36 別れ(2)
ルフィナが気がつくと、辺りは真っ暗だった。
額の傷の血液は固まって出血は止まってるようだ。
何とか少し動くと、ルフィナの体の上に載っていた本が崩れて、動く事が出来た。
身体を少しずつずらして、本がこれ以上崩れないようにゆっくりと這い出した。
恐る恐る匍匐前進で大丈夫だと思う所まで出て漸く体を起こし、その場で座る。
月明かりが差し込む古文教室は、本や資料が散乱していた。
誰もいないのを確かめて、立ち上がる。
(あの時、ルーゴ公爵の兵は私を捕らえろと言っていた。何が起こったのだろう? 兎に角ここから出て屋敷に帰らないと・・・)
まだルーゴ公爵の兵が居るかもと、ルフィナは慎重に螺旋階段に近づく。
こんな時に非常階段があれば良かったのに、とため息が出る。
蹴込み板がない螺旋階段は、下から敵が来れば丸見えなのだ。
息を詰めて螺旋階段に近寄り、そっと下を覗く。
下の階は暗くて見えないが、誰もいないようだ。
真っ暗な下に降りて行くのは勇気がいる。下階を見ているだけで心臓がバクバクと激しく鳴り出す。
恐怖に足が負けたようで、動こうとしない。
暗闇の中動くより、ここで待っている方が良いのでは?と言い訳を自分に言って、ルフィナは朝がくるの待とうかしら。
『朝まで待とう』そう決めて下を覗くのを止めようとしたルフィナの耳に『カツーン』と靴音が響く。
固い靴音がどんどん上がってくる。
薄い光がその人物に当たり、ザイラの白く色っぽい顔が、月明かりに青く浮かぶ。
「あら、こんな所に隠れていたの? 随分探しちゃったわ」
ザイラはもう以前の口調ではない。
ルフィナを見る目も、眉を寄せてまるで穢らわしい物でも見るような、冷たい瞳だ。
「人望も計画性もない、バカなルーゴ公爵とプライドだけのアンネッタの所為で、レオ様はこの世界ではもう手に入りそうもないわ」
ザイラはうんざりした様子で、首を振り階段を上ってくる。
「この世界って、もしかして・・あなたが私をずっと殺していたの?」
ルフィナはザイラが階段を一段一段上ってくるのを、身動きできずに見てしまう。
「ふふふ・・レオ様が領主の息子だった時、私は侍女の娘で身分が違うと諦めていたのよ。でもあなたは花屋の娘なのに、レオ様と恋仲になった・・だから殺したのに・・すぐにまた生まれ変わってレオ様に前に現れて・・・今度は身分違いに年の差も弁えずに再び愛し合うなんて、私が許す訳ないでしょう?」
ザイラは思いだし、口許は笑っているが瞳はルフィナを憎らしげに睨む。
「だから、紅茶に毒を入れたの?」
ルフィナはずっと、毒をいれたのはレオトニールだと疑っていた。
ザイラだったなんて・・・
「そうよ。美味しかったでしょ? また、この世界でも飲んでくれると思って用意したけど、流石に二度目は飲まなかったわね」
ザイラは悪びれもせず言う。
ルフィナは喉が焼ける苦しみを思いだし喉に手を当てた。
「ザイラ、貴女の所為で私がどれ程苦しんだと思うの?」
ルフィナの言葉に、何を言っているのか分からないとばかりに、ザイラは目を見開いた。
「貴女の苦しみ? 花屋のあなたを殺した後、レオ様は私の存在に気が付いてくれると思っていたのに全く気付いてもらえなかった・・でも振り向いてくれなくても良かった。レオ様の傍で年老いて行こうと思っていたのに・・・また現れたあなたに奪われたのよ。しかもあなたを処分しただけなのに、私はあなたを殺した罪で処刑された。なにもかもあなたのせいなのに!!」
ザイラの声が誰もいない建物に響く。
人を何度も殺しておいて、人の所為にするなんて、お門違いもいい所だ。
あまりの考えの違いにルフィナは吐き気がした。
(きっと、ストーカーってこういう心理の人達なのかしら。自分に振り向かないのは相手や回りの人が悪いと思っているんだわ)
ルフィナはザイラの所為で、どれ程自分の回りの多くの人達を悲しませたと思っているのか、怒りで頭の芯が熱くなった。
「どんなに生まれ変わっても、ザイラ、レオ様があなたに振り向く事はないわ。歪んだ気持ちを人に押し付けるのは、愛ではないわ。あなたのは駄々っ子の執着心よ」
ルフィナはザイラよりもさらに大きな声で叫ぶ。
