28話 竜
1
ネルネリが抉り取った部分から下を覗くと、谷底から魔獣たちがすでに湧いてきている。
ガツンガツンという音は、四足獣である彼らがほとんど垂直の壁を登ってこれる理由そのものだった。硬質の爪を、同じく金属化した谷の内壁に突き立てている。人がロッククライミングをするときに使う、カムのような役割の機構を、こいつらは生態として持っている。
この独圏という、異常な空間に最適化された肉体。
平地で戦うこいつらよりも、ああ、俺たちが下へ降りる途中に襲ってくるこいつらの方が、数倍厄介なんだろうな。
────だから。
だからこそ、俺たちが行く。
キルフリード、ダックス、俺。三人がほとんど同時に、谷の中へと飛び込んだ。
「“泥舟”」
「“伝導者”」
「『ワイアーム』」
谷の中という極限の環境において最も重要なこと。それは、落ちないこと。
落ちたら死ぬんだから、当たり前の話だ。
だからこそ、俺たちが行く。
空中でも、泥の足場を作れるダックス。磁力を操る鎧で、金属質の壁に貼り付けるキルフリード。そして、一度手に触れたものを引き寄せることが出来る俺。
もちろん、壁を引き寄せるなんてことはできない。けれど、引き寄せようとすることは出来る。
つまり俺は、異能を使って、手で壁に張り付くことが出来る。ずーっと引き寄せようとして、手から引力が出ている状態だ。
言われた時は半信半疑だったが……実際できてる。
《徴》は魔法とは違う、肉体に紐づいた有機的な魔法の式。「こうしたい」と考えればあるていど「そうなる」もの。
なるほど。実感が湧いてきたぜ。ダックスも、探知とかしてたもんな。
「コーセー! 私の“伝導者”と違って、お前はそれを維持するだけでも魔力を消費しているはずだ! 急ぐぞ!」
キルフリードの鎧は、触れた箇所に一時的な磁性を付与する。その一瞬しか魔力を使わないらしい。確かに『ワイアーム』とはコスパが違うな。けど、もっとマズい問題があるぜ。
「あのな、一番ダメなのは、これしてると他のもの引き寄せられないことな? 俺いまマジでただの人だから助け……」
下ばかり気にしていて、気づかなかった。上からの風を切る音に。見上げればすぐ上空から、落下してくる魔獣。
「しまっ……」
「安心してくださいコーセーさん! 私がいれば百人力ですよ!」
落下してきたのは魔獣……に、腰掛けているダックス。手に持った大剣が、魔獣の身体を刺し貫いている。た、頼もしすぎる。
「この間は長時間の細かい作業で、魔力も集中力もゴリゴリ削られてましたからね。 今回は得意を頑張らせていただきます!」
よく忘れそうになるが、こいつ、荒事の方がよっぽど適性高いんだよな……
「そういや、魔力切れって、なる前わかるもんなの? 俺、自分で判断できるかわかんねえよ」
「よっぽど消耗していなければ、外からじゃ分かりませんので、そこは自己管理を頑張ってください……おっと」
ダックスが足場にしていたものからジャンプして離れると、下からきた巨大な鉄の鳥が、その死骸を咥えて、谷の外まで飛んでいった。
「よかった。ランタンを落としてしまうところでしたよ」
「さすがに怖えな今のは」
「ダンジョンや独圏に現れるⅡ型魔獣は、侵入者を襲うものと言われていますが……不自然ですね」
「別に俺らもさっきから襲われてるけどな?」
「空腹だろう」
「え?」
「ここまで全てが金属化している場所だ。普段食べるものも必然、鉄になる。つまり、この壁や、同族。こいつらは、そうやって生活していると考えるのが、自然じゃないか?」
