5話 魔熊
1
「いやー悪かったな。ネルネリ。俺が直接、ワカさんに伝えたいって言ったから……巻き込んじまってよ」
彼女は元来、こういう事務的な仕事は担当外。右も左も分からない仕事を、俺のわがままのために頑張ってくれたのだ。
「あー、いい、いい。そもそもわたしが嫌われてなかったら、他の人も付いてきてくれたハズだし」
彼女はインヴィーというファミリーネームを名乗りたがらない。それはこの世界では、悪名高いものだからだそう。
「てかそれよりも。コーセー。なんであんたまであんな、湿っぽいムードをまとっちゃったわけ? グースさんとわたしとで、すごい頑張ってまとめるようになっちゃったじゃん」
「だってさあ、ワカさんがさあ」
本当に情けない。自分が救えなかった方の遺族の目の前で、あんな……感傷に浸ってしまうとは。いや、もう筆舌に尽くしがたく恥ずかしい気持ちになってきた。
「はあ。まあわかるけどね。いい子だったねえワカさんは」
いい子って、そんなに歳も……いや十代の三歳差は、大きいか。こいつは十八歳らしいが、背伸びした中学生みたいな外見で、身長も百五十センチくらい。むしろ見た目上は、ワカさんの方が年上に思える。
「そうだな。テータさんが言ってた通り、すごく利口そうだし」
「うんうん。国からもらったお金をあげちゃったって、仕方ないくらいお利口さんだったよ」
「……」
「半分だっけ? あれでも多分、テータさんが持ち帰るはずだった額の、数倍あると思うな」
お金を取り戻すことは出来なかった。だが、俺は帝都に寄った際、嫌そうな顔をした役人から、「転移者手当」として大量の金銭をもらい……その半分を、テータさんの稼ぎと偽って、渡していた。
「独善的だね」
「來夏ならそうしたってだけさ」
「違うよ」
はっきりとした否定にカチンときて、ネルネリを見る。その顔はいつものいたずらっぽいものではない。晴れやかな表情だった。まるで心底、慈しんでいるような。
「それは、コーセーの汚さだよ」
「う……」
「お〜〜〜い!!」
言葉に窮した俺への助け舟のように、向こうからグースさんの声が聞こえた。
「ネルネリさん!コーセーさん!せっかくだしお食事でもどうですか?ワカも落ち着きましたので……」
俺たちは顔を見合わせて、「けっこう気まずいよね?」「まあでも無下にもできないし……」といった意味のアイコンタクトを交わすが、結局二人並んで、ディモシカ家へと向かうのだった。
2
「じゃ、また連絡するよ!」
「うんっ!コーセー、ホントにありがとね!私もお手紙送る!ネルネリさんもありがとう!」
村を出た馬車の小窓から顔を出して、ワカたちに挨拶をする。
彼女の祖母、グースさんのすすめで一緒に食事をしたからか、俺たちはワカとずいぶん仲良くなった。別れが惜しいぜ。お土産に家でとれた作物をくれた。
「お、じゃがいもあるじゃん。コーセーあれやってよあれ。エキセントリックスーパーお手玉」
「ハ。仕方ねーなー……よ!!」
エキセントリックスーパーお手玉とは。俺がこの世界にて習得した、常識を超えた究極のお手玉である。一個。二個。五個。九個。まだまだじゃがいもを増やす。しかも、もう身体からめちゃくちゃに離れた場所にまで放っちゃう。歴戦の手品師であろうと無理があるそのメチャクチャな距離も、俺にとっては問題ない。
「『ワイアーム』!!」
あの日目覚めた俺の『異能』。ネルネリ曰く、魔法が学問なら、これは才能らしい。一度触れたモノを、手元に引き寄せる能力。呼びやすいよう名前をつけた。腕からワイヤーが伸びてるみたいに、ものを引っ張れるから、『ワイアーム』。それによって実現した奇跡の曲芸。どんなに玉が離れても、必ずこの手に収まる。サーカスで食っていける自信があるぜ。
「どうだ!?ネルネリ!!」
「飽きた」
「えマジで言ってるそれ?」
これは能力だけの賜物ではない。『ワイアーム』では一個ずつしかモノを引き寄せることはできない。この芸はほとんど、俺の努力で成立しているのだ。それを、飽きたって……
「あー……コーセーがつまんない芸見せびらかすせいで時間が長く感じる」
