19 友人(3)
自分の無実を証明する為にも、図書館の本に残っている指紋の採取を実行しなければならない。
昨日、家族の応援に応えようと指紋採取の練習をしたところ、何度も失敗しアルミを使いきってしまった。
初心者に多い失敗だが、アルミの粉をのせすぎて、指紋を潰してしまったのだ。
朝一番に、アルミの粉を頂く為、化学のジョルオサ先生の化学準備室を覗いてみた。
「おはようございます。朝早くからすみませんが、この前頂いたアルミの粉末を、また頂きにきました」
ルフィナが元気よく挨拶をすると、ジョルオサ先生が近くにあったアルミが入った瓶を振りながら近付いてくる。
「アルミの粉を何に使うのか以前に少し聞いていたけど、どういう事かさっぱりわからない」
ジョルオサ先生が、のんびりした感じで尋ねてきた。
しかし、ルフィナは朝のホームルームに遅れるので、簡単に説明する。
「指紋の採取に使います」
「・・・しもん・・とは?」
興味津々のジョルオサは、深く聞いてくる。
「先生、指を見てください。ほらよく見ると渦のような線が見えるでしょ」
「うん、あるね」
「これって、指紋といって一人一人違う模様なんです」
「え?そうなの?・・・へー・」
「その指紋を取る実験をしようと思っているんです」
『実験』という言葉がいけなかった。先生はその実験に同行すると言い出す。
この世界にはまだ指紋採取はなく、珍しいのだ。化学の先生がこれに食いつかない筈がない。
その時予鈴が鳴り響く。
「先生、この話しはちょっと待ってください」
図書館にある魔法に掛けられた本についてはまだ秘密なので、レオトニールとメルクリオ図書館長に相談をしてからでないと、返事は出来ない。なので取り合えず先生の参加は保留にしてもらった。
先生が参加したい気持ちを長く熱く語ったお陰で、朝の授業ギリギリで教室に入る。
いつもならルフィナが教室に入ると、シーンと静かになったが、今日は「おはよう」と声を掛けてくれる生徒が沢山いた。
「おはよう」
「ランチの後、急に具合が悪くなって帰ったと聞いて心配してたの」
ベネットとシルヴィアンが傍に来た。
一瞬ルフィナはザイラの件を思いだし怯んでしまった。
人との付き合いを恐れたのだ。
だが、彼女はこれからはしっかりと流される事なく、人を見極める目を養おうと決めていた。それに、一度の失敗で全ての人を排除して生きていくなんて、ザイラの思う壺のような気がする。
「おはよう。先日は急に体調を崩して、ご挨拶もなく帰ってしまいごめんなさい」
裏切られた怖さはまだある。
でも、信じる強さもまだ残っている。
ルフィナは二人に向かって心から笑えた。
今日も一歩踏み出せたようだ。
勇気をくれた家族のお陰だと感謝した。
お昼休みには、レオトニールの部屋に行く。
部屋で待っていたレオトニールの顔は愁苦の表情だった。
ルフィナの事なのに、これほど考えてくれているレオトニールを有り難く思う。
「ずっと心配をかけていたのですよね。今まで知らずにごめんなさい」
レオトニールの部屋にいるのは、もしかしたらレオトニールの執着心で呼び出されているのかと勘ぐったこともあった。ルフィナはその時に戻って自分を叱りたい。
ルフィナの謝罪に対し、レオトニールは気遣わしげな顔で応える。
「一昨日は起こそうと思ったのだが、泣き疲れて寝てしまったルフィナを見たら、少しでも元気になって欲しくて起こせなかった」
レオトニールはルフィナを家まで連れ帰ってくれた。馬車に乗りベッドに寝かすまで大切に運んでくれたとマリーに聞いている。
「レオ様のお陰で次の日はお昼までぐっすり寝て、もうすっかり元気になりました」
少しおどけて微笑むと、やっとレオトニールは安心したのか表情を崩し和らいだ。
(ここにも私に暖かな手を差し伸べてくれる人がいる)
また、ルフィナの心の中に暖かい物が広がった。
「魔法の本の件なのですが、自分自身でも調べて見たいと思って、化学のジョルオサ先生にアルミの粉を頂いたんです」
瓶に入った黒い粉を見せると、「指紋か?」とレオトニールもすぐに理解したようだった。