「なるほど。我々を排斥しようとするのは、この空間が与えている命令のようなもの……それに対し生物的な本能。食欲が優先されて、いま私たちでなく、魔獣の死骸を狙ったと」
「そこが一致してないの、すげえ不便な生態じゃねえ?」
「ええ。この予想が正解ならば、ですが……歪んでいますね」
「だが、全ての魔獣が私たちを襲うわけではない、ということだ。ありがたく思おうじゃないかっ……」
「オイ! 戻ってきてんぞさっきの!」
すでに同胞を食い終えたのか、怪鳥が折り返してきている。
「くおお!!」
刻印器で壁から落ちるのを防げるとはいえ、自由でない姿勢で、十全に戦えるわけではない。鎧のおかげで大してダメージは受けてないみたいだが……キルフリードのやつ、背負ってる槍に手を伸ばすことさえ、出来てないじゃねえか。
だいたい急いで降りたいんだから、いちいち壁に手を固定してえっちらおっちら降りるなんて、なんだかとんでもなく悠長に感じてきたぜ。というか、こんなトゲトゲした鉄の壁に張り付いてたら、普通に手が痛い。
となると。
「ダックス」
「ええ! 堕としてしまいましょうか!」
俺もキルフリードも、壁にくっつくだけ。命綱を持っているくらいだが、ダックスだけは違う。
「“泥舟”」
なにせ、足場を自在に作れるのだから。
ダックスが作った泥の塊と壁とを蹴って、キルフリードの元まで登る。
俺の力で、倒せるものかは分からないが。背中に差した斧を抜き、怪鳥の頭めがけて、振り下ろす。
「“地熱斧”」
「ギイヤッ……」
「うお……溶けてるっ……」
通用する。
刻印器を自分で使うのは初めてだったが、しっかりと起動できた。魔力を流すという感覚が掴めないと、中々できないケースも多いらしい。逆に魔法や《徴》を使える人間は、適応しやすいそう。俺もまさにそれだな。
鉄の鳥の首を、溶かしながらえぐり斬ることができた。怯んだ様子だが、しかしそれは声を漏らしながら、動き出そうとしていた。
「コーセーさん!」
「助かったぞ、コーセー……!」
鳥が体勢を整える前に、キルフリードは槍を構えていた。
高熱を纏う大槍が、巨鳥の首筋を溶かし貫いた。
「魔獣は急所を破壊しても、即死すると限らん。常識に縛られるな」
「おう……!」
「……なにをしているんだ?」
「こいつを、乗り物にしよう」
「……?」
意識を失い堕ちてゆく魔獣の亡骸に跨り、キルフリードの鎧を、異能で引っ張った。
「おい、コーセー……」
「ほら、早く」
2
「これさすがに危ないか?」
「おおおおおおお分かっているのか!? 落ちれば死ぬんだぞ!?」
谷底で変わり映えのしない景色だが、視界に映る魔獣のシルエットが一瞬で消えてゆく。何キロでてるんだ、これ。
「分かってるし大真面目だよ。こうやって落ちてりゃ、襲われるリスクは減るじゃん。単純にめっちゃ速く移動してるわけだし」
「だが……」
「私も乗せてもらいますよ!」
宙に足場を作って待っていたダックスも、乗っかってきた。
「……これこのままだとまずいですね。移動が速すぎて、身体にかなり負担がかかりますよ。多少減速できないですか? キルフリードさん」
「私に聞くのか? ……試してはみるが……」
空気の抵抗でバンザイしている体勢になっている鳥の両翼を触れるキルフリード。バチという音がして、羽根が身体の横へ動く。
「空気抵抗で両翼が上がり、反発する磁力で逆方向に動く。この繰り返しで、羽ばたきを再現している……うまく行くとは思わなかったが」
「素晴らしい機転です! まだかなりのスピードですが……身体への重圧感はかなりマシになりましたね」
「でもちょっと遅くなったから……」
上から置き去りにしたやつらが、追いかけてきている。相当の数じゃないか?
