27話 炎
1
「そろそろ、ですね」
「ああ……なあ、あいつ、上手くやってるのかな?」
「エリーゼがいる。上手く調整するだろう」
あと数キロで、捨て子谷を取り囲む『独圏』に突入する。心配なのは、別の馬車に乗ったネルネリ。自警団員とも協力して、互いに守り合うという約束のためだが、ああ、俺が頼んだのに、心配だ。今ごろ実際に、共に戦う人たちと交流しているんだよな。この時のために、できることはしたつもりだけど。いや……
「まあエリーゼがいるなら、大丈夫か……」
「やけに買ってますね? コーセーさん」
「いや、あいつにはけっこう、はっとさせられたというか。さすが僧侶だなと。うん」
「……なにがあったんですか?」
「……騙されてるんじゃないのか?」
「えっなんでそんな訝しむような顔?」
きいいいいいいいいいいいいやああああああああああああぅうううううううううううう
「!?」
んきゃあああああああああやあああああああああああああああああああああ
「……叫んでいる」
それは前触れもなく起こった。
金属音とも女の叫び声とも赤ん坊の産声とも判別がつかない、異常な音だった。
今までこの声を聞かなかったことが幸いだったのか、突入の直前にこの声を聞いたことが不幸なのか。
ともかく、“信壊”シズルムと何か。おそらくは竜の衝突が、現在進行形で起きているということ、その証左であった。
「これを日常的に聞いてたら、参るわな」
「噂には聞いていましたが、凄まじい音圧ですね……肌がビリビリしますよ」
「私も、この至近距離で食らうのは初めてだ。ああ、いつ聞いても……」
ぎいいいいいいいききやああああああああああああああああああああああああ
「腑が煮え繰り返る」
決意と憎しみのこもった言葉だった。悍ましい叫び声の中で、それだけは、やけにはっきりと聞こえた。
「あ、トギメイさん大丈夫?」
「も、もう嫌ですう……」
「悪いけどがんばってくれ……」
「速度を落とすなよトギメイ! エリーゼから事前に精神安定の魔法をかけてもらってあるが、長くなれば馬たちが保たん!」
「はい!! はいい!!」
キルフリード、厳しいな。でも、まず谷に到着できなきゃどうしようもないからな。ていうか、俺たちが帰ってきた時、エリーゼに魔法を使う余力があるのだろうか? ないだろうな。つまり、竜を下さなくては、もう俺たちは帰れないんだ。
「「「オオ!! オオ!! オオ!!」」」
口の端から泡がちょっと出ているトギメイさんを励ましていると、他の馬車から大声が聞こえてくる。
「今度はなんだあ?」
「対抗しているんだ」
「……なるほど?」
絶叫アトラクションで大声だすみたいなことだな? それで不安を、相殺している。理にかなっているじゃないか。
「俺たちも、やる?」
「……」
「あんまり乗り気じゃないね」
「……」
違う。トギメイさんは絶句しているのだ。
ついに視界に現れた、一面が金属光沢で鈍く光る世界に。すでにぽつりぽつりと、同じくトゲトゲした狼のような生き物が見えている。
「あれが、独圏の魔獣……」
Ⅱ型魔獣。Ⅰ型……パンクレスが無理やり《徴》を刻んだような、あいつらとは違う。そういうふうに生まれた生き物。あるいは、そういうふうに根本から造り変えられた生き物。
「トギメイさん。魔法使えるやつもいるらしいぜ」
「あんまり怖がらせないでください……」
必要な情報共有というやつなんだけど。
「間も無く独圏に突入する! 地面の感触が変わるッ……貴様ら! 絶対に転倒するな! このまま真っ直ぐに進めばいいだけだ! 馬車は……ネルネリが守る!」
そう。
馬車は、ネルネリが守る。
2
魔女が乗っている馬車の方を見ると、ちょうど、戸を開けて外へ出てくるところだった。
自警団の巨漢に、肩車されながら。
「……?」
「ネルネリさん! はやく! 早く屋根登って!」
この声は、俺がエリーゼに説教された日に仲良くなったやつ。
根回ししておいた甲斐があったぜ。
「うるさあい……」
ストレスからかいつもより髪の毛がバサバサしている感じのするネルネリが、馬車の上によじ登り、そして、立ち上がった。
オーバーサイズのコートと、首にかかったアクセサリーが、風を受けてはためいている。
そういえばあいつ、見張り台に登りたがったり、高いところが好きだったな。
「炎魔法」
両手を広げて、魔女が言った。
「“地を喰む拇印”」
三台の馬車からなる隊列。その左右に、巨大な炎の塊が現れる。いや、塊と言っていいのだろうか。
炎で、ガードレールを作っている。それが、イメージとしては近い。
「入るぞトギメイ!」
「はいっ!!」
独圏に、突入した。
あっさりと。
魔獣の姿は、視界に入りもしない。だってどっちを向いても、ずっと燃えているだけなのだから。この炎に呑まれて消し炭になっているやつがいるのかすら、分からない。
「すげえじゃねえか嬢ちゃん!! さすが……“牆”の魔女だな!!」
「え……そうでしょ」
「トギメイさん。あのガタイのいい御者にはすでに、ネルネリが魔法を使ったら“弑逆の戦火”というワードを使わずに褒めるよう言ってあるんだよ」
「コーセーさんが甘いからあの人やたらわがままなんじゃないですか……?」
「めちゃくちゃだ。魔力はもつのか?」
キルフリードが心配している。まあ、大丈夫なんじゃないか?
