3話 コーセー
1
『転移者』。他の世界から転移した人間、ということだろう。納得した。魔法なんか日本じゃ、フィクションでしかなかったものな。
だが相手は確証が持てないらしく、小声でぶつぶつと呟いている。
「服装は……修道院の共通下着に近いか? この軽装で旅人はない。かといって魔法を見たうえで、地元民がこのパンクレス様と気付かないはずも……そもそもこの辺りは資源も何もない。近付くやつなんざ……」
ぐるんと下を向いていた頭を持ち上げる、どうやらパンクレスというらしい男。
「オマエ、ここから一番近い集落の名を知っているか?」
「……」
知らねーよ。
「この世界の名は? 国の名前は? 首都は? 国王は? 隣国は? 魔法は────」
だんだんと鬼気迫っていく質問の勢いに、俺は気圧される。
「────知らないん、だな?」
男はぎこちない、ぐしゃぐしゃの笑顔を作った。色々な感情が混ざったような顔だった。
そしてその表情のまま────俺の腹を、殴りつけた。どうやら魔法を操作している右手は前に向けたまま、左拳で、何度も、何度も。
「年に数度の奇跡が!! この国に!! 俺の目の前に!! おお!! おおおおおお!!!!」
「が……は……」
細腕から繰り出されているとは思えない重い衝撃の連打。激痛とともに、肺の中の空気が強制的に吐き出される。意識が刈り取られそうになるが、また繰り出される痛みで目を覚まされる。
「ハッ……ハッ……あのゴミにも、感謝しねえとなァ……」
「!」
それは、聞き捨てならない言葉だった。そしてその反応を、野盗は見逃さない。
「どうした? いや、不安がるなよ。オマエのことは殺せないから。国に売りゃあ、一生遊んで暮らせる額になるだろうしな?」
「……」
「それとも、なにか、気に障ったのか? ……あ、そうか。あれに魔法を撃った途端、顔が変わったもんなァ。『見つけた時にはもう死んでた』なんて、嘘だったわけだ……」
気付かれた。
「くふ。じゃあ聞かせてやるよ。俺様と奴の因縁ってやつ」
「……」
「コイツは、一点に向かって風を吹かせる魔法。相手にとっちゃ全方向が向かい風で動けない。俺からすりゃ、逆にどっからでも追い風……つまり。吸い寄せるのさ。周囲のものを……昔、流行ってたらしくてさァ。この特性を使った人間ダーツ。面白そうだろ!? だから」
聞きたくもない蘊蓄を語るパンクレス。その「だから」に続く言葉を、俺はなんとなく予感して、風とは無関係に、全身の毛が逆立った。
「だから、御者のジジイで試していたらさあ? アイツがもうボロボロだったのに突撃してくるから、あーあ、ついこんなとこまで吹っ飛ばしちゃったんだよォ!!」
「テメェ────」
俺の言葉は、鳩尾に刺さった拳によって止められる。
「あ〜ーーーーー見せてやりたかった。オマエが助けようとしたお爺ちゃん、こんなんなっちゃったヨ……って……」
そこまで聞いて、俺は我慢できず吠えた。なんと言ったか、自分でもわからないほどだった。
2
我を忘れた数秒間の中で、自分がなにを想い、どういうことを叫んだのか。もはや知ることはできないが、きっとそこには、明確な殺意があったに違いない。
なぜ分かるかというと、平静を取り戻した視界に映る、ニヤけ面の男の後ろで────
さっき俺の手を離れた斧が、ひとりでに浮き上がっていたからだ。
周りに他の人間が誰もいないのならば、それは俺の意思に応えたとしか思えない現象だった。空中へと浮上した斧はくる、くると“回転”を始める。それは俺の知る物理法則を、完全に無視していた。
残像で円盤のように見えるほど加速した斧は、そのまま勢いよくふっ飛び……猛スピードで野盗・パンクレスの左肩に突っ込んだ。当たるまでに、戦い慣れた奴が一切気付かないほどの速さ。あんなに歪んでいた刃が、深々と突き刺さる。その威力がそのまま、俺が抱いた感情の大きさなのだろう。
意表を突かれたパンクレスは困惑の表情で、苦悶の声を漏らす。それと同時に、俺の身体に自由が戻った。なにが起きているのか、はっきりと掴むことは出来ていないが、とにもかくにも、今しかない。
「テメェもう、喋んじゃあねえ!!!!」
振り抜いた拳が、顔面に入った。鼻骨をへし折った手応えが、しっかりと伝わってくる。そうだ、力を振り絞るというのは、こういう感覚だった。
殴った相手はその場でひっくり返り、荒い呼吸をしている。だが、まだだ。気を失うまでやれ! 今すぐにでもゲロをぶち撒けそうに苦しいが、止まっているヒマはない。一息つかせたら、また形勢が逆転するのは目に見えているのだから。意識不明が「最低限」だ。追撃するべく馬乗りになろうとする────が。
「“風鎖空棺”ッッッッッ!!!!!」
またも身体の自由が奪われた。さっきと同じ感覚。
「野郎ッ」
顔から血を垂れ流しながらも、男はすでに、フラフラと立ち上がりだしていた。折れた鼻ではうまく空気を取り込めないようで、口からゼエゼエと荒い息を吐いている。ねじ曲がった顔は怒りでさらに歪み、先ほどのにやけっ面は見る影もない。
「ハァッ……ハアッ……何を、何をした〜〜〜ッ!! こんなっ、こんな、俺様の、肩があッ!! 魔法か!? 『ガルドル』か!? いったい、何をっ……」
俺にもよく分からないから答えることはできないが、そもそも返答を求められていない。喚き散らしながら、すでに攻撃の動作に入っている。「殺せない」というさっきの言葉も、もう関係ないという顔だった。
もう一度……!!
