33話 “エンの鋸”
1
「頸を切り落とします。そのための隙を、作ってほしいんです」
「わかってる」
だから、つまり、こういうことだ。
俺が囮になって、二人をフリーにする。キルフリードが、さっきのように柱を叩き折って、ぶっつけてやる。ちょうど、あいつが狙われる前、ダックス目掛けて突き立てたこの長い柱が、やつの真後ろだ。それで、最後にダックスが、一撃を喰らわせる。
それで全部。なんだか、とっても単純な話にまとまってしまったぜ。
ただし面倒な点が、三つほどある。
一つ。位置関係。
今、キルフリードが竜の頭から腹にかけて、くらいの場所にいる。俺たちはお尻よりちょっと後ろにいる。やろうとしていることに対して、場所が逆じゃないか。
二つ。キルフリードが狙われている。
自由にさせないといけないのに、どうやって意識を逸らさせるか、まだうまい答えが出てこない。
三つ。俺が荷物。
二つ目にも通じてくる話なのだけれど、こんな大怪我してる俺にヘイトを向けるというのは、大分むずかしい。それに、最後の大仕事が待っているダックスが、それまでは俺を泥で動かさないといけない。相当な負担である。
しかし、それでもダックスが、隙を作って「欲しい」と言ったんだから、つまり、俺に求められているのは、頭脳労働なんだよな。良い案出せってこと。どうしようか。
さっきやろうとしていた、高くに俺を飛ばしてもらって、竜に見つけさせる、という作戦。これはまあけっこういいと思う。今はキルフリードが狙われているけれど、俺の姿を見たら、またターゲットにしてくれる可能性はけっこうあるんじゃないだろうか……いや、どうか、わからないな。
こっちだーって飛び上がったのに、見向きもされなかったら、虚しいし。もっと確率の高い方法。何か。やつが絶対に無視できない何か。
ある。
「ダックス。俺をこうやって動かすのって、けっこう魔力は食うの?」
「いいえ。今から十分くらいなら、全力で《徴》を使い続けられると思います。もっとも、『神器』を抜けばその時点で、ゼロになるのですが」
「んなかかんないだろ。せいぜいが、もう、一分か、二分かだぜ」
2
生来潤沢な魔力を持つダックス・ハルマンとは対照的に、平凡な魔力量のキルフリード・ルイユには、着実に限界が近づいて来ていた。
しかし、生存のためには、刻印器を使い続けるしかない。
キルフリードの脳内にも、康生とダックスが描いたのと同じ画は浮かんでいた。しかしそこに向けて動くことができない。焦りともどかしさとが、彼の心中を包もうとしていた。
「よ」
「コーセー!?」
「この剣もらう。で、お前、あっちな!!」
位置関係を整えるために康生が考えたことは、ごく単純に、お互いに動いて入れ替わるというものであった。ダックスの泥に包まれ、竜の顔の方に飛ばされる途中。すれ違いざまに、康生は左手でキルフリードの腰から剣を抜き取り、そして右手でキルフリードの肩を叩いて、尾の方を指差した。それだけで、作戦は伝わっていた。騎士は何も言わず、頷きもせず、目的地へ走った。
竜はそれを見て、当然、柱を生やすことでの攻撃を続けようとする。しかし、そうしない。
「“響創剣”」
現代の日本にあるもので例えれば、甲子園のサイレン。そんなような音である。この世界には、まだ比喩に使える物が存在していない。そんな、大きな音が鳴り響いた。
叫びをあげる盾の、すぐそばで。
それは竜にとって、看過できないものであった。
三百年近く自らを閉じ込めた盾と、それを利用し、自分に手傷を負わせた人間。
その組み合わせが、またなにかを起こそうとしている。
優先順位は、そこに移った。
「三十秒」
竜は痛みこそあれ、立ち上がり動くことができた。
目的地へと着きダックスの形作る泥が取り払われた康生も、また同じ状況であった。