「酷い……でも確かに長いよなあ。魔法でもっと速く移動なんかできちゃったりしないの?」
「わたし、飛べるけど」
そういえば、こいつ炎魔法で火の玉になって飛んできたんだよな、あの時。
「それ俺も一緒に連れてってもらえるの?」
「一瞬で燃えかすになるだろうね」
「ハァーーーーー……」
わざとらしく大きなため息をついてみる。
「え、焼いていい?」
沸点低っ。
「アンギャアアアアアアアアアアアアッッッッッッ」
穏やかな談笑の中、あんまりにも尋常でない叫び声がほとばしった。この声は……御者のトギメイさんだ。ほとんど会話してないからちょっと自信ないけど、ここら辺は人通りもほとんどないし。
「おまえホントに魔法を!!」
「知らない知らないっ!!」
言い合いながら武器を取り、外に出ると、そこには。
熊。
あの絶叫も納得である。およそ人が立ち向かえる相手ではない。少なくとも正面切って戦うべきではない。なんて、そんなのは元々いた世界の価値観か?しかしこいつ、なんか気が立ってないか?明らかに様子がおかしいぞ。
「これは……熊だ!!」
シタン帝国騎士団所属の魔法使い・ネルネリ殿が声を張り上げてそう言う。
「そうだね……」
3
「魔熊ですっ!!助けてくださいっ!!」
「あっ、大丈夫ですか!?」
熊に気を取られて失念していた。彼の無事こそ一番に確認すべきじゃないか。幸い、熊はまだ威嚇のターンらしく、トギメイさんも、萎縮している二頭の馬も、外傷はないようだ。だが、これでは逃げられまい。そもそもが狭い山道で、迂回できるか怪しいし。
「魔熊って……なんですか?」
ネルネリに解説を求めるのはもう諦めている。この人だけが頼りだ。
「魔力を過剰に摂取して凶暴化した熊ですっ!!」
「ふふん、それは正確には違っていて、実はねえ……」
あ、詳しいんだ。知識をひけらかす機会を伺っていたのか、嬉しそうである。「そんな暇ないから簡潔に言ってくれ」とは、とても言えない。
「やっぱ超キケンなんですか?」
語り止まらない魔女をスルーしてトギメイさんに話を振る。
「は、はい。冒険者四人が惨殺された被害も出ていますっ」
「冒険者って……強いんすかね、さすがに」
「……人によります?」
「あ、へー……」
この人も微妙に信用ならない。まあ冒険なんか生業にするくらいなら、一般人よか荒事は得意だろう。それが四人いて一気にやられるような猛獣に、今いるメンバー……ほとんど素人の俺と、戦えるようにはまるで見えないトギメイさんと、
「……山火事になるか」
戦わせたくない魔女、で挑まなければならない。つまり、俺がやるしかない。いいぜ。命の危機も、都度三度目。そろそろ慣れてきた頃である。
「ヴォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ン!!!」
……などという楽観は、魔熊の咆哮を聞いて霧散した。怖すぎる。手が震えて、金属の装飾がガチガチ音を鳴らしている。しかし舐めてかかるよりも、恐怖を呑んで戦う方が、高いパフォーマンスを発揮できるかも。この怖さは、いい怖さだ。緊張感であって、萎縮ではない。はず。
「ほんとにヤバかったら言う。それまで魔法は撃つな」
「え、なに、私に任せなよ」
「さすがに危ないだろ、こんなとこで……!」
「いや、別に……あ」
後ろ脚で地面を蹴る熊。時間がないことを察した俺は、会話を打ち切って馬車と離れた方向に走る。まずすべきことは、標的をこちらに固定する事。馬車やトギメイさん、ネルネリを襲わせるわけにはいかない。だからこの、熊の斜め前あたりに来たところで、
「こっちだ!」
持ってきた斧を投擲する。もしもの時のため、馬車には手斧と剣が備えられていたのだが、当然どっちも持参だ。武器は多い方が強い。
斧は熊の顔を掠めて、そのままやつの向こうに落ちた。獣の視線が、こちらを向く。
「ちょっと!!」
四足の巨体が方向転換する間に、まあまあな距離を取る事ができた。そこまでの動きは無駄が大きく見えるが、一度体勢を整えられたら、直線のスピードは人間じゃ敵いやしないだろう。そして追いつかれれば、あの鋭い牙や太い腕で簡単にやられてしまう。だが、一応の策は用意してある。