「余裕でしょう。あの魔法について、私も聞いたことがありますが、単純な炎を放出する魔法の……完成版と言えると思います」
「見たことも聞いたこともないがな。“インヴィー”の魔法か?」
「はい。炎魔法の特徴として、炎を吐き出した後、一見魔法が消えたように見えても、魔力は高温の空気としてその場にあるていど残留しているのだそうで……」
後ろを向くと、煙が立っている。独圏は魔力の影響を強く拒む地形。だからその程度で済んでいるけれど、そうでないならば。この魔法はその通り、地面を侵食して、術者のテリトリーに変えてしまうものなんだろう。
「……その残留魔力を再利用することまで、術式に含まれているのだと言っていました」
「ぜんぜんわかんないんだけど」
「私もわからん」
「ロスが限りなく小さいということです。恐らく、最初に巨大な炎を出したあの瞬間。あの時点で、自分の魔力を使う行動は終わっている」
「もともと大量の魔力を持っている人間が、効率を求めて力を使っているわけか」
あいつ、そんな技巧派だったのか。
「ですから、魔力切れは……心配していません」
「くくく。凄まじいな。まさかこんなにゆっくりと喋りながら、敵地へ赴くことができるとは思わなかったぞ」
「アンギャアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ」
「トギメイさん!?」
久しぶりに聞いたわ、その叫び声。
「ネルネリさん上!」
エリーゼが、屋根の上のネルネリに指図するのを聞いて、俺も空を見上げる。
でっけー……鉄の鳥……
が、一瞬で消えた。
「息止めろトギメイ! 吸ったら死ぬよ!」
「はいい!!」
ネルネリ、こっち見てめっちゃ笑ってる。楽しいんだろうな。思えば、自由に魔法を使えるのなんて、旅が始まって初めてだ。 ていうか吸ったら死ぬってことは……蒸発しているの?
「谷が見えてきたぞ! 外へ出る準備をしろ!!」
気づけば大したアクシデントもなく、その時は近づいていた。馬車の中ではがしゃがしゃと金属の音が聞こえてくる。元々運転席でトギメイさんの横に立っていた俺も、気を引き締める。
しかしそれにしても、無双と言う他ない大活躍じゃねーか。
ネルネリ。お前やっぱ、すごいわ……
と、感慨深い気持ちになった瞬間。先頭馬車。つまり、彼女の乗っている馬車のスピードが、停車に向け落ちたその時。
魔女が、谷に向かってジャンプした。
3
「あいつ……」
「ダックス!! 一回くらい、試してみようよ!!」
今までで、一番はしゃいだ声だった。
高く飛んで谷の真上。真っ逆さまで、無防備を晒した体勢。谷底から這い出てくる、金属の獣たちを見下している。
「炎魔法」
その姿が、いや、その周囲の景色が、チカチカと白黒に点滅した。
「“ゆきつくはての灰星”」
彼女の周りにいた獣たちは、その明滅とともに忽然と消え、そして、独圏、ダンジョン化した谷の入り口……というか裂け目は、いくらか丸く、抉られていた。ベキベキと音を立てて、その傷跡はめくれあがっている。
そして何より恐ろしいのは、ネルネリの残念そうな顔。本当ならば、さらに超大な破壊を引き起こしていたはずなんだろう。
「独圏を破壊できるか試したのか? ハハ……炎魔法。『熱』と『運動』、『拡大』を司る魔法、か……」
キルフリードもドン引きしているし。
「コーセーさん!!」
ダックスの声にハッとして、手を伸ばす。
「『ワイアーム』」
自由落下するネルネリの、服を引き寄せる。触ったことがある。当然な。
馬車から飛び降りた俺の腕の中に、魔女が収まる。
「無詠唱だから。これ」
「いやいや。お前……最高すぎんだろ」
「ええ。入口を広げてくれたおかげで、中がよく見えますよ! ネルネリさん」
「何が起こるか分からん。手早く終わらせるぞ」
「じゃあ、行ってくるわ」
「私、ここに立ってるから。いつでもこれ、引っ張っていいよ」
「どうせなら生還を祈ろうよ」
それ頼るの、絶対死ぬって時だから。
ともかく、馬車から降りた自警団員たちの雄叫びを背中に受け、いよいよ挑む。
竜。そして、『最後の希望』、“信壊”シズルムに。




