21 人ならざる者(2)
ルフィナは近頃妙な視線を感じて、その度に寒気がする。
学園でも街中でもするのだ。安全に思えるのは屋敷の中だけだった。しかし、ここのところ屋敷の中でも視線を感じる。
怖くなったルフィナは父に尋ねた。
「お父様、最近屋敷の従業員を新しく雇いましたか?」
この屋敷で働く者は、昔からの付き合いで、本当に良くしてくれている。
ならば、この気味の悪い視線は新しく入った者に違いないと思った。新しい従業員ならば、王太子の婚約者が珍しく、無遠慮にルフィナを見ているのかも知れない、そう思ったのだ。
しかし父の返事は期待に反して、新しく入った者はいないと言う。
では気のせいかも知れないと思い直した。
ルフィナが一人きりで部屋にいる時にも何か感じるのだ。
始めは猫や小動物がどこかに入り込んでいるのかも知れないと、クローゼットやベッドの下を躍起になって探した。
だが、全く見つからない。その内きっと気のせいだと思うようになった。
・・・そう思い込んだ所だった。
(なのにこれはどういう事なの?)
先程、寝る前の準備をしてくれていたマリーが、髪に付ける香油がなくなったと部屋を出て新しいのを取りに行った。
その直後、この屋敷では見た事もない侍女が部屋に入ってきた。
そして、なに食わぬ顔で鏡の前に座っているルフィナの後ろに立った。
今、ルフィナの髪の毛を丁寧にブラシで梳かしている侍女は誰なの?
鏡越しに見る侍女はこの屋敷の者ではない。
『あなたは誰?』と口を開けようとした瞬間に体が動かなくなる。
侍女はルフィナの頬をそっとを撫でる。耳の近くでピシッと音がなった。
その氷のように冷たい手は、ルフィナの頬からぬるりと離れた。
恐怖でひきつるルフィナの顔を、侍女は楽しげに覗き込む。
「私の事を不審に思っているのね。でも今は何もしないわよ。私はね楽しみにしている事があるの。美味しくなるように育て、待ちに待った果実が熟しそうなのよ。だから協力してね」
侍女は女の声だったが、最後の方は男のような声と混じった不思議な声になっていた。
鏡に写る侍女の顔は、タイルが一枚ずつ剥がれるように白い欠片が落ちていく。その皮膚の中は黒いミミズのようなものが蠢いている。
「ひっ」
声が出せないルフィナは、凝視したまま顔を逸らすことも出来ない。
「貴女の持っている魔石のせいでちょっと崩れたわ。折角だから悪戯しようと思ったのに・・残念」
侍女はそう話ながらブラシで何度もルフィナの髪を梳かす。
何本か抜け落ちた髪の毛をブラシから取ると、にんまりと笑う。
「楽しみだわ」
そう言い残すと侍女の姿が鏡から消えた。それと同時にフッとルフィナの体から緊張が解ける。
「・・なに? いまの・・人?