「しかし、もし指紋が付いていても、本を触ったのだと犯人は言い逃れが出来るね」
そうなのだ。犯人が言い逃れることは簡単だ。しかし、借りた時も返す時も本を鞄に入れてあった。その鞄を置いてそのまま本から離れた事がある。
ザイラが『鞄を見ててあげるわ』と言ってくれたので度々鞄を預けて、他の本を探しに行ったりしていた。
つまりもし彼女の指紋が付いていたら、彼女が本を返却するまでに入れ替えをした可能性が出てくる。
でも、彼女の指紋が出なければこの件に彼女は関与していない。
ルフィナは彼女が無関係である事を、願っているのかも知れない。
授業終わりにレオトニールと図書館に行く。
館長室では、お年寄りの姿のメルクリオが待っていた。
「ふおふお、なるほど。この粉を掛けるとこの本に触れた者の痕跡が浮かび上がるのか・・不思議じゃのう」
瓶を不思議そうに見ているメルクリオとレオトニールに、もう一つ確認しなければならない事を思い出した。
化学のジョルオサ先生をこの実験に参加させる承諾だ。
「化学の進歩に役に立つかも知れないので、ジョルオサ先生の参加をお許しいただけますか?」
恐る恐る聞くと以外にも、すんなり二人の許可が出た。
「あの者は人畜無害じゃ。よし、奴は化学室で暇をしとるから、呼んでやろう」
メルクリオ様がポンと手を叩くと、目の前にジョルオサ先生が椅子に腰かけ、液体が入ったメスフラスコを傾けた状態で現れた。
「!!わあーーああーー・・なんだ?ここは? あー・・ビュレットがない・・」
先生はどうやら実験の最中だったようだ。
「メルクリオ様・・『呼び出すなら人を通じて予定を聞いてからにしてください』と以前にお願いしましたよね」
ジョルオサ先生がギロリと睨むが、メルクリオは全く聞いちゃいなかった。
「よし、これでその指紋採取を始められるのお」
メルクリオ様はジョルオサ先生の話を無視して、魔法が掛かった本を三冊机の上に置いた。
「ザラザラの紙に付いた指紋はアルミでは出来ないのでしまって下さい」
ルフィナは表紙がザラザラした紙で出来た二冊を慌てて隠した。
そう。もう一冊は『本音が聞きたい。男って女のどこが好き』なのだ。
メルクリオがニヤついている。
どうやらわざとのようだ。
でも、その本を一番下に置いてくれたのだけは感謝しておこう。
「ホルストイ・ジャールブ著の『蠢く地球』は本の表紙が木の板で出来ているので採取出来ると思います」
この本は薄い板に綺麗な絵表紙が印刷された本だった。
中身はお堅い地学の本だったのに、絵の美しさに重版される程売れたのだ。
ルフィナはこの本に少しずつアルミの粉を振っていく。普通はこのアルミの粉以外に黄粉末が必要だが、黄粉末の成分を知らなかったのでアルミの粉だけで行う。
「流通の時からの人が触っているから沢山の指紋が出るかな? この図書館の司書の人もさわっているだろうし・・」
ルフィナは一般的に本に触った人を考えると無謀な実験のような気がしてきた。
「ふおふお、それなら大丈夫じゃ。私はこの本を最初に読んで、この本を配架する前に本を綺麗に拭いたから、そしてルフィナの前に借りた生徒が汚れた手で触ったらしく、綺麗に拭いたのじゃ。指紋とやらはそれ以降の物が出るじゃろう」
メルクリオの記憶によると、そこからこの本を読んだのはルフィナだけだった。
ルフィナは前世で見た刑事ドラマを思い出し、アルミの粉を少しずつ振りかける。そして、刷毛で優しく余分な粉を払う。
するといくつかの指紋が出た。
「おおおーこれが人の指紋というものですか・・本当にこれは人によって同じものがないのですか?」
大興奮のジョルオサ先生がルフィナに寄り掛かって見ている。それをすぐにレオトニールが押し退けて答える。
「そうです。一人として同じ指紋はないんです」
いくつか浮かび上がった指紋を移しとるゼラチン紙がない。
しまったぁーとあたふたしていると、メルクリオ様が透明なシールを私に渡してくれた。
「残しておきたい文字や模様を取る魔法の転写シールじゃ」
なんて素敵な魔法道具なの!
