8話 ネルネリ・インヴィー
1
「その人の本名は────常來夏といわなかったですか?」
大聖女シエラ。もしかするとその人は、俺の無二の幼馴染にして聖人君子、常來夏なのではないか。自分の中でそんな無理のある説が、首をもたげていた。
「残念ながら、私の知る限りそのような記述は残っていません。それに……同じ世界からの同時期の転移者、という前例はありますが、その際、時間のズレはなかったとされています」
「でも……」
「が、あなたのその考えには、浪漫がある」
ダックス氏の顔色が、元通りの……いやそれ以上の楽しげなものに変わる。
「あなたにも旅をする理由が、できてしまったみたいですね?」
……悔しいが。知らない国の知らない兵器に命はかけられないけれど。たったひとりの友人の、その痕跡にでも出会えるとしたら。その価値はあると思う。だって俺の半生は、ほとんど彼女で構成されていたのだから。
「どうやら、そうみたいで」
自分のさっきまでの態度を省みるとなんだか気恥ずかしく、口元を手で隠してそう言った。ダックス氏の満面の笑みが痛い。
「ではでは。まずは最初に狙う武器でも────」
「いや、ダックスさん。待ってください」
「はい」
「一度、自分で言わせてもらいます。この話は、決めました。受けます。まあ、ほとんど強制みたいなもんですけど。うん。これからよろしくお願いします」
「はいよろしくお願いします!」
一旦話の流れを切った。なんだかズルズルと、全部が俺の理解できないスピードで進んでいってしまいそうだったから。
「で、ええと、その、ダックスさん。まだ質問があってですね」
「はい」
「詳しそうなんで聞きますけど。なんかモンスターとか、そういうの出てくるんですか? “十壊器”に接近するにあたっては」
「ええ! もちろん。というか“十壊器”のために遠くへ行こうとしたら、途中のぜんぜん関係ない場所で死んじゃうかも」
おいおいおいおい。多少は覚悟していたけれど、思ったより危険なんじゃないのかこれは。
「え、あの、まじすか。いくら他の人間を寄せ付けたくないからって、ええ? ダックスさんと、素人の俺とじゃあ、危なくないですか」
「まあ、そうですね。私も腕に自信はありますし、あなたを守ることもできますが、限界はやはりあるでしょう。ですが、言った通りあてに出来る人もいない。私の知人で戦える人間は、皆オロク教の人間ですから」
こういう話をしていると、ある人の姿がちらつく。いや、頼って良いわけがないのだが……自分が一緒に旅に出るのが苦でない、そして戦う力を持っている人間。そいつも騎士ではあるが、周囲とはソリが合わないようで、恐らくダックスさんの本性を漏らすリスクも少ない。
……自分の中に、欲が湧く。どうせ旅に出るのならば、楽しい方がいい。彼の言うことは、確かに共感できる内容だった。
「……ネルネリ」
「!」
「ネルネリが、ええっと、ついてきたいって自分で言ってたんすよね」
なんだか気恥ずかしくて、こんな言い方になってしまった。
2
しばしの沈黙の後、ダックスさんが口を開く。
「まあ、その、彼女に関しては、あえて言及しなかった部分はありまして。ええ、私からしても研究対象ではあるのですよ。三百余年も昔、魔法国家アリンデウル最悪の事件を起こした“弑逆の戦火”イロウ・インヴィーの子孫……」
「へえ。だからですか。まわりのあの感じの悪さは」
「そうですね。それほどまでに、鮮烈なイメージがこの世界の人間にはある。世界史の教科書に載って、いつまでも語り継がれている」
世界で伝え続けられる祖先の悪行。ネルネリ自身は何もしていない。いや俺に対する接し方を誰にでもしてたら、普通に嫌がるやつはいるな……あいつの性格に関しては、一旦置いておくとして。
「その祖先が、“十壊器”の作成者なんだとか。あいつ言ってましたけど。だから気になっているのかなって」
「……その説については、本人が言うならば、そうなのでしょう。かの血族が事件の後、このシタン帝国へ落ち延びたのも、十壊器“錬壊”ウルカンを造るのに協力した恩あってのことです。インヴィー家が代々騎士団に雇用されているのも、その名残だと」
なるほど。つまりあいつは、誰からも後ろ指をさされているが、一方で若干の優遇も受けている。息苦しいだろうな。
「……ですが、私は彼女の発言には、全く違う意図があるように思えましたよ」
「別、とは」
「仲がいいでしょう。あなたがたは」
「え、あ、まあ、まあそうですね」
「だからです」
「まさか」
そうだったら嬉しいが、どうも、そうだと決めつけるのは、俺にはできなかった。
「そして今の業務への不満もあるでしょう。インヴィー家の代々の仕事……廃棄物の処理。国家から任された仕事だそうですが、なかなか好き好んでやりたがる人はいないですよね」
『いつも仕事でやってるし』……魔熊を燃やしてくれた時の発言を思い出す。業務というのはすなわち、そういうことなのだろう。
「十八の女の子にやらすことじゃあないっすね」
「ええ。生き物の遺体を尊厳なく損壊する行為は、この国においてもあまり好まれることではないですし」
「えっ?」
それは、俺にとっては衝撃的な発言だった。
「しかし、この国の重要な機能の一つを担っているわけです。不在になれば国家の衛生管理に支障が出ることは間違いないでしょうが……」
「ダックスさん、待って、待ってください」
「はい」
「死体の損壊って、あ、え、魔物を燃やすことが」
「ええ、そりゃ────……あっ、」
目の前の神父も、なにかを察したようだった。