それとも・・」
さっきまで心臓が壊れるのではないかと思うほど早く鼓動を打っていたが、時間の経過と共に徐々に緩やかに鼓動が落ち着いてきた。
「もう大丈夫・・よね?」
声に出して誰にと言わずに聞いてみる。
そして長い安堵のため息を漏らした。
ドアがバタンッと開く。
「ひっ!!来た!!」
ルフィナが飛び上がると、香油を片手にドアを開けたマリーが立っていた。
「・・・マリー、ドアを開ける時はノックして頂戴。ショックで死ぬところだったわ」
「あら、お嬢様ったらそれくらいで死ぬだなんて、ご冗談をおっしゃらないで下さい。でもノックを忘れた事は申し訳ありませんでした。備品室に香油を取りに行ったら部屋の明かりが付かなくて、蝋燭で香油を探していたら遅くなって焦ってしまって・・・ついついノックを忘れてしまいましたの」
言い訳を言い終えたマリーは、ルフィナがぐったりしているのに気が付く。
「お嬢様? お顔が真っ青ではありませんか!これはいけない。すぐにお医者様を呼ばなくては!」
ふざけている場合ではないと、今度は止めるのも聞かずにマリーは出ていった。
ただでさえ心細く、マリーには傍に居て欲しかったというのに、彼女はあっという間に居なくなった。
「ここに一人でいるのはどうも心許ないわ」
ルフィナが両親の部屋に行こうかと考えていると、一階付近が騒がしくなり、その喧騒はそのままルフィナの部屋に近付いてきた。
ノックが聞こえ、返事をするまでもなく扉が開く。
そして、もうダッシュしてきたレオトニールに抱きつかれた。
「大丈夫だった? 何をされたの? 誰がルフィナを襲った?」
矢継ぎ早の質問に何も答えられず、狼狽えているルフィナを、もう一度脅えているのだと勘違いしたレオトニールは益々強く抱き締める。
「あの、私は大丈夫です。髪の毛を数本盗られただけです。それよりもレオ様は何故ここに?」
レオトニールの腕から顔を出して答えたが、レオトニールは放してくれそうにない。
「大丈夫なわけないだろう? 君にあげた魔石の全て、壊されるほどの魔力が君の中に入ろうと襲ったんだ」
レオトニールがルフィナの耳からピアスを外して、見せる。
空色だった魔石は大きなひびが入っていた。ネックレスの石はすっかり美しかった空色から煤けた茶色に変色していた。
「魔石が私を守ってくれたんですね・・」
レオトニールから魔石を貰っていなければ今ごろはどうなって居たのだろうと思うとゾッした。
ルフィナは自分を守ってくれた魔石をもう一度見る。あのきれいな空色ではなくなったが感謝し、大切に小箱に入れた。
私が落ち着いたのを見計らって、屋敷の応接室で両親とレオトニールに何が起きたのか説明を始めた。
黙って聞いていたルフィナの両親も、侵入者が人ではなかった話をすると、流石に頭を抱えた。
母シェリーは真っ青になっている。
「人ならざる者か・・厄介だな。人ならば、護衛を増やす事も出来よう。しかし、人でないならどうやって娘を守ればいいのか検討も付かない」
ロペス侯爵は一人娘を見て嘆いた。
「今まで聞いた事もない悪魔のような者故、すぐに 防御策 が 思いつかない。・・だが専門家と相談し 然るべき対策を必ず見つける」
レオトニールが両手を握り締めている。
「ルフィナは安心しててね。きっと守るから」
レオトニールはいつもの優しい声でルフィナに話かけるが、その顔には悲壮感が漂っている。
「私は大丈夫よ。ずっと傍にいる。おばあさんになった時、貴方にお茶を淹れてあげる。約束するわ」
ルフィナがレオトニールの拳を手で擦ると固く握っていた拳が少し緩んだ。
「そうだね。ずっと一緒に生きよう」
レオトニールはルフィナへ無理に微笑んだ。その顔にはありありと不安が覗いていた。今までどんな事があっても守ると豪語してきた彼の気弱な顔にルフィナも弱気になっていく。
不安を抱えたまま、レオトニールはお城へと帰っていった。
ルフィナは一人で眠れず、幼子のように父母の間に割って入って眠りに就いた。
昨晩の侵入者の件で、再び学園に行けなくなったルフィナは、代わりに王宮での当代一の講師による勉強を受けられる事になった。
王宮に着くとすぐに厳重な警備の下で勉強が始まった。
学園の勉強に遅れないようにしてくれるレオトニールの気持ちは嬉しいが、ここまでしなくても良かったのにとも思う。
