第四話 卵の王国、建国の瞬間
アルフォンス様との初めてのデートから、数日が経った。
そして今日。
私は再び、グランヴィル公爵邸を訪れていた。
「リリア。待っていたぞ。」
「アルフォンス様。本日もお招きいただき、ありがとうございます。」
「ああ。こちらこそ、来てくれて嬉しい。」
アルフォンス様が、穏やかに微笑む。
……うん。
何度お会いしても、やっぱり素敵な方だ。
「ところで、リリア。」
「はい?」
「例の料理だが……。」
……早い。
まだ挨拶をしたばかりなんですけど。
「オムライス、ですよね?」
「ああ!」
アルフォンス様の表情が、ぱっと明るくなった。
「実は、あれからずっと考えていたのだ。」
「何をですか?」
「卵でご飯を包むという、その料理の姿をだ。」
「……そうなんですね。」
「だが、どうしても想像がつかん。」
アルフォンス様が、真剣な表情で首を振る。
「卵とご飯。それぞれは馴染みのある食材だ。だが、それらが一つになった姿が思い浮かばない。」
……そんなに悩んでいらっしゃったんですか。
「ふふっ。では、今日は実際に見ていただきましょう。」
「うむ。楽しみにしている!」
アルフォンス様が、大きく頷いた。
そして、何かを思い出したように口を開く。
「それと、リリア。」
「はい?」
「今日は、私にも料理を手伝わせてもらえないだろうか。」
「……えっ?」
思わず聞き返してしまった。
「アルフォンス様が、ですか?」
「ああ。」
「お料理を?」
「そうだ。」
アルフォンス様は、至って真剣だった。
「君には、いつも作ってもらってばかりだからな。私にも何かできることがあればと思っている。」
「……アルフォンス様。」
……そんなふうに考えてくださっていたんだ。
少しだけ、胸が温かくなる。
「ありがとうございます。では、簡単なところからお願いしてもよろしいですか?」
「もちろんだ!」
アルフォンス様が、嬉しそうに微笑んだ。
……公爵様と一緒にお料理。
なんだか、不思議な感じね。
◇
厨房へ入ると、以前お世話になった料理長が出迎えてくれた。
「リリア様。本日もよろしくお願いいたします。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
確か、ベルナールさんだったわよね。
以前、プリンとチーズケーキを作ったときにもお世話になった方だ。
その隣には、若い男性が立っていた。
「こちらは、私の息子のルカです。今は私のもとで料理を学んでおります。」
「ルカと申します。よろしくお願いいたします。」
「リリア・ベルフォードです。こちらこそ、よろしくお願いします。」
ルカさんは、少し緊張した様子で頭を下げた。
……料理長の息子さんなんだ。
まだ若そうだけど、きっと料理が好きなのね。
「本日は、オムライスという料理を作られると伺っております。」
ベルナールさんが、興味深そうに尋ねてきた。
「はい。卵とご飯を使った料理なんです。」
「卵とご飯、ですか。」
「ええ。まず、ご飯を具材と一緒に炒めて、それから卵を使います。」
「なるほど……。」
ベルナールさんが頷く。
その隣で、ルカさんも真剣に話を聞いていた。
「それで、リリア。」
アルフォンス様が口を開いた。
「私は何をすればよい?」
「そうですね……。」
私は厨房を見渡した。
卵に、玉ねぎ。
鶏肉と、ご飯。
それから、トマトを煮詰めたソースも用意していただいている。
この世界にはケチャップそのものはないけれど、トマトを使った調味料はある。
少し味を整えれば、十分に代用できそうだ。
「では、アルフォンス様には、卵を割っていただきましょうか。」
「卵を?」
「はい。今日は四皿分作りますので、こちらの器に八個お願いします。」
「八個だな。分かった。」
アルフォンス様が、卵を一つ手に取った。
そして、じっと見つめる。
「……ふむ。」
「アルフォンス様?」
「いや。どの程度の力で割ればよいのかと思ってな。」
……そこからですか。
「器の縁で、軽く叩いてください。」
「こうか?」
こつん。
卵に、小さなひびが入った。
