2話 木差子 康生②
1
「状況に耐えられなくって咄嗟に言っただけで、本気じゃない」
そんな酷い言い訳が頭に浮かんだが、腕に抱えた遺体の重さを感じて、自分の醜さに吐き気すらする。
どうする? 俺の女神、常來夏ならば、迷うことはない。言った通りに自分から野盗とやらを探し当て突撃して、そしてきっと、上手くいってしまうだろう。
俺にそんなことはできまい。だが、じゃあこの場を全部放り投げて、逃げ隠れながら町でも探すか? いや……
ここはきっと、思い描いた死後の世界ではない。多分、もっと全然想像もつかない、別の世界なんだろう。ともかく、彼女がここにいるとは思えない。けれど、もう一度死んだら、今度こそあの世で。その時に堂々と会いに行けるようには、しておきたいじゃないか。
それに俺だって、出来ることならやってやりたいんだ。あんなでまかせに応えてくれたテータさんに、少しくらい報いたいと思う。
「あなたの稼いだ金を、全部……家まで。きっちり届けることは……出来ないかもしれないけれど。遺言とご遺体は、必ず」
意志の弱い男だから、宣誓をした。すでに目標を一段下げているのが情けないが、しかしこれ以上逃げないように。自分を奮い立たせるために、改めて言葉にした。
「よし。やるぞ。ええっとぉ!!」
決心はした。そうすると次に襲ってくるのは、現実的にどういった手段を取るかという話である。ここが鬼門だ。義務教育も終えてないよ、俺。とりあえず上を向き、神に祈った。
「來夏ァ……どーしよ……」
2
「ええっと……ここの金具が、こうか!?」
この血だまりの中で放置というのは嫌で、俺は遺体を、壁際に安置することにした。しかし成人男性の身体は重い。動かすためにまず、甲冑を取り外そうと試みているわけだ。腕と脚にしか装着されておらず、大した厚みもないが。気休め程度、軽くなるはず。
「あ? んだ、これ……名前、とか、いや……」
外した脚甲の裏に、何か文字のような傷が刻まれている。最初はこの世界におけるお守り的な……「必勝祈願」や「交通安全」のようなもの。あるいは、家族の名前、ってのも洋画的で素敵だなあと思ったのだが。よく見ればそれは。
「チ、ガ、ウ?」
カタカナ。日本語の。「チガウ」という字に見える……なにが? 気になる。気になるが……考えるだけ無駄か。答えが出ない問題に、かける時間はない。今度は、テータさんの持っていた斧に手を伸ばす。自分の袖を裂いて帯代わりにし、柄を右腿の横に巻きつけた。野盗が、まだ近くにいるかも知れない。戦う勇気はない。しかし一応、武器は持っておきたかった。それこそ気休め、多少なり安心するためだ。
「……フゥー……」
遺体を壁にもたれかけさせ、数秒、黙祷し、立ち上がる。
「すぐ戻ってくる予定なんで。待っててください」
警察や、それに相当する人を連れて、迎えに来る。俺にできることなんて、その程度のもんだ。視線を切って、風が入って来る、光が差す方へ向かう。それが俺には出口というより、新しい世界への入口のように思えた。
「はは……」
洞窟を抜けた先の景色。まばらに立っている朽木と大小の岩が、夕日に照らされている。大した風景ではなかったと思うが、俺にとっては鳥肌モノだ。もっとよく目に焼き付けようとして、目を見開く。高い岩でも見つけて、その上で周囲を探ってみようという考えもあった……が、見つけたのはもっと全然、違うものだった。
人。
背の高い男だ。十メートルほど向こう。こちらに背中を向けて、首を左右している。細長いシルエットが、木々に紛れて気付かなかった。
……野盗?
まさか。だけど、可能性はある。まず観察を────
「ひ……」
男の手に乱雑に掴まれた人の生首に気付き、思わず狼狽え、後ずさる。その拍子に、洞窟の壁に右腿の斧が触れ、ガツンと金属音を鳴らした。
それに伴ってこちらを向く男の首の動きは、まるで害虫が急に羽を震わせた時のような、そんな不気味さを孕んでいた。
こいつだ。
俺は恐怖で全身から汗を噴き出しながら、もがくように走った。いま出てきたばかりの穴の奥へと逆行し……そして、目の前で死んだ彼の前で立ち止まり、悔恨から余計に嫌な汗を垂れ流す。
明らかな愚行だった。戦略としても、人としても。
「探してたんだ、そいつゥ……」
後ろから聞こえる声に、肩が震えた。殺した張本人を被害者の目前に連れて来るバカが、どこにいるんだ。
3
いやに不吉な雰囲気の男だった。細長い胴体。細長い顔。細長いモヒカン。袖をちぎられたノースリーブジャケットから伸びる細長い両腕には、おびただしい量のタトゥー。世紀末だ。そして極め付けが、手に持った生首。
「え、あー、そうなんですか? いやあ、俺が見つけた時にはもう死んじまってて、葬ってやろうかと思ってたんです」
探していた? テータさんの服や装具に触ったが、金になりそうなものはなかった……と思う。だとすればなんだ。犯人が取り逃がした被害者を見つける動機────
「どうして逃げたァ?」
対面する男の声に思考は止められる。とりあえずは当たり障りのないことを言って、この場を切り抜けなければ。
「持ってるソレ……怖くって。反射的に」
嘘ではない。
「あー……」
男は一瞬だけ納得を顔に出すがそれはすぐに引っ込み、元のねっとりとした笑みに戻る。そして、手にしたモノを見せつけるように、身体の前へと右手を動かした。
「ホントは、そいつに拝ませてやるためだったんだ」
そんなことに意味があるのか、ないのかは知れない。どちらにせよ、この野盗の悪趣味であることは確かだった。できる限りそれを見ないように、目を細めつつ視線を遠ざける。
「だからもう要らないや……中位風魔法」
────魔法?