「ありがとうございます。凄く助かります」
ルフィナがうるうる目で感謝を述べると、メルクリオの老人の手が頭を撫でてくれた。
前世のおじいちゃんを思い出して嬉しくなった。
その様子を見ていたジョルオサ先生が首を捻って尋ねた。
「メルクリオ様はどうして老人のお姿でいらっしゃるのですか?」
「この姿の方がルフィナが安心するのでのお、近付き易いのじゃ」
(・・・聞こえてますよメルクリオ様。そんな理由でおじいちゃん姿だったなんて・・)
余計な事に気を取られて転写シールを一枚ダメにしそうになったので、気を入れ直した。
漸く取れた指紋は5つだった。
一つはルフィナの指紋。もう一つはメルクリオ。そして、貸し出しをしてくれた司書の方だ。顔を覚えていたので、その方にお願いをして指紋を取ると三つ目はこの司書の指紋と一致した。
返却は、返却ボックスに返した。
ボックスにあったこの本に気が付いたメルクリオによって回収されていたので事なきを得たのだ。
他の人が中を調べる為に、開いていたらと思うとゾッとした。
残る二つの指紋が分からない。
ルフィナは、ザイラ様に近寄って指紋の採取をしたいと希望したが、レオトニールとメルクリオに反対された。
彼女の指紋はレオトニールが「必ず取るので待っていろ」
と釘を刺される。
その横でジョルオサ先生が『化学と魔法の融合だ』と感慨深げに満足をしていた。
きっとこの魔法の世界で化学は肩身の狭い分野だったのだろう。
しかし、今日で何かが彼の心を開けたようで、「新しい化学の使い方を発見するぞ」と息巻いていた。
数日後・・
図書館に呼ばれたルフィナは、レオトニールとメルクリオから4つ目の指紋がザイラの指紋と一致したと知らされる。
更にメルクリオは、ルフィナの見よう見まねで残りの二冊の本の指紋を取っていた。
その結果、二冊ともザイラの指紋ともう一つの指紋が一致したと教えてくれた。
どこかでまだ信じていた気持ちがポキッと折られた瞬間だった。
「いいかい、この本に掛けられた魔法はちょっとの魔力と知識がある程度の者が掛けられる物ではない。このもう一つ残っているこの指紋の者が、魔法を掛けた人物だ。くれぐれも一人になってはいけないよ」
若い姿のメルクリオが、ちゃかさず真剣に話す。彼のこんな態度は初めてだ。ルフィナは危ない人物がすぐそこまで近付いて来ているのだと改めて思い知った。
だが、指紋の人物とは別にもう一人厄介な転生者が居るのをルフィナは知ることになる。
王家主催のパーティの前日、レオトニールがルフィナの身を危ぶみ、魔石の入ったアクセサリーを持ってきた。
「明日はこのアクセサリーを必ずつけて出席してね。出来るだけ僕の傍にいるようにするんだよ」
渡されたアクセサリーはネックレスとピアスだった。空色の魔石はレオトニールの瞳の色と同じ輝きをしている。
「うわー。綺麗な空色。就寝時以外は常に着けるようにしますね。それにしても、よくレオ様と同じ瞳の色の魔石を用意出来ましたね」
この色の魔石は見たことがなかったので、これには彼の執着云々より素直に驚いた。
「そうなんだよ。この色の魔石がなくて諦め掛けたが、我が宝物庫にこれがあったんだ」
褒めてと言わんばかりにレオトニールから尻尾が揺れているのが見える。
「・・王宮の宝物庫って・・」
(そんな所にあった宝石を私が頂いていいのかしら?)
手に取った宝石を前にしてルフィナは悩んだが、満面の笑みで微笑んでいるレオトニールに返すなんて出来なかった。
「・・こんな素敵なアクセサリーをありがとうございます。このように大きい魔石がついているなら、どんな魔法攻撃も跳ね返せますね」
「でも、油断しないでね。それとこれはパーティーの後に一緒につけて欲しいンだけど駄目かな?」
レオトニールがもう一つ袋から取り出す。
色とりどりの宝石がついて美しく細工がされている。
・・・二つの輪っかがついている・・これは・・手錠ではないのか?
「・・・ダメです。致しません」
せっかくの良い雰囲気だったのに、心配し過ぎの所為で、再びレオトニールの目が病んでいる。




