35 別れ(1)
ルフィナ達はいつものように昼食を食べ終わり、一週間に一回だけある古文の授業を受けていた。
この授業の時は学園の端にある、古い5階建ての校舎を使う。
この校舎は真ん中が吹き抜けになっていて大きな螺旋階段で行き来する。
そして、どのフロアも全て古文に関する資料や本が置かれていた。
螺旋階段を上り、4階のフロアにだけ机と椅子が置かれて、そこで授業を受けられるようになっていた。
つまり、大きな図書館の中で本に囲まれながら授業を受けられるのだ。
古文の先生はかなりのおばあちゃん先生で、少々動作がゆったりしている。
玉ねぎのように白髪を結い上げ、見尻を下げてにこにことしている。
本日は自習で生徒が自分自身で選んだ色々な時代の文字を読んでいる。
ノートに書き写す生徒。または螺旋階段を上がり下がりして、資料を探す生徒。様々である。
シルヴィアンは爪文字が書かれた粘土板を睨んでいた。
爪文字とは、この大陸で最初の文字の一つだと言われている。
粘土板に爪で刺しその形で文字を作った。メソポタミア文明の楔形文字に似ている。簡単だが、文字数が多すぎる点と似かよった文字が多く読むのが難しい。
その文字を迂闊にも選んでしまったシルヴィアンは、一つ目の文字から躓いているのだ。
ルフィナとベネットは『リロール文字』を読んでいた。コルト王国より以前にあった共和国時代に使われていた文字だ。コルト王国の文字と似ている為、比較的読みやすい。
だが、二人が選んだ本がまずかった。
その時代の魔導書だった為に言い回しが難しくこちらも難航している。
「えっと・・『床に泥が・・・広がれば・・光与えず?』って泥があるなら雑巾で拭きなさいよ」
ベネットが一々文章に文句を付けている。
「『抜け出??、より闇を足せ?』ベネット、この文字がわからないわ」
ルフィナは『¶;』の文字を探している。
ベネットが片手では持てないほどの大きな本を、パタンと閉じた。
「もう無理。そもそも書いてる事が理解出来ないから、文字を想像して探すことも出来ないわ。大体、こんな古い書物を勉強して何になるのよ」
イラつくベネットの横でルフィナもお手上げなのか、そのまま机に突っ伏した。
「本当ね・・絵本にすればよかったわね」
ルフィナの言葉にベネットも、シルヴィアンも笑って頷いた。
泣き言は言ってられないので、ルフィナは探している文字が記載された本や資料がないか探しに椅子から立ち上がった。
全く見つからず、5階フロアの奥まで探していた。入り組んだ本棚の作りと高く積まれた本で、迷路のようになっている。
『¶;』の文字が題名に入っている本が見つかったが、ルフィナの身長よりも優に高く乱雑に積み上げられている本の、下から三番目にあったのだ。
(この積み上げられている下の方の本を、抜き取るにはどうすればいいのかしら? メルクリオ様が管理している図書館では、こんな事は絶対に起こらないわね?)
