31話 手札
1
「戻ってきているのか……? 魔獣が……」
竜が戦力を呼び戻す理由。それはキルフリードたち三人には、けして察することのできないものだった。
「キルフリードさん」
「ああ……」
「せっかく渡してくださったのに、申し訳ないのですが」
「……」
「私自身、もっと触れていたいと考えてはいるのですが」
「まさか」
「これ、捨ててしまいましょう」
「ああ……!!」
深く皺を作るキルフリードの顔を傍目に、手に持った盾を、康生の元へ。円盤のごとく投げるダックス。
「分かった」
それに呼応し、走る男。竜と、百は下らぬ金属の獣たち、その狭間へと。
竜は叫びをあげながらも、その男の姿を捉える。その男の手に握られた剣を。血塗られた剣を捉える。
落胆から取り戻した平静を、激痛とそれが、掻き乱す。
頭に血が昇っていた。
端末の全身が金属で出来ていて、血が流れていないとしても。本体には、血が流れている。なぜならば、自然発生した生き物なのだから。一方で端末とは、竜の身体からふき出た外部器官に近い。ヒトで言うならば、頭皮から抜け落ちた髪の毛が動いている……ようなもの。
つまり、彼等は一見、サイズに差があるだけの同じ生き物のように見えるが、全く違う。
康生もそのことに、薄々勘付き始めていた。
「お前さ、最初の、情念の籠った眼といいよ……ちょっと、感情豊かすぎるぜ」
だからこそ、その視界に踊り出れば、短絡的に自分に攻撃してくる可能性は高い。そう踏んでおり、実際に、康生の読み通りにことは進んだ。振り上げられた鎧を纏う前脚が、彼を襲う。そんな中。
神父ダックス・ハルマンの投げたモノが、木差子康生の上空を通過した。
「あ……」
「おい!?」
しまったという顔をするダックスと、嘆くキルフリード。しかし、青年に焦りはない。
「『ワイアーム』」
高くジャンプしたうえで異能を発動。カエルのポーズをとって、手元に引き寄せられる円盤を、足で蹴り返す。その釣り合いが、盾を宙に舞う足場として機能させた。
最強の盾、“信壊”シズルム。
それが人の手で使われるのは、実に二百八十八年ぶりである。
2
『神器』。戦地などで巨大な魔力の衝突が起きた際、偶発的に生まれる『刻印器』の到達点であり原型。
それを人為的に作る。
“十壊器”の基本コンセプトである。
また、そのうち半数に適用された副コンセプトがある。
起動に魔力を必要とせず、誰にでも、いつでも使えること。
「来いッ!」
竜の前脚が自らを踏み潰す瞬間に、足場……“信壊”シズルムを蹴り、男はさらに上空へとジャンプ。
そして残された盾を、竜の一撃がとらえた。
きゃあああああああああいやああああああああああああああああああああああ
叫びと共に、国ひとつを護る防壁が展開される。
竜とその眷属。二者を隔てる壁として。
「つまらないことすんなよ。実は寂しがりやさんなのか?」
常に自分の下にいるはずの生き物。自らの十分の一に近い大きさの、羽虫の如き惰弱な命。
それが、頭上にいるという事実。竜は憤りとともに、戦いの始まった当初、持っていた気持ちを思い出した。
屈辱を晴らす。
その対象として、康生を改めて定義した。
それが、命取りである。
「コーセ───────!!」
「合点承知」
それは、先ほどの攻撃のリフレイン。
キルフリードが膝裏に突き立てた“地熱槍”。
それを、康生が異能によって引き寄せる。
不意を突かれた竜が、あまりの痛みから一度瞬きをする。
目を開ければ、空中にいたはずの男はそこにいない。
すでに、巨体の頭部へと着地していたためである。
そして、そのことに気づいた時、ちょうど槍は、左膝を貫通し、ついに竜が、体勢を崩す。
いける。そんな雰囲気が、人間たちに流れる。竜が頭に耐えかね左脚を畳んだことで、その身体の下のスペースが狭くなる。膝を貫き対象の腹に反射した槍が、回収できなくなる前に、急ぎ足で拾いに行くキルフリード。その口元は、わずかに緩んでいた。たしかな手応えを感じていたのだ。
しかし、相手は災害とされる生物。異世界から現れた、常識外のバケモノ。
笑みを溢す騎士の視界に、流血と共に落下する仲間が映った。
ほぼ同時に男の背中に圧力がかかり、着込んでいる鎧と接触したそれが、きしむ音を立てる。
泥の奔流によって押し飛ばされ竜の横に倒れたキルフリード。彼が見たのは、竜が全身から、夥しい金属の棘を生やしている様子。
「……ッコーセー!」
数秒あっけに取られた男がはたと気づき竜の胸の下を見る。
康生はダックス・ハルマンの生成した泥に包まれ、落下死を免れていた。
しかし、突き刺さった棘から無理やり引き抜いた結果。
彼の左足は、比喩でなく、穴だらけになっていた。
最初に重傷を負ったのは、三名の内最も速く、最も枠にとらわれない動きができる男。
キルフリードは次いで神父の方を見やる。
その表情からは、余裕が消えていた。
彼らの手元に、もう最強の盾はない。
3
もう少し、上手いやり方があったかもしれない。
神父ダックス・ハルマンはそう考える。
戦争で。魔獣の征伐で。転遺物の後処理で。異端者の誅殺任務で。
仲間を失った時と同じように。
余っている自らの魔力が、彼にこの事態を、自分の出し惜しみによるものかもしれないと、思わせていた。
泥の足場を絶えず作っていれば、康生にもっと安全かつ、自由な行動をさせられたのではないか?