ザイラが憎々しげに、唇を噛む。
だが、フッと唇を緩め嗤う。
「何とでも言いなさい。あなたにはこれからも、次の世界も何もないわ。だって、ここで本当に終わりだもの」
ザイラは懐から、短剣を取り出してねっとりした笑みを浮かべる。
短剣は薄暗い中でも、禍々しさが分かる程、血が滴り不思議な波紋が波打っている。
ザイラはその短剣を大切そうに撫でる。
「この剣で刺されて死ぬとね、もう転生は出来ないの。だから、あなたとは二度と会うことはなくなるの。執拗にレオ様の前に現れて私の邪魔をした貴女ともやっとお別れ出来るのね」
ザイラが一歩ルフィナに近付く。
ルフィナが下がる。
(やっと、全てを思い出してレオ様の事、もう一度好きになったのに、こんな所で終わるなんて・・・絶対に嫌だ)
だが、今のルフィナには為す術がない。
一歩一歩詰めるザイラに、ルフィナは後ろへ後ろへと後退し、とうとう壁際に追い詰められた。
「もう、行き場はないわね。ルフィナ、本当にこれで終わりよ」
ザイラが大きく振りかぶって、ルフィナに短剣を振り下ろした。
ルフィナがぎゅっと目を瞑る。
しかし、何も起こらなかった。そして耳元で優しい、いつもの声が聞こえた。
「間に合って良かった。ルフィナ・・頭を怪我したの? もうすぐ・・・助けがくる・・メルクリオに・・治してもらって・・」
レオトニールは声はだんだんと小さくなる。
ズルッとルフィナにレオトニールがもたれ掛かるようにして、倒れていく。
倒れたレオトニールの背中に、あの短剣が刺さっている。
「・・・!! レオ様、レオ様しっかりして! 誰か助けて!!」
ルフィナが、叫ぶが誰も来ない。
倒れたレオトニールの回りに赤い液体が広がっていく。
辺りに鉄の匂いが漂う。
「・・・ルフィナ・・泣かないで・・」
レオトニールの顔が、月明かりでますます青白くなっていく。
ルフィナはがたがた震え「誰か助けて、レオ様を助けて」と叫ぶしか出来ない。
体温が下がるレオトニールの体を抱き締めながら、漸くレオトニールを理解した。
ルフィナは自分の死よりも辛い事があるなんて初めて知った。
愛した人が居なくなるなんて、どうにかなりそうだ。
ルフィナが人ならざる者に襲われた時、レオトニールの顔は死人のように血の気がなかった。
(何度もこんな経験を私はレオトニールにさせていたのか)
それなのに、いつも死ぬのは私だけで貴方はいいわよねって・・言ってしまった。
「こんなのってない。私を一人置いていくなんて・・レオ、愛してる。愛してる・・ずっとずっと傍に居るって言ったのに・・」
「初めて『愛してる』と言ってくれたね・・うれ・・しい」
レオトニールは微笑みながら目を閉じた。
「嫌! いやぁーー目を開けて」
レオトニールの体から流れる血液を止めようとするが、止まらない。
「誰か助けて・・」
漸く駆けつけたメルクレオにルフィナは懇願する。
メルクレオを見るが、顔を背けられてしまう。
「そんな・・レオ様が私にお守りのイヤーカフを渡したから・・私なんかに・・」
私達を呆然と見ていたザイラがいきなり叫び声をあげる。
「こんな終わりは望んでないわ。私がレオ様を殺してしまうなんて・・おかしいわ。こんな筈じゃなかったのに。これじゃあ、レオ様ともう二度と一緒になれないじゃない・・」
レオトニールが閉じそうになる瞳を重そうに開ける。
「どんな事になってもお前と・・一緒になる事はない・・僕はお前を選ばない・・」
ザイラは頭を振って叫ぶ。
「私はずっとレオ様と一緒にいました。貴方が領主の時も侍女としてお仕えしていました。魔王が復活したもずっと道案内として一緒にいました。誰よりも私は貴方の近くにいたんです!!!」
「知らない! ・・お前は僕の人生には要らない・・これからも・・僕にはルフィナが・・・いればいい」
そう言うと、レオトニールの手が血溜まりの床に力なく落ちた。
ザイラが座り込み、目を見開いた。だが、動かなくなったレオトニールを見てひきつったように笑い出す。
「はははは・・・私がレオ様を転生できないように殺してしまった・・私がこの手で・・・はははははははははは・・」
狂ったザイラの笑い声が暗い建物にずっと響き渡った・・・。