「コーセー!!」
獣のうしろに見えるネルネリの顔が、すっかり歪んでいる。前の世界で入院したばっかりの頃、あいつもそんな顔をしていたっけ。心配かけるばかりなのは、死んでも変わらなかったみたいだな。だけど。前とは違う事もある。
かけられた言葉に返答することも、握られた手を握り返す事も。今の俺にはできる。心配に成功で応えることも……きっと出来るさ。
「『ワイアーム』」
体勢を低く変え、自らのチカラの名を唱える。モノを引き寄せる能力。対象は無論、先ほど投げた斧だ。ただし今回は、純粋に手元へ持ってこようというわけじゃない。以前、野盗パンクレスと戦った時と同じ事を、能動的にやる。
早くもきりもみ回転を始め、こちらに向かって飛んできた斧。生半可でない熊の突進速度だが、『異能』で引き寄せたソレよりも速いはずはない。そして今、その凶器と、地面スレスレに構えたこの手と、襲いかかる魔熊の「脚」は、一直線に並んでいる。
「オ゛ア゛ァ゛ッッッ!!!!!」
獣の左後脚の踵の上あたりに、刃が深々と突き刺さった。あの巨体、後ろ脚一本で支えられるようなものじゃない。轟音をあげて倒れた魔熊は、走っていた勢いでこちらに突っ込んでくる。
「うおおおおおおおおおおお!!!!!」
それでもギリギリのタイミング。俺は全速力で横に移動する。コンマ数秒後に、隣の大木に熊が激突した。
「これで……」
必死に立ちあがろうとするが、すべるように倒れ、苦しげな声を吐く熊。あとは、放っておいても死ぬだろう。安心とともに、その苦しむ姿に、えげつないことをしたという実感。
「ネルネリ」
「うん」
安堵の表情を浮かべる少女。
「もう戻っても大丈夫だぜ」
きっと彼女は、俺よりずっと血に慣れていて、もしかしたら何度も、命を手にかけたことがあるのかもしれない。騎士というのは、そういう仕事だろう。けれども。実力を見込んで、保険としてその場にいてもらった俺が言えたことではないのだけれども。見せたくない。
熊から距離をとったまま、後ろに回り込む。持った剣を掲げると、手からネバついた汗が垂れ落ちた。片脚を失った時点で、こいつはもう助からない。だから。俺が、せめてすみやかに、逝かせてやらないといけない。ばたんばたんと動く無事な方の脚に刃を振り下ろし、その機能を奪う。
少しずつ叫び声に力がなくなっていく。急激に血を失った結果だ。だんだんと弱り、生命活動は停止へ向かう。
はやく殺してやるべきだと分かっていたのに。凶悪な武器たる腕や顎へ近づく、リスクを冒すことはしなかった。度胸がなかったのだ。
殺すことは出来るが、ひと思いに殺すことは出来ない。
「なあに物思いにふけってんの? 食べられるかどうか考えてんだ?」
「……」
馬車に引っ込んではくれなかったか。まあそうだよな。そういう人だ。軽薄そうな口調に少しばかり眉をひそめ、そちらを見る。
視界に入ったその顔は、さっき見たのと同じ。予想外に優しいものだった。
「ねえ、わたしがやってあげるよ。別に、仕事で、いつもしてるしね」
「え」
『仕事でいつも』という、看過しかねるワードに噛み付く間もなく。ネルネリはポケットから取り出したモノを、手の甲に────突き立てた。
「おい……!?」
「『刻印器“四見釘”』」
4
“四見釘”。十字を象り、その名の通りに四方へ向かって切先を向ける小さな鉄釘。自らの身に突き刺し魔力を流すことで、己の魔術的能力の強度を著しく引き下げる枷。強大なちからを持つネルネリは、これがなくては一般的なレベルで魔法を行使することが出来ない。
そんな事情を知ったのは、もう少しあとのことだった。
「やめろって……」
彼女の手を掴んで釘を抜こうとするが、しかし。刺してしまった時点で、もう遅い。今更だ。傷が抜いてすぐに塞がるわけじゃない。この行為は、ポーズにしかならない。こちらを向いたネルネリの、先ほどと違う刺すような眼が、それを咎めているように感じられ、俺はまたもや動きを止める。
「下位炎魔法……はー……」
情けない目の前の男に呆れたのか、息を吐き出して一瞬の間を作った後で、魔女はその術の名を宣言する。
「『薄明』」