「“浸透戟”」
野盗はそう言いながら、横薙ぎに腕を振る。掴んでいた生首は投げ捨てられ、岩壁に衝突しひしゃげる。それとほとんど同時に、俺の背後でも鈍い打撃音が響く。
「え……」
後ろを振り向くと、壁に寄りかかっていたテータさんの身体は何か強い衝撃を受けたように跳ねあがり、そしてべちゃりと地に落ちた。
魔法。
こいつはそれで、距離の離れたテータさんを「殴った」のだ。俺の生まれた世界には存在しなかった、未知の暴力。
「これで無反応なら、ちゃんと死んでるな」
気になっていた「探す理由」を知れたが、もはやそんなことはどうでもよかった。目の前で行われた行為への恐怖と不愉快と怒りと困惑とで、思考がまとまらない。
目的を終えた野盗はすでに洞穴の外へ歩き出していた。俺はその背中を、その場で震えながらただ眺めて……
こうじゃ、ないだろ。
情けない自分への諦めに考えが収束することで、冷静になった。そのうえでなお、後から後から噴出する感情。
ゆるせねえだろ。
4
どうする。相手は「魔法」という、不可視の暴力を使う。対して俺の武器は、歪み、欠けて刃物としての機能を失った斧。こんなもの、人に向けられるワケ……いや。そもそも弱っちい俺が、やり方にこだわってどうすんだよ。
不意打ちで一撃。それしかない。
右手に凶器を構えながら、先を行く野盗を追いかける。
音を立てないように、慎重に、息を殺して。一定の距離を保ちつつ、隙を待つ。
だがこのずさんな作戦は、とうに見破られていた。少しの尾行の後。俺が洞窟を出てすぐ。
「そういえば」
男は立ち止まって話しかけてくる。
「オマエは、どこからきたんだ?」
一瞬、全身が硬直した。だが、もう逃げるつもりはない。こいつがこちらを向かないのは、油断のあらわれだ。今が好機。歩みは止めないまま、精一杯の不敵な笑みで答える。
「知るか。こっちが聞きてーよ。気付いたらこの洞窟ン中だったんだから」
「!!」
発言に意図はなかったが、結果として野盗は、顔を見ずとも分かるほどに動揺した。今しかない、と思った。
首を狙って斧を振る。一撃で終わらせる。俺を舐めている相手が、後ろを向いていて、しかもどうしてだかビックリしている。最初で最後だろ、こんなチャンス。
しかしそれは素人のぬるい想定であった。俺とこいつでは土台が違う。日本で寝たきりだった男と、この殺伐とした世界を盗賊として生きる男。油断があろうがなかろうが、そこには天と地ほどの差がある。
「中位風魔法────」
機敏に振り返りながら後ろに下がる野盗。距離感が変わる。無理に踏み込みを伸ばすことで、なんとか斧を届かせようとするが、そのコンマ数秒で、男にとっては十分だった。
「“風鎖空棺”」
ぶわわ、と強い風が、俺に向かって吹く。
強風に身体を任せてムーン・ウォークの真似をする、あの感覚を思い出す。それが、全身を包んでいるのだ。
……要するに、動けない。
腕を振り下ろす途中という、そこで留まるわけのない姿勢で、しかし固定されている。しかも、急停止の勢いで斧が手を滑り、敵のはるか背後に飛んでいってしまった。怒りに身を任せた行動の、結果がこれだ。身体の自由も、武器も、相手の油断も失った。この世界に来る前と、同じになった。らしくないことをするから、ばちが当たる。
「……まさか。オマエは……」
だが相手の反応は予想と違った。てっきり激昂しすぐ殺しにかかってくるのかと思ったが、その顔には依然、困惑の色合いが強い。
そして、俺を指して言う。
「────『転移者』────?」




