に火を付け、じっと待つ。
――ぱちっ!ぱちぱちぱち。
今回は駿君も慎重になっており、二人で長く続かせることが出来た。
静かに弾ける火花を見つめながら、ふと思う。
状況や雰囲気が全く異なるのに、駿君と二人で線香花火を眺めるひとときが鈴木君と花火を眺めるひとときとどこか似ている気がした。
その小さな違和感は、線香花火の火玉のように消えることなく、夏の夜風だけが、その答えを知っているようだった。




