34話 死者一名
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ネルネリ・インヴィーは頭痛と倦怠感に苛まれながらも、飛来する五羽の怪鳥に対面していた。
疲弊する彼女の頭に浮かぶのは、心配ではない。恨み節である。
簡単な魔法を使えと言うが、なにが最適か考えるのにも、相応の思考コストがかかるのが、疎い人間には分からないのか? 下に行った者たちは、いつまで私をこんな大変な目に遭わせるつもりだ? 早く帰ってこい。など、など。
ネルネリは、そもそも、“地を喰む拇印”を乱用している最中も、無理をしている自覚こそあれ、ことが済む前に限界が来るとは思っていなかった。
眩暈がして、足がふらついて、腕が上がらなくなっていたのに、だ。
基本的に、そのあたりの判断が、不得手なのだ。良く言えば、自信がある。
しかし、彼女はエリーゼの言うことを聞いていた。一理ある、と思った部分もある。最初は木差子康生との約束通り、全員を守ろうとやっきになっていた。しかし、自分たちでもやりたいと当事者たちに言われれば、それを自然に尊重できた。
だがそれ以上に、痛いところを突かれたような気がした、というのが、大きかった。
人間は自分のいろいろな面を少しずつ、いろいろな人に預けるのが健全だ。
とのエリーゼの言は、ネルネリとしては、後ろに「お前なんか、まさにそうだけど」と付け加えて、自分の態度の使い分けを、揶揄されている気分だった。
責められると打たれ弱い彼女は、それもあって、いったん言う通りにすることにしたのだ。
そしてその結果、体調はいくぶん、マシになっていた。
本人は、だから言う通りにしてよかった、とは言うまいが、頭痛も倦怠感も、軽減されていた。
「はーあ」
しょうがないな。そう言うように、大きくため息をついているほどである。
現在の状況についても、大きな心境の変化があったわけではない。鋼鉄の巨鳥の相手。それは、手に持った武器を振り回す周囲の人間の仕事ではなく、自分の範疇だ。そう理解しているだけのことだった。今までの彼女でも、そうしていた。
だから、ネルネリが少し変わったとすれば、そうする、ということを、周りに言うようになった。その程度の、些細な変化であった。
「高位炎魔法」
「ネルネリさん!」
エリーゼが声をあげたのは、ネルネリがまた、複雑怪奇な魔法を放つつもりではないかと、疑ったからだ。数種類の魔法を使うようにやり方を変えた後でも、たまに何も言わずに魔法を使ったり、遠隔で魔法を使ったりとしていたせいで、彼女にとってネルネリが、信用できる人間とは言いづらい。
対する魔女の対応は、振り向きもせず、右手をひらひらとやる、というもの。
エリーゼはそれを見て、疑いと安心のちょうど中間のような、なんとも言えない感情を抱く。一方でネルネリが抱いているのは、百パーセント不満。「分かってないなあ」だった。
その不満は、三百年前の祖先が持ったものと、同種だったと言ってよい。
「“真珠の塔”」
高温の白い炎がたちあがり、竜の端末を飲み込んだ。
それは、単に炎の塊を放つ魔法だった。低位魔法“薄明”と同じである。
魔法国家アリンデウルによる、魔法の位階分けは、難度だけでなく、威力も判断基準に含む。そのために、魔法式に制御弁が組み込まれており、威力の下限と上限が定まっている。
ネルネリ・インヴィーはそれを、面倒だと思っていた。教科書で学ぶ分には、そういうものかと納得していたが、いざ実地で投入するにあたり、窮屈さを感じたのだ。
イロウ・インヴィーはそれを、下らないと思っていた。
「ほら」
薄笑いを浮かべて振り返る魔女の姿に、エリーゼは頭の中で、その異名を唱える。
“弑逆の戦火”。
きいやあああぴいいいええええええええええええええええええええええ
その時。彼女の耳をつんざいたのは、シズルムの叫び声だった。頭が痛み、一瞬、思考が飛ぶ。
「────エリーゼさん!!」
「あ……」
あっけにとられた修道女が、自警団員の仕留め損ねた鉄の獣の接近を許す。もはや、結界魔法が間に合わない距離まで────
────しかし、四足獣の牙が届くことはなかった。
目標を捉える直前に、全身から金属の棘を生やし、変形し、いがぐりのような塊となって、地に落ちたからである。