「はい。そこから両手で開くように……。」
「なるほど。」
ぱかっ。
卵が、綺麗に器へ落ちた。
「できた!」
「はい! お上手です!」
「そうか!」
アルフォンス様が、嬉しそうに笑う。
……卵を割っただけなんですけど。
でも。
あんなに嬉しそうにされると、こちらまで楽しくなってくる。
「では、残りもお願いしますね。」
「任せてくれ。」
アルフォンス様は、真剣な表情で次の卵を手に取った。
その様子を見ていたベルナールさんが、どこか感慨深そうに呟く。
「……旦那様が厨房で卵を割られる日が来るとは。」
「父さん、声が大きいよ。」
ルカさんが、小声で注意する。
……聞こえてますよ。
私は、思わず笑いそうになってしまった。
やがて、八個の卵がすべて器に収まった。
「どうだ、リリア。」
「はい。完璧です!」
「うむ!」
アルフォンス様が、満足そうに頷いた。
……卵を八個割って、こんなに達成感のある公爵様って、他にいるのかしら。
◇
卵の準備ができたところで、今度はご飯を炒める。
まず、細かく切った鶏肉と玉ねぎを炒める。
香ばしい匂いが、厨房に広がった。
「……ほう。」
アルフォンス様が、興味深そうに覗き込む。
「そこへ、ご飯を加えます。」
炊いたご飯を入れ、具材と混ぜ合わせていく。
「さらに、こちらのトマトソースで味をつけます。」
赤いソースが、ご飯に絡んでいく。
「おお……。」
アルフォンス様が、感心したように声を漏らした。
「ご飯が、赤くなっていく。」
「ふふっ。そうですね。」
……そこに感動するんだ。
でも、初めて見るなら不思議なのかもしれない。
「リリア様。」
ルカさんが、興味深そうに尋ねてきた。
「そのようにご飯を炒めるのは、どういう理由なのでしょうか?」
「具材の旨みとソースの味を、ご飯全体になじませるためです。」
「なるほど……。」
ルカさんが、真剣に頷く。
「ご飯そのものに味をつけるんですね。」
「はい。これだけでも美味しいんですよ。」
「……勉強になります。」
その表情は、先ほどまでの緊張した様子とは違っていた。
新しい料理を知ることが、純粋に楽しいのだろう。
……料理が好きなんだなあ。
「では、アルフォンス様。」
「うむ!」
「少し、混ぜてみますか?」
「よいのか?」
「はい。焦げつかないように、ゆっくり混ぜてください。」
「分かった。」
アルフォンス様が、木べらを手に取る。
そして、真剣な表情でご飯を混ぜ始めた。
「……こうか?」
「はい。いい感じです。」
「なるほど。」
アルフォンス様は、慎重に木べらを動かしていく。
……なんだか。
王国の要職に就いていらっしゃる公爵様が、真剣にご飯を炒めている。
そう考えると、ちょっと面白い。
でも、本人はいたって真面目だ。
「リリア。」
「はい?」
「料理というのは、思っていた以上に奥が深いのだな。」
「ふふっ。そうですね。」
「普段、何気なく食べているものにも、こうした手間がかかっているとは。」
アルフォンス様が、木べらを動かしながら呟いた。
「……これからは、もっと感謝して食べねばならんな。」
その言葉に、ベルナールさんが目を丸くした。
「旦那様……。」
……あ。
なんだか、いいお話になってきた。
◇
炒めたご飯を、四皿に分けて盛りつける。
アルフォンス様と私の分は普通の大きさに、ベルナールさんとルカさんの試食用は少し小ぶりにした。
「さて。ここからが本番です。」
「……いよいよか。」
アルフォンス様が、真剣な表情になった。
「ですが、今日は少し変わった作り方にしようと思います。」
「変わった作り方?」
「はい。普通は卵でご飯を包むのですが、今日は上に乗せてから開くんです。」
「……開く?」
「ええ。」
「卵を?」
「はい。」
「…………。」
アルフォンス様が、考え込んだ。
「……分からん。」
……でしょうね。
「ふふっ。見ていてください。」
私は、アルフォンス様に割っていただいた卵を、一皿分ずつ器に取り分けた。
そのうちの一つを溶きほぐし、少量の塩を加える。
フライパンを温め、バターを溶かした。
じゅわっ。
香ばしい匂いが広がった。
