第25話「左手の陥落」
蛇神が高笑する。
悠介の右手が縦横無尽に振り下ろされた。
疾風が走り、辺りを切り刻んでいく。
「チッ、挑発しすぎたか」
攻撃を避けながら男は舌打ちするが、男が移動すればするほど、傷つける範囲が広がっていく。
「あああ! あれは恐山の、そっちは御柱祭――ああ、河童のミイラが!」
「頼むから、真面目にやってくれ!」
「俺は大真面目だ!」
もちろん真面目だとも。
研究者にとって、長年の苦労を重ね、積み上げてきた資料というものは、何よりも大切な宝だ。
まだ単なるゼミ生とはいえ、自分も学徒の端くれ。あんな紙っぺらに教授がどれだけ心血を注ぎ込んできたか、わかっているつもりだ。
「畜生お!」
悠介が悔しさに叫ぶ。
俺のミスだ。
くだらない挑発に乗って蛇神を暴走させたあげく、教授の研究を傷つけてしまった。
継承者としても、教授のアシスタントとしても失格だ。
男の言葉が否定できない。
俺はこんな爆弾を背負って、教授に近づいていたんだ。
不甲斐なさに唇を噛み締める。
「これ以上、好きにされてたまっかよ……蛇神!」
悠介が吠える。
かろうじて自由の利く左手で暴れ回る右手を掴むと、その指先を自分の首筋に当てた。
「なっ!?」
――何ヲ!
男と蛇神が驚愕した。
「人の体をこれ以上弄ばれてたまるか。もし動けば、この首かっ切るぞ!」
強く剣の印を喉元に当てる。
蛇神が力を制御するのがわずかに遅れたため、皮膚が裂かれ、血が一筋流れ落ちた。
――オノレ……無駄ナアガキヲ。
「俺の体が欲しいんなら、黙ってろ。タダでやるほど安くねえぞ」
蛇神の怒りが沸々とたぎるのを感じる。
灼熱の怒りだ。
しかし、怒りなら悠介も負けてはいない。
「さあ、退け! 今すぐに」
――小癪ナ、藤谷メ……! ソンナモノ、脅シニハナランゾ!
蛇神が内部から、一層力を強めた。
悠介の左腕にみるみる鱗が広がっていく。
鱗の範囲が増えるにつれ、悠介の指が一本ずつ外されていった。
左腕まで乗っ取られれば、防ぐ手段はない。
「ぐうっ!」
――無駄ヨ、ソナタノ体ハ最早妾ノモノ。オノガ無力二打チヒシガレテ、大人シク明ケ渡スガイイ。
悠介は歯を食いしばり、必死に耐える。
指はすでに、人差し指と親指が残るのみだった。
「ふざけんな……このままじゃ、教授に合わせる顔がねえんだよ!」
――邪魔ジャ!
そして蛇神の怒声と共に、左手が引き離された。