「フン。想定していた数と比べれば、微々たるものだ」
「こうやって全員固まっていられるのも利点ですね。皆さん。背中は任せましたよ!」
「脚動かさないで戦うのって、なんか変な感じするな」
3
巨鳥の背の上で、襲い来る魔獣を倒し続けること、数分。コーセーの表情に疲労の色が出始めていた……私も。ダックス殿だけは、未だ飄々としている。
「クソ……いつまで続く? 長くは耐えられんぞ」
「そもそも下層までの距離が不明瞭です。誰かのランタンを落とす他ないですかね?」
「だな」
「迷いがなさすぎる」
コーセーが、照明を放り投げた。馬車でも、「基本的に、荷物は少ない方が好き」と言っていたが。この機をうかがっていたのかというくらいの瞬発力だ。いくらか経って、小さいパキャという音とともに、地面が照らされる。
「……思ったよりも余裕がないですね。そろそろ本格的にブレーキをかけないと、本当に全員死んでしまいますよ」
「そうは言ったって、この状況じゃ……な!」
青年が殺した鉄の狼を蹴り捨てながら、着地の策を練る。
「だから言っただろう! しかしどうにかするしかないぞ!」
「私が“泥舟”で、進路に脆い障害物を作りますか。通過する度に減速できるはず。あとは、コーセーさん。『ワイアーム』で鳥自体を上に引っ張れませんか?」
「んー……できる。でも、重すぎて効果があんまり」
「いや、重さの問題ではなく、引き寄せる対象に乗ったままでやっても、意味がないということでは?」
「たしかに」
「そういうもんなの? 物理ってわかんねえ……てかさ、もう降りたらよくね? こんくらいのスピードなら、頑張ってジャンプできない? 俺たぶんできるよ」
「……鎧が重くて無理だ」
「キルフリードさん……」
「ダ、ダックス殿……そんな顔をしないでくれ」
「じゃ、俺らは飛び降りちゃおうぜ。足場作ってよダックス」
「そうしましょうかコーセーさん」
「い、いや、待て。待て。待て。それはちょっと違うんじゃないか?」
「それで、上に作った足場から、コーセーさんはこの鳥を引っ張ってあげてください」
「わかった」
「……ダックス殿……!」
「いいんですよキルフリードさん。もちつもたれつ、です」
「申し訳ないのだが、それだけだと心配すぎる。ダックス殿の大剣に“伝導者”の効果を適用させ、私の鎧と引き合うようにする、というのも、お願いできないか。二人で引っ張ってくれ」
「キルフリードさん……」
「で、下に作る障害物と合わせて、三重か。それなら流石に勢いを殺し切れそう……かな?」
「というか無理だったら、一巻の終わりです。キルフリードさんが。ただ、どうします? キルフリードさんは自分で頑張れば良いですが、私たちが襲われたら大変ですよ」
「う……」
「ダックスは剣振れないもんな。俺は……お。刻印器と『ワイアーム』、同時に使えるわこれ」
「では、お願いします。時間もありませんし、さっそくやりましょうか!」
────作戦は数十秒で決まり、数秒で終わった。
私を無事に着地させるための、それだけの作戦である。
「生きてっか? キルフリード」
「ああ」
「なんだよ?」
「恩に切る。二人とも」
「いえいえ……しかし、変ですね。なぜでしょう? 底についてから……魔獣が、襲ってこない?」
「好都合だろ。さ、探そうぜ……」
きゃいいいいいいいいいいいやううううううううううううううううやあああああああああああ
ビリビリと、痛みを感じるほどの爆音。
「大歓迎ですね」
「いらねー……」
「手間が省けた。竜は、近い……!!」
悲願を果たす。我々自身の、『誇り』のために。
4
“竜”。
『ダンジョン』“亜人種”と並ぶ、群発型転移災害のひとつ。群発型とはすなわち、近しい存在が多数確認されているという意味を持つ。
しかし、これは他二つとの共通項でもあるが、“竜”は実際に、その全ての生態を詳しく解剖されたわけではない。ただ、異世界から現れた、災害級の強大な魔獣。その程度の意味合いである。
“竜”の全てが同じ世界よりやってきたわけでもなく、生態が完全に一致しているわけでもない。
そのことは、彼ら一体一体の個体差が著しいことを示しており、そしてシタン帝国領カンカンズから南西。捨て子谷と呼ばれる渓谷の底に転移したその個体は、比較的知能が高い部類に属していた。
繁殖欲を満たすため、自らの身体から金属生命体を生み出す。それは過去の“竜”の記録には残っていない、彼独自の生態だった。この特徴は、“信壊”シズルムという破壊不能の鉄の板に阻まれた自らが、その防壁を発動させずに動き回る。そのための策としても機能していた。
故に、彼の独圏の中を動き回る生き物は、正確には魔獣とも言えぬ代物。端末、という表現が近い。
そんな者たちがお互いや、あるいは金属と化した地面、岩を喰らうのは、創造主である“竜”の食欲を、代行するためであった。
そんな者たちが縄張りに紛れ込んだ人間を襲うのは、創造主である“竜”の怒りを、代行するためであった。
彼は知能が高い個体であるがために、憤り、恨み、憎悪の対象を忘れない。
元の世界では食物連鎖の頂点に位置していた自らを、いなし、脚を切り落とし、不可視の壁に閉じ込めて、ゆうゆう何かを探っていた者の姿を。
自らの『誇り』を踏み躙った、小さき種族の形を。
この全身に鎧を纏う“竜”は、明確に人間への敵意を持っていた。
谷の内外で自らの分身が数百と破壊されている状況に、彼は全てを察し、歓喜に打ち震える。それだけで鳴り響いたシズルムの叫びは、まるで祝砲のようにも感じられた。
憎き存在を、手ずから葬る機会を得たことへの、喜びだった。