そこへ、卵液を流し込む。
じゅうううっ。
「おお……。」
アルフォンス様が、身を乗り出した。
私は手早く卵をかき混ぜながら、火の通り具合を確かめる。
表面は少しずつ固まっていくけれど、中はまだ柔らかい。
……よし。
火加減を調整し、フライパンを傾けながら、卵を楕円形にまとめていく。
形が整ったところで、火から下ろした。
「……見事です。」
ベルナールさんが、感心したように呟いた。
「この柔らかさを保ったまま、形を整えるとは……。」
ルカさんも、食い入るように見つめている。
「……すごい。」
私は、出来上がったオムレツを、ご飯の上へそっと乗せた。
「これで、あとは仕上げだけです。」
「……む?」
アルフォンス様が、首を傾げる。
「リリア。まだ完成ではないのか?」
「はい。最後に卵を開くんです。」
「……やはり、分からん。」
……もう少しだけ、お待ちください。
私は、残りの卵も手早く焼いていった。
半熟の柔らかさを残すため、火を通しすぎないように気をつけながら、一皿ずつご飯の上へ乗せていく。
四皿が揃うと、すぐにベルナールさんとルカさんが料理を運ぶ準備を整えてくれた。
「卵が固まってしまわないうちに、食堂へ運びましょう。」
「承知いたしました。」
ベルナールさんが頷く。
すると、アルフォンス様が二人へ視線を向けた。
「ベルナール、ルカ。君たちも一緒に食べてみないか。」
「……えっ?」
ベルナールさんが、驚いたように顔を上げた。
「し、しかし旦那様。私どもが同じ食卓につくなど……。」
「今日はリリアが教えてくれた新しい料理を、皆で味わいたいのだ。」
「旦那様……。」
「それに、二人とも料理人だ。ぜひ感想を聞かせてほしい。」
アルフォンス様が、穏やかに微笑む。
ベルナールさんは少し迷ったあと、深々と頭を下げた。
「……かしこまりました。ありがたくご一緒させていただきます。」
「ありがとうございます!」
ルカさんも、嬉しそうに頭を下げる。
……アルフォンス様って、こういうところも素敵なのよね。
私は、少しだけ頬が温かくなるのを感じた。
◇
食堂へ移動すると、用意された席に四人で着いた。
目の前には、それぞれのオムライス。
赤いご飯の上に、ふっくらとした黄金色のオムレツが乗っている。
「さて、リリア。」
「はい?」
「いよいよ、卵が開くところを見せてもらえるのだな。」
「はい。よく見ていてくださいね。」
私は、ナイフを手に取った。
そして、アルフォンス様のオムレツの中央へ、そっと刃を入れる。
すうっ。
切れ目が入った、その瞬間。
とろり。
中から半熟の卵が流れ出し、左右へゆっくりと広がっていく。
黄金色の卵が、ご飯を覆っていった。
「…………。」
アルフォンス様が、固まった。
ベルナールさんも、ルカさんも、言葉を失っている。
「……な。」
アルフォンス様が、ゆっくりと口を開く。
「な、何だと……!?」
……あ。
これは、来る。
「卵が……開いた!?」
「はい。」
「閉ざされていた卵の中から、黄金の大地が現れただと!?」
……黄金の大地?
「なんということだ……!」
アルフォンス様が、震える声で呟く。
「これは、ただの料理ではない……。」
……まだ食べてませんよね?
「まるで、未知の大陸が姿を現したかのようではないか!」
……そこまでですか。
私は、思わず苦笑した。
「では、最後にソースをかけますね。」
仕上げには、ベルナールさんに用意していただいた、深い茶色の濃厚なソースをかける。
黄金色の卵に、艶やかなソースが美しく映えた。
「はい。完成です。」
続けて、残りの三皿も同じように仕上げていく。
ルカさんは、その様子を一瞬も見逃すまいと、真剣な表情で見つめていた。
「それでは、皆さん。どうぞ召し上がってください。」
「……うむ。」
アルフォンス様が、ゆっくりと匙を手に取った。
そして、卵とご飯を一緒にすくう。
一口。
「…………。」
動きが止まった。
……あ。
やっぱり。
アルフォンス様が、ゆっくりと目を閉じる。
「……なるほど。」
「はい?」
「そういうことだったのか……。」
……何がですか?