同時に、鈍い金属音を立てて、侵入者を取り囲む彼らの全てが、同様になった。
「……終わった……?」
2
“呑槌”の破壊力は、竜をも容易く打ち破って見せた。
ただし問題があった。打ち付けられた際に起こった衝撃波によって、首を落とされた胴体の方が、反動で打ち上がってしまったのだ。首の断面を上にしてほとんど垂直になったその身体が、地面に大きな影を落としていた。
魔力を使い切ったダックス・ハルマンは、跳ね上がった前脚にかすり、それで突き飛ばされて、壁にぶつかって失神している。
唯一まともに行動ができる状態のキルフリード・ルイユは、必然独力で後片付けをする必要に迫られた。
康生を救助し、ダックスを起こす。それ以前に、この後、また重力によって地面に落ちてくる竜の胴体を、なんとかすることだ。
十メートルの巨体である。このままでは、巻き込まれて死ぬ可能性がある。動けない二名は、特にだ。
「ふ……さっさと上に戻りたいところなのだがな」
康生の元へ向かっていたキルフリードはまた、踵を返し、竜の左側に回る。そして、構える。腰を落とし、組み合うような形である。
脚を押すことで、倒れる方向を、前から横へ、変えるつもりなのだ。
本来ならば、真後ろを狙いたいところだろう。しかし、そうはいかなかった。なぜならば、長大な尻尾があるからだ。それに支えられて、後ろに倒すことは、ほとんど不可能に近く見えていた。また、竜の右側にはダックスが倒れている。だから、左脚を浮かせることで、支点を右足のみにし、本体が倒れる向きを左へ逸らす。それ以外は、彼に選択肢は与えられていなかった。
「フ────」
キルフリードの持つ魔力の量は、一般人に毛が生えた程度。だがそれ故に、およそ正確に、自分で残量を把握することができていた。後のことを考えれば、普段通りに動ける限界点までの消費に留めて、この仕事をこなさねばならない。それが可能かを、深く呼吸をしつつ考えていた。
結論は決まっていたが、その結論を肯定するために、考えていた。
「できる」
男は、決まりきった答えを口にすると、大樹の幹のように太い脚に、張り手をした。
無論、男一人の膂力のみで、この巨体をどうこうできるはずはない。ただ倒れる向きを変える。目的がそれだけだとしても、到底無理な話だ。しかし、男には、うってつけの武器があった。
“伝導者”。それ自体と触れた金属との間に、反発する、あるいは引き合う磁力を生む鎧。
誰も見ていないこの場所、この時、キルフリードは領主としての外面を捨て去り、雄叫びをあげて、掌底を繰り返した。一撃ごとに、“伝導者”の力を叩き込む。その相手が、どうなっているか。まだ全く傾いていないのか、とうに軌道をそらせているのか。そういうことは、気にしていない。ただ、魔力が定めた量に減るまで、続けるだけと決めている。
そして、その八十四発を、打ち終える。
キルフリードは次に備え、目を閉じ、息を整えていた。
ここにいたっても、成否に囚われてはいない。失敗していたならば、もう次はない。
次があるという前提でしか、彼は動かない。
しかしそれでも、左の頬に触れた風圧という、成功の告知に対し、心を震わせないはずはなかった。
三百年。カンカンズが独立した国家である時から続いていた呪いが、この日、ついに解けたのだ。しかしそれ以上に、彼がいま喜んでいるのは、この、谷底に降りた三名で、やり遂げたということ。
「まだだ。まだ……」
上がどうなっているか、彼には分からない。しかし、抑え切ることができない感情だった。瞳をうるわせ、顔をひしゃげさせながら、早足に、倒れた仲間たちの元に向かう。
そして、竜の頭に寄りかかるような姿勢になっている男に、呼びかけた。
「コーセー……! 終わったぞ、貴様らのおかげだ! さあ! 戻ろう……」
しかし、返事はない。
「……?」
男が近づいてみれば、理由は単純であった。
『ワイアーム』の引き寄せた鉄塊が竜の側頭部に当たり、康生の側へと向き直った時、キルフリードも確かに聞いていた。“信壊”シズルムの叫び声を。
そして、康生は、そのすぐ目の前に立っていたのではないか。
後ろにある盾と、鋼の鎧を纏う竜の頭蓋との間に、鳩尾から足先までを、潰されてしまっていたのだ。
キルフリードがその肩を引くと、あっさりと、胸から上の部分だけが、ちぎれ落ちた。
死んでいたのだ。合図を出す暇もなく。