ダックスが脚に巻いた布を、『ワイアーム』で手元……すなわち上方向に引き寄せ続けることで、より強く締め付けつつ、吊るようにする。それで、激痛と引き換えに、脚の動作をあるていど、補うことに成功していた。
「三十秒がんばれ! 俺!」
尋常ならざる痛みによって、多量の汗を分泌し、唇を噛みしめながら、音────柱の突き出す前触れに備え、耳を澄ます康生。
その音は、彼の左右、少し離れた場所から鳴った。
鋼鉄の塔は、まるで、彼を閉じ込めるように打ち立てられた。
そこで、康生はやっと気付く。血を失いすぎたからか、タイムリミットが近付いている焦りからか。自らの思考がやはり、平時と比べ鈍っているということに。
眼前に出ておきながら、男は直に、その顎で噛み潰される可能性を、考慮できていなかったのである。しかし、逃げ場がなくなってから分かっても、もはや遅い。
ただ彼が幸運だったのは、味方の動きが、彼の思っていたよりも、随分速かったこと。
康生が窮地に立ったことを自覚すると、ほとんど機を同じくして、遠くにある鉄柱が、自分の方へ傾くのが、彼の視界の隅に入った。
キルフリードが、倒したのだ。
「頼むから早くしてくれぇ─────ッ!!」
男は叫んだ。死にたくなくて、仲間に叫んだ。
しかし顔をひしゃげて、細まったその目に映ったのは、倒れ込んでくる、竜を怯ませるための質量兵器が、尻尾の一振りによって、粉々に粉砕される様子であった。
竜は、独圏内……ごく狭い、自分の周囲に限ってではあるが、地面にある質量を感じ取る能力を持っていた。ダックスと康生が考えた、自分たちの位置を測った方法は、およそ正解である。
それゆえに、巨大な質量を持つ柱が折れ、宙に浮いたことも、察知できていた。地面にかかっていた重さが、なくなったからだ。
その場面を見上げる構図となった騎士も、遠くで見ている康生も、一度絶句する。
竜は怯んでいない。
だが、考えを即座に改める。尻尾を振り回すという行為に、数秒を使った。時間を使わせた。ダックスの動く猶予を作ったという意味でなら、作戦はうまく行っている。
実際に竜は、自分の首の右側に迫っているダックスを、感知できていなかった。理由は二つある。柱を生やしすぎたせいで、質量の情報が渋滞していたこと。キルフリードが竜の身体の左側で戦っていたのと、目の前に康生がいるせいで、右への注意が散漫だったこと。
絶好の機会をダックスは得ていた。
位置について、地面へと“エンの鈍”を突き立てるダックス。
黒い刀身が、灰色に変わってゆく。
実際に変色しているわけではない。常にその身を包んでいた「泥」が、少しずつ剥がれ落ちている。
それとともに、剣に刻まれた《徴》が、姿を現す。
欠けの一つすらないように見えた鉄塊の、本当の姿。それは、刀身の付け根から三分の二くらいまでにかけて、ぽっかりと長い穴の開いた、異形の刃である。
ただの大剣としては、まともに使うこともできないような代物。
「“エンの鋸”」
ダックスの呟いたそれが、二柱の神を殺したと伝承される、オロク教の神器。その真の名前であった。
竜はその瞬間まで、ダックスのことなど、歯牙にもかけていなかった。真横で凶器を抜き放とうとしていることなど、知る由もなかった。
神父にとって絶好の機会であった。
しかし、その剣を振り上げ、一撃を放とうとしたまさにその時に、気取られてしまった。
神器の放つ、ただひたすらに圧倒的な存在感。それが、竜を振り返らせたのだ。
3
異様な雰囲気。怖気が、全身を襲った。背中に冷や水をぶっかけられたようだ、というのは、こういうのを言うのか。
そして、不可解なのは、その感覚が目の前で俺の命を奪おうとしている竜ではなく、その向こう。ダックスがつくはずの位置から放たれていることだった。
これが、例の一撃必殺の手段なのか?