ルフィナは乱雑な本の扱いに、本好きとしては、少々やるせない思いがある。
思案していたルフィナの耳に異様な音が届いた。
下の階から大きなもの音が響く。
ルフィナは何が起こっているのか、聞き耳を立てた。
すぐに怒号と悲鳴だと分かり、ルフィナは戦慄する。
早くここから出ようとしたが、焦ったルフィナは高く積み上げられた本にぶつかり、本が崩れてその下敷きになってしまった。
ルフィナは頬に生暖かい液体が垂れて来るのを感じるが、倒れて手さえ動かせなかった。
それが自分の血だと分かったが、助けを呼ぶことが出来ない。ルフィナのいる5階にも、多くの足音と怒鳴り声が聞こえたからだ。
息を止めて、じっとしていたが貧血のせいで頭がふらふらしてくる。
やがてルーゴ公爵の騎士団長の「探せ! 他の生徒は放っておけ。ルフィナ嬢を捕らえろ」という声を聞きながら、ルフィナの意識は遠退いていった。
◇□ ◇□ ◇□ ◇□
レオトニールの予測では、ルーゴ公爵が動き出すのはもっと、後だと読んでいた。
ルーゴ公爵はあちらこちらの貴族に、反乱を誘う手紙を送り付けていた。
そして、大きな勢力がルーゴ公爵に味方に付いた途端、王家に建議案を突きつけてきたのだ。
レオトニールはこのくだらない要望に時間を掛けて返答し、その間にルーゴ公爵の包囲網を敷こうと考えていた。
シリー家もリッツ家も詳細を事細かくレオトニールに伝えており、レオトニールは少し悠長に構えていた節がある。
ルーゴが仕掛けたその日が、ルーゴ公爵の終わる日になるのは決定している事なのだと。
だが、ルーゴ公爵はシリー家に続いてリッツ公爵までもが『これからの動きは連絡を密に取りましょう』とした返事に気が大きくなりすぎた。
まだ、何の連絡も取っていない所で暴挙にでた。
いきなり反乱を起こしたのだ。
王城に攻撃を仕掛け、その裏で騎士団には学園に行きルフィナを拐ってくるように命令した。いざと言う時の人質を捕まえておく算段だったようだ。
しかし、学園に行った反乱軍は本に埋もれたルフィナを見つける事が出来なかった。
そして、城に攻め込んだ反乱軍はと言うと、味方だと思っていたシリー伯爵とリッツ公爵が反乱軍の制圧に乗りだし、あっという間に散り散りになった。
そんな中、ルーゴ公爵とその妻アンネッタは反乱の成功を確信しており、優雅にワインを飲んで一報を待っていた。
だが、待ちに待った知らせは、一方的な負けを知らせるものだった。
どうする事も出来ずに、屋敷に立て籠り最後の悪あがきをした。
しかし、戦うのは騎士で、二人は戦うでもなく潔く投降するでもなく、ひたすら屋敷の隠し部屋に隠れていた。
そして最後は、味方だと思っていたシリー伯爵によって捕らえられた。
「あなた達、私を誰だと思っているの? 私はこの国の王妃になるのよ! 汚い手で触らないで頂戴」
アンネッタはここに来ても、未だ状況が分かっていないのか、捕らえられても抗う。
「貴女が王妃に? ふふ、ここまで来てもご自分の価値を見誤るとは、情けないですね」
腕組したゲルタ・シリーにクスクスと嗤われ、アンネッタの怒りは収まらない。
「私を置いてこの国の王妃に相応しい人物はいないのよ」
このアンネッタの言葉で、ゲルタの笑みが無表情に変わり、次には全てを凍らせる形相になる。アンネッタの顔から怒りが消えて、恐怖に蒼白になる。
そのアンネッタの髪を鷲掴み、ゲルタが顔を近付ける。
「ひぃっ!」
「お前ごときが王妃になれる訳がないでしょう。笑わせないで欲しいわね!! そうそう、最後だから、お前達に教えといあげるわ」
アンネッタの隣で、呆然自失のルーゴ公爵にも聞こえるようにゲルタが二人に言う。
「お前達が出した手紙を見て、味方に付こうとした貴族は一人もいなかった。どうやら人望の無さに気付いていなかったのが敗因のようね」
ゲルタはさも可笑しそうに、高らかに笑う。
アンネッタとルーゴ公爵は自分達に友人と言える人物が誰一人いなかったとこの時初めて思い知る。
そして、馬鹿にしてきた平民の兵士に引きずられるように、二人は牢屋がある塔まで街中を歩かされた。
◇□ ◇□
レオトニールは、城中で指揮を取っていたが、ルフィナの事が気掛かりで仕方なかった。途中、学園からの届いた報告でルフィナが行方不明だと聞き、目の前が真っ暗になる。
だが、未だに陛下は軍の指示を出せる体調ではなく、レオトニールは持ち場を離れられなかった。
完全制圧の報告を受けて、レオトニールはゴタゴタの中、居ても立ってもおられずに、城を飛び出し単身馬を走らせて学園に向かう。
レオトニールの頭には、最悪の事態ばかりが浮かぶ。
様々な彼女の最後の姿だ。
(次はもう、耐えられない・・・)
レオトニールの魂が壊れんばかりにズキズキと胸が痛んだ。