休憩時間に息抜きをしようと、部屋の掃き出しの窓を開けて、すぐ傍にある庭園のベンチに腰を下ろした。
昨日の事が嘘のように穏やかな日差しが注いでいる。
だが、一息着く間もなく衣擦れの音が近付いてきた。
ルフィナは閉じていた目を開いて、そちらに目をやる。
すると隣国のイーラン王女が沢山の侍女達とこちらにやって来る。いつものように可愛らしい笑顔はなく、何故か固い表情をしている。
「ルフィナお姉さま・・ごめんなさい・・」
いきなり謝られてルフィナは、驚いたが、イーランの元気のない方が気にかかった。
「どうしたのです? 今日は元気がありませんね? お体の具合が悪いのではないですか?」
心配のあまり、矢継ぎ早に質問したが、イーラン王女は首を横に振るだけで何も言わない。
「お姉さまに頂いたハンカチを・・失くしてしまって・・これを御詫びの印にこれを受け取って下さい」
イーランは震える手で、真っ赤な薔薇を差しだした。
「まぁ、ハンカチは貴女にあげたのだから、気にしなくても良いのですよ。でもせっかく綺麗なお花を摘んでくれたのですから、ありがたく頂戴しますね」
イーランから薔薇を受け取ると、薔薇は赤さを増し、とても良い芳香を漂わせた。
「とても良い香りがしますわ。イーラン王女様ありがとうございます」
ルフィナがお礼を言うと、イーランは唇をグッと噛み締め、頭を下げたかと思うと走り去ってしまった。
お付きの侍女達は大慌てでその後を追って行く。
ルフィナはいつもと様子の違うイーランの事が気に掛かった。
ハンカチを失くしたのがそんなに悲しかったのかと可愛らしさに微笑んだ。ルフィナは屋敷に戻ったらもう一枚、イーランの為に刺繍をしようと決めた。
折角王宮に来ているのに、レオトニールは昨日の件の対策や、公務が忙しいらしくレオトニールに会えずにルフィナは屋敷に帰った。
帰るとすぐに一輪挿しを侍女に用意をさせて、イーラン王女に貰った薔薇を入れ、ライティングビューローの棚の上に置いた。
そして、ビューローのドロップ扉を引き落としてその扉を机とし、今日、様子のおかしかったイーランと会えなかったレオトニールに手紙を2通書き始めた。
書き終えたルフィナは背伸びをし、綺麗に咲く薔薇を眺めた。
クンクンと香りを楽しむ。
(本当に良い香りだわ・・・)
ルフィナは封蝋の為のワックスを探そうと思っていたが、煩わしくなる。そして、書いていた手紙を見て眉をひそめた。
(どうして、レオトニール王太子殿下にわざわざ手紙をかいたのかしら?)
頭が重くなってくる。それにつれて、レオトニールに手紙を書いていた事が腹立たしくなった。
そして、たった今書き終えたばかりの手紙をぐしゃりと丸めてゴミ箱に捨ててしまった。
◇□ ◇□
王宮の湖の奥に、国外からの客人が泊まる専用の宮がある。
そこに、イーランは沈んだ声で兄のレイモン王子に泣き付いていた。
「お兄様はこんな卑怯な事をする人じゃなかった。本当にルフィナ様が好きなら、正々堂々と言うべきよ」
「お前にはまだ分からないだろうが、これは彼女を救うためにしているんだ」
険しい顔のレイモンはイーランを諭すように向き合っている。
その隣には、ザイラが立っている。
「そうよ。お子さまには分からないかも知れないけど、ルフィナ様はレイモン様と結ばれる方が幸せなのよ。だからレイモン様を好きになる魔法を掛けてあげたのよ」
「違うわ。感情を操作するのはダメなのよ。ルフィナお姉さまはレオトニール様の事が好きだったのよ。魔法を掛けてレイモンお兄様を好きにさせても誰も幸せにならないわよ」
ぐすぐす泣くイーランに、ザイラは苛立ちだした。
「うるさいのよ。あの薔薇の秘密をばらしたら、あんたの大切な乳母を殺すからね。わかった?」
「分かってるわ。だから、サラを殺さないで・・」
大好きな乳母のサラを人質に取られていたとはいえ、ザイラと兄レイモンの悪事に荷担してしまった事は許されない。
イーランは小さな体を震わせて泣いていた。
「ごめんよ。でもこうしないと、ルフィナが手に入らないんだ」
そう呟くレイモンにいつものイーランが好きな兄の、快活な面影は微塵もなかった。
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