しかし竜もまた、同じことを感じたらしい。
左を、ダックスの方を向いた。向かせてしまった。
だけど、もう俺に出来ることはない。
あとは、祈るだけだ。
……待てよ。
祈るのは、ほんとにダメんなる時まで、禁止のはずだろ。
考えろ。ぼーっとするし、正直もう、どうとでもなれ、なんて思うけど。それじゃいけないんだよ。
まだ、何かある。やれることがあるはずだ。
俺の力なら、だってこんな状態でも、手さえ残ってりゃ、何かしら出来るんだから。
とにかく、周りを見ろ。竜の顔の向きが変わったことで、視界が少しだけ開けている。そして、目に入ったのは───
────キルフリードが倒して、竜がぶっ壊した柱。
砕かれた破片が、宙を舞っている。そして、そのてっぺんだった部分。
柱は真ん中あたりで砕かれたから、その部分だけでも、こいつの頭の三分の二くらいはありそうなでっかさだ。
さらに、これは全くの偶然だけれど。
それはちょうど、俺の持っていた斧を、飲み込んだ部分じゃないか。
だったら引ける。
地面に落っこちてるならともかく、浮いてるんだ。めちゃくちゃなパワーがなくても、干渉できるはず。
「『ワイアーム』」
どうせこれで終わりだ。
残ってる魔力がどんくらいかなんて、わからないけど。
つぎ込んでやる。
4
「ぬうんっ……!!」
ダックス・ハルマンにとって、竜に勘付かれる可能性は、ゼロではなかった。猶予が短くなるだけであり、そこまでお膳立てしてもらったのならば、あとは自分が決め切るだけ。頭を半分に切り分けるでも、当然竜は死ぬのだから、さして変わりはない。そのくらいの気持ちである。
それほどまでに、彼は“エンの鋸”の威力を信じていた。
その特異な形状と、そこに刻まれた“呑槌”と呼ばれる《徴》が生み出す「捩れ」。
「捩れ」は周囲にあるものを空間ごと巻き込み、そして破壊する。
《徴》を封じている時であれば、ダックスはこれを片手で軽々と振り回している。しかし現在、彼は歯を食いしばり、腕に太い血管を浮かべながら、この剣を扱っている。
巻き込んだ量に比例し、剣自体の纏う質量が膨れ上がっているのである。
竜も、遠目で見るキルフリードも、その力を理解することができなかった。地面やそびえ立つ柱、そして竜の金属下の鱗までもが、ペリペリと剥がれ、円を描きながら、剣に吸い寄せられていく。
それが纏わりついて、尋常ではない大きさの鉄塊へと、その姿を変えていく。
だが、所詮は鉄の塊。
キルフリードは思う。それで勝てるのか。
竜も考える。自分を脅かす破壊力があるのかと。
しかし、どちらも、本能は警鐘を鳴らしていた。目に見えるもの以上の危険性を、感じていた。
その予感は正しい。
そして、理解できないのも当然である。
なぜならば、その通り、見えないからだ。
“エンの鋸”の真の刃とは、刀身を中心に空間が捩れて出来た、「渦」そのものなのだから。
竜はそれを知らない。
しかし、ともかく、放置はできない。
ダックスに向かって、その巨大な顎を開いた。その時である。
竜の側頭部へ、鉄の塊が激突した。
きいやあああぴいいいええええええええええええええええええええええ
その衝撃によって傾き、また康生の方に向き直った頭が、シズルムに、再三の叫びを上げさせた。
それと同時に、もう一度神父の目前に、目的の頸が曝け出される。
竜は脳が揺らされることで、今度こそ完全に、怯んでいた。
「“呑槌”!!」
振り下ろされたそれは、竜のあまりに大きく、太く、頑強な頸を、あっさりと両断していた。