“泥舟”という汎用性の極めて高い《徴》を持つからこそ、結果から逆算し後悔をする。
神の化身ともてはやされようが、人は人。
「……分かっています。今反省しても、仕方ない」
男は自らに言い聞かせる。
「“泥舟”」
そして、まず異能を使い、康生の移動を試みる。
「!!」
今にも食らおうとしていた敵が、濁流にさらわれ眼前から消えた。しかし竜は、その広い視野で行き先を確かに捉えており……見せていなかった手を使う。
「なんだと……!?」
棘、というには、それはあまりにも太く長かった。康生の進行方向の地面から、巨大な鉄柱が、ずるりと生え出たのだ。キルフリードが驚愕するのも、当然であった。
しかし、自らの想定の甘さを断じ、脳を働かせていたダックスは、事態をすぐさま理解する。
今いる独圏は、竜が広げている空間。言うなれば、手足の延長であり、こんなことは、できて当然だと。そして、自在に流れ動く自らの泥の能力ならば、避けることも容易い、と。
それよりも彼の関心は、竜が脚を負傷しつつも出来うる限りこちらに顔を向け、明確に、康生を狙い撃ちで攻撃してきている点だった。
「サンキュー……ダックス……」
「コーセーさん」
“化身”ダックス・ハルマンの強さは、持って生まれた魔力の量。恵まれた体格と鍛えられた筋力。万能の《徴》。道を阻む全てを断つ『神器』。望むまでもなく手に入れた権力。
そして、時に自分の気持ちすらも踏み躙ることのできる、戦争で培った合理性。
「狙われていますね」
その事実は、戦略に使える。
「そう。そうなんだよ」
そして、足を貫かれた男もまた、同じ考えに至っていた。
ただし、この男の場合は、単に合理的であるというよりも、どこか……自分の命を、軽く見ている。
それは役割意識の強さか、一度死んだようなものだからなのかは、本人にすら定かでないが。
そこまで見透かしたうえで、神父はその、現状竜の第一目標が康生である、という事実を、「使う」と決定していた。
「ダックス殿、シズルムを────」
「今」
「竜だけに集中できているからこそ、我々は今、なんとか生きています。あれがなくなれば、魔獣の雪崩に押し潰されて死ぬ」
「……」
「コーセーさん。痛いでしょうが、脚を上げてください」
「え……うお!?」
絡みつく“泥”が、康生の姿勢をその状態で固定する。心臓より上の位置に、重傷を負った足が来るように。そして、破れたズボンの一部を引き切って帯とし、膝の下あたりを縛り付ける。
「これで、短時間での失血死は免れるでしょう。貴方のことは、私が今のように“泥舟”で運びます」
「……ははぁ。頼むわ」
男は、ヘイトコントロールと『ワイアーム』で物の位置を操作する、それだけの装置にされることを、すんなりと受け入れる。
ダックスは、そのぞんざいな扱いが、この場においては康生にとって最も安全であり、また本人がこの提案を拒まないことまで、分かっていた。
竜を打ち倒すこと。“信壊”シズルムへの依存から脱却することを願う、この地の当事者だけが、流れに乗り切れないでいた。
「キルフリードさん」
彼はそれが、数日前の夜に酒を飲み交わした相手と同一人物なのか。そう一瞬、疑った。
「私が指揮を取ります」
しかし、その疑いを、コンマ二秒ほどで断ち切り、大きく息を吸う。
「ダックス殿」
「ハイ」
「私も指揮を取る」
「!?」
「コーセーもだ」
「うん?」
それは後悔に締め付けられるダックスの緊張を、正しく解く言葉だった。
「要するに、ここまでと同じやり方でいい」
「ですが……」
「大体、この巨体が相手では視点によって得られる情報がかなり異なる。一人の意見に偏っても仕方がないだろう」
「……」
「たしかに!」
ダックスも思ったことを、康生がまず口に出す。饒舌な彼が先を越されたのは、この提言に、キルフリード本人の自尊心を守る意図を見て、文字通りの意味を咀嚼するのが遅れたからだ。
実際のところ、キルフリードにその気持ちがなかったとは言えない。しかしダックスは、この「遅れ」を、自分が冷静でないからこそ起こったものと判断する。そして、自分一人で周囲に指図することが、現状危険かもしれない、とも。
「……焦っていたようです。申し訳ない」
やり方は何も変わらない。
しかし、それによって彼らは、「数の利を捨てる」という壊滅の危機を、ひとまず回避していた。