前に出した血の滴る右手。痛みからか痙攣しているその指先から、ちょうど熊の全身を覆う程度の、巨大な炎が吐き出され────一瞬にして、灰と化した。
「ヒッ」
後ろに座り込んだままのトギメイさんが声を上げた。俺も正直、一度見ていなければかなりオーバーな反応をしていただろう。
そして、そのリアクションを受けて、魔法使いの肩が大きく震える。ビクン、という効果音がこれ以上なく似合う様子だった。
怖いのか。
さきほどの反応も、いつも以上に鋭い顔つきも、震える手も、全ては……不安を表している?俺の前では素振りを見せなかったが、それは俺がよそ者だからで。血を流してまで弱々しく調整する必要のあるその魔法。
自分の力の巨大さに、危険性に、先ほどのトギメイさんのような反応を、常日頃されてきたのかもしれない。「怖がられるという恐怖」。それは少女にとって、いかほどのものか。
思わず、彼女の横に向けて足が動く。ひねた口をきき、情緒の不安定な。だけど、俺の不満を察し、恐怖されることを覚悟して炎を使ってくれた、優しい少女の……内に秘めたもの。その片鱗に触れ、俺の中には、形容しがたい気持ちが生まれていた。いまだ座り込む御者へ、馬車の後ろへ回るように手で指図しつつ、歩を進める。
「ネルネリ」
足音のするたびにピクリと震えていた背中が、いっそう大きく上下した。隣にいる俺に対して、気持ち反対に顔を向けている。
「ありがとう」
上手な言葉が出てこなかった。これがライカであれば、きっとネルネリを抱き寄せ、『これしかない』という殺し文句を言ってみせたはずだが、俺にはそれはできないことだった。
ネルネリはなぜか驚いたような顔をして、そのあとぽつり、「うん」とだけ言った。
5
「やあっと見えてきた!」
「長かったねえ。もーはやく普通にお風呂入りたーいベッドで寝たーい……」
「お、ベッドで寝たいなんてこだわりあんの。めちゃくちゃグッスリだったけど。こんなかってえ椅子で」
ぺちんぺちんと椅子をこづいてみせる。ネルネリの目の色が変わる。臨戦態勢かっ。
「はあ? ぐっすりなんてしてないよ。ていうかコーセーが不眠症なだけじゃないの?不健康な目つきしちゃってえ」
おまえの目もずいぶんギラギラしているぞ。
「いやいやぐっすりは絶対してたから。その服のシミを見ろって。どれだけだらしない、はしたない寝姿を晒していたか見せてやりたいくらいだよ。あーあーカメラがあったらなあ〜」
「なにそれー?異世界マウントですかー? やめてくださーい。その三つ編みちぎるぞ。似合わない髪型して」
「悪口が過ぎるだろ……やめろ、この三つ編みはな、俺が大切な人に賜ったプレゼント、いや、“ギフト”なんだよ。」
首に吊るされた彼女のヘアピンを両手で持ち、顎の前に掲げて見せつけながら言ってみる。まあネックレスにしてくれたのは、ネルネリなんだけれど。
「それやめて……え、でも、へえ? そうなんだ?」
ちょっと興味を持った風だ。まあ隙あらば彼女の話をしているからなあ。こいつの心の中にも“救い”が生まれ出しているんだろ。
「ああ、これはあいつが髪で結んだ“ミサンガ”……願いが込められているのさ。たぶん『コーセー早く元気になって♥』みたいな」
「え、きも。重体患者の髪で遊んでたってこと? 絶対あんたが言うような聖人じゃないよ、その娘……」
「お、今の発言は記録しておくからな」
「怖っ!! あとでどうするつもり!? ……あ、記録といえば」
「あん?」
「私、コーセーの発言とか人柄とかを記録につけて、後で報告しろって言われてたんだ」
「え? それこそめっちゃこええじゃん」
「この一週間一文字も書いてない」
「やっぱお前のが怖いわ。偉い人の指示なんだよね?」
「王様の指示だよね」
「……一緒にごめんなさい、しに行く?」
「どうせ最初は王様とのお話だよ。そこで色々聞かれるんだろうから、私のメモなんてなくたって同じ」
「うまい言い訳を考えたね。ていうかやっぱそれは避けられないの?」
「うん。こってり絞られちゃえ」
「……一緒にきてくれるよね?」
「え、普通にやだよ?」
期待と不安を抱く俺を乗せて、馬車は巨大な門を潜った。