「コーセーさんもしかして、あなたのいた世界では……」
そう。
この世界には、火葬の文化が定着していない。
あの時の微妙な反応は、そういうことか。苦しそうに痙攣する魔熊を前に狼狽える俺のために、ひと思いに殺してくれた彼女は、しかし感謝されるとは思っていなかったわけだ。
むしろ下手すれば、俺に責められることすら、予想していたんじゃないのか。
血の気が引く感覚だ。
何をさせているんだ、一体。
「コーセーさん────」
「俺、行かないと」
言い終わるより先に、俺は踵を返して走り出した。必死で。
3
「よう。はあ。はーっ……あ゛〜。よお。ね、ネルネリ。ハア。奇遇だよな、まったく……ゼェ」
「……そうだね」
日も暮れようかという頃合いに、コーセーはやってきた。街の外れの人気のない公園。錆びついた遊具に寄りつく者はなく、枯れかけた草木ばかりでつまらない。私の他には誰も来ないような……そんな場所に。奇遇なはずがなかった。用件は、わかっていたし、どこか私は、彼を待っていた。
「うまそうな店をみっけたからさ、これ。ほら。食べてくれ。ドーナツ」
「なんのつもり」
コーセーは汗でぎっとりした顔をしかめながら、絞り出すようにこう言った。
「あ〜……お詫びの品、かな……」
「……なんの」
ドーナツに手を出しながら答えたものの、本当に何に対してか分からなかった。謝るようなことをしているのは、むしろわたしだと思っていた。
「……なんでもないけど」
「意味わかんないんだけど。ていうか、そんなの用意してんなら、奇遇じゃないじゃん」
「お、鋭いな。誰にも聞けねえから、俺、もう五時間くらい走りっぱなしで探したんだよ。街の隅っこ中心に」
なんで隅にいると決めつけているの……実際、いるけど。
「で、用は」
「……うーん、えっとなあ。最初は、謝ろうと思ってたんだけど。冷静に考えたら、なんで俺が謝るんだって気になってきてなあ……んー。別の話からするね? 俺。旅に出ることにしたんだけど」
「は?」
右往左往するコーセーへの苛立ち以外は、顔には出さなかったと思うけれど。内心おどろいた。王の感じからして、最終的には強制される流れになると思っていたのだ。彼が自分から決めるとは。
「そうなんだ。なんで?」
「うん。前に話したオロク教のお守り。あるじゃん? あの模様がやっぱり気になってさ。“十壊器”とやらを集めるのは、そのための足掛かりかなあ」
宙をボンヤリ眺めながらそう言う彼に対し、わたしは何も言わず、次の発言に備える。
……誘い待ちだ。
本当なら、わたしがこの任務に就くことなど、あってはならない。今のゴミ処理の仕事を私よりも早く終えられる人間は、この国にいないし、嫌われ者がいれば集団に不和が起きる。コーセーの命は危険に晒され、目的のものを手に入れられる可能性も小さくなる。それを王は許さないだろう。きっと、両親も反対する。
けれどコーセーは転移者。超VIPだ。彼が良しと言えば、もしかしたら。
そういう気持ちで、自分の行末をいま、他人に委ねている。卑怯者だ。あの時、あんな場所で、唐突に放った戯言を、拾ってほしい。もう一度直訴する勇気なんて、わたしにはないから。
「俺さあ。おまえがどう考えてるか、ほんと分かんないんだけど。自分もついてくなんて言ったことな。それが、まじに気まぐれだったのか、自分のルーツのためになのか、もしかして俺のためになのか、実は脅しで言わされたのか」
どれも違って、わたし自身のためだったのだけど、それを挙げないのは、コーセーの要らない気遣いに違いなかった。
「────でも別にさあ、分かんなくてもいいなって」
「……え」
「俺はな、危険な旅で、おまえのこと守れる自信も能力もないし。もしかしたらいつか、全部放り投げて逃げちまうかもしれないよ。責任感なんてゼロだね」
「あ、コーセー。あの、」
なにか弁明をしようとする。守ってもらえなくてもいいとか、そういう内容を。しかしそれは続く言葉に遮られる。
「けど本人希望なんだもん。連れてく。志願感謝。よろしく!」
「はっ?」
微妙に早口でそう言いながら、ドーナツを頬張るコーセー。勢いで押そうとしている感じだ。わたしは困惑を隠し切れなかった。求めていた展開のはずなのに、振り回されているような、喜んでいいはずが、素直にそうできないような。
「いやあ、ほんとは命懸けの冒険なんてしたくなかったんだけどさあ、いざ行くと決めたらホラ、ネルネリ。おまえがいる方が……退屈しないでしょ」
提示されたのは非常にシンプルな意図だった。
「……そんな理由」
「そんな理由」
「へー……」
「まあ実は他にも色々あるけど」
脛を蹴ったら「ぐむう」と鳴いた。なんだよ。
……まあ、いいのか。単純で。
「……おいしいもの食べれたらいいよね」
六個目のドーナツに手を出しながら、自分の希望を言ってみる。
「ね、俺まだ二個目」
「うるさいな」
「ちなみに他の色々ってなにか聞く?」
「静かにしてってば」
「ダックスさんって神父の人と二人旅になりかけてさ」
「言わないと嘘ついてるみたいで気まずくなったでしょ」
露骨にシュンとするコーセー。
「……あと」
「俺がもし死んだ時、俺のくにのやり方で弔ってほしいんだ」
思わず固まってしまった。
それは唐突な発言だったけれど、放つ雰囲気から、本気だとわかる。それこそが、彼が今日、汗だくになってわたしを探して、本当に言いたかったことなのだと察する。
「盛大に燃やしてくれ。ネルネリ。お前以外には頼めない」
「……あ」
その言葉の衝撃はまるで────
わたしの世界に、巨大な杭が打たれたかのようだった。