さっきの現象を起こそうとする。念動力のような力が、俺にあるのなら。向こうに見える石でも、木でも、なんでもいいから、こっちに────
────しかし、何も起こらない。
近づいてくるパンクレス。
殺される。
本日二度目の死が、すぐそこに迫っている。
「くそ……」
死ぬのが苦じゃなかったのは、何も持っていなかったからだ。元気な身体が、約束が、なかったからだ。
ふと思う。きっと來夏も、俺に死んでほしくないはずだ。それはたぶん事実なのだが、思考回路が醜すぎる。依存。すがりつくことに慣れている。
病を、動かない肉体を憎んだ。だけど違う。そこじゃない。性根が、精神が、俺のこの、心がダメだ。不自由がなくなって白日の下にさらされた手前の不出来。
こんな奴は死んだほうがいい。
だけれど……どうにも死にたくない。特に、こんなのに殺されたくない。
「死ね」
パンクレスのその言葉に対し、例によっての格好つけで微笑を浮かべ、一方ひどく情けないことを、口には出さず呟いた。
助けてくれ……
3
宙を舞う感覚。
ただしそれは、殴られたからではない。祈りが通じたのか、巨大な火の玉が空から降ってきたせいだ。その衝撃によって地面が沈んで、俺たちは数十センチ、浮き上がっていた。パンクレスの拳は俺の服をかすめ……胸ポケットに入った金属が、小さな音を鳴らす。
「來夏ッ……!」
野盗の向こう、大きく凹んだ地盤の中心。天まで貫く火柱の中。浮かび上がる人影に、ありえないことを想像してしまう。
しかし、やはり、ありえないことはそうそう起きない。あっても日に一度くらいだ……そこにいたのは、あいつとは似ても似つかない少女。赤と黒のパンキッシュな服装の上に、ぶかぶかの古めかしいコートを纏っている。
だけど、吸い寄せられるように、視線を彼女から動かせない。そのアンニュイな表情に、惹きつけられる。命の危機だというのに。
「しっ、弑逆の戦火。ネルネリ・インヴィー……」
すでに振り返って彼女を確認していたパンクレスが、震え混じりに言う。その声でハッとしたが、時すでに遅し。俺を押し退け、彼は全速力で走りだしていた。
「テメェ────!!」
追おうとしたが叶わず、膝から崩れ落ちてしまった。もう限界だ。上半身だけで奴を追うが、当然、その背中はみるみる小さくなっていく。
俺の叫びに呼応するように、野盗の肩に刺さっていた斧が抜けて、こちらまで飛んできて転がった。パンクレスは「ギッ……」という、奴の激痛に耐える声を漏らしたが、しかし脚を止めない。よっぽど彼女が怖いらしい。
「ねえ」
心臓が跳ねた。鋭さのある声。ライカの声とは感じが違う。
「今の斧。あんたが?」
「……あいつを……」
「追わない」
彼女は、盗賊の方に目もくれず答えた。
「わたしはシタン帝国騎士のネルネリ。あんた、別の世界から来たんでしょ。名前は?」
なぜそれを、と聞こうと思ったが、会話を広げる元気がない。殴られすぎた。意識が朦朧とする。だがまあ、なんとか……騎士という、国家権力らしい人に、生きて会うことができた。俺にしちゃあ、よくやったさ。
「……康生。木差子康生」
それだけ答えて、とうとう気絶してしまった。消えつつある意識の中で、微かに
「へえ。コーセー。コーセーね」
という声が、何度も耳の中でリフレインしていた。どうやら、走馬灯ではないようだった。