アルフォンス様が、静かに立ち上がった。
「これは……建国だ!!」
……はい!?
「……建国?」
ルカさんが、思わず呟いた。
「父さん。料理で国って建つのかな……。」
「……旦那様には、見えておられるのだろう。」
……ベルナールさん、そこは否定してください。
アルフォンス様は、そんな会話など耳に入らない様子で、力強く語り始めた。
「まず、赤き大地が築かれた! 肉と野菜、そして穀物が一つとなり、新たな国の礎を成したのだ!」
「……はぁ。」
「だが、それだけではない! その上に黄金の城門が築かれ、国は長き眠りについた!」
……卵ですよね?
「そして今! その門が開かれたのだ!!」
アルフォンス様が、力強く手を広げた。
「見よ! 黄金の大地が広がり、豊穣なる王国が姿を現した!」
……オムライスです。
「さらに、この芳醇なるソース! それは大地を潤す恵みの雨! すべての民を等しく包み込む、王の慈悲そのものではないか!」
……ソースにまで王様がいるんですか!?
「そして、口に運べば……!」
アルフォンス様が、もう一口食べる。
「卵の優しさと、赤き大地の力強さが、一つになる!」
……ご飯です。
「異なるものが互いを認め、支え合い、一つの国を築く……。」
アルフォンス様が、感極まったように胸に手を当てた。
「これこそが、真の建国ではないか!!」
「…………。」
……お昼ご飯なんですけど。
私は、そっとベルナールさんへ視線を向けた。
ベルナールさんは、オムライスを味わいながら、真剣な表情で頷いている。
……えっ?
ルカさんも、いつの間にか目を輝かせていた。
「……すごい。」
……そっちも!?
アルフォンス様が、満足そうに椅子へ腰を下ろした。
「素晴らしい料理だ、リリア。」
「あ、ありがとうございます。」
「それに、リリア。」
「はい?」
「この王国の建国に、私も少しばかり携わったのだな。」
「……卵を割って、ご飯を混ぜていただきましたね。」
「うむ。実に誇らしい!」
……アルフォンス様、すっかり建国の一員になってる。
「これほど見事な料理が、この世に存在していたとは……。」
アルフォンス様は、しみじみと呟いた。
「私は、まだまだ世界を知らなかったのだな。」
……オムライスで世界の広さを感じないでください。
◇
食事が進むにつれ、ベルナールさんも改めて感想を聞かせてくれた。
「……これは、実に素晴らしい料理です。」
「ありがとうございます。」
「卵の柔らかさと、ご飯の味つけが、実によく合っております。しかも、見た目にも驚きがある。」
ベルナールさんが、感心したように頷く。
「食べる直前に卵を開くという演出も、見事ですな。」
料理長にそう言っていただけると、素直に嬉しい。
「リリア様。」
ルカさんが、少し興奮した様子で声をかけてきた。
「もしよろしければ、あの卵の焼き方を教えていただけませんか?」
「もちろんです。」
「本当ですか!」
「はい。少し練習が必要ですけど、コツを掴めばできますよ。」
「ありがとうございます!」
ルカさんが、深々と頭を下げた。
「では、今度いらしたときに、ぜひご指導をお願いいたします。」
「はい。私でよければ、喜んで。」
……本当に料理が好きなのね。
その姿を見ていると、なんだか嬉しくなった。
新しい料理を知って、目を輝かせてくれる。
そういう人と一緒に料理をするのは、きっと楽しいだろうな。
◇
食事を終えた私たちは、応接室へ戻った。
紅茶をいただきながら、今日の料理について話していると、アルフォンス様がふと真剣な表情になった。
「ところで、リリア。」
「はい?」
「君に、紹介したい人物がいる。」
「……どなたですか?」
「私の古くからの友人だ。侯爵家の当主でな。商会の経営にも携わっている。」
「商会、ですか?」
「ああ。王都だけでなく、各地の商人とも取引がある人物だ。」
……侯爵様で、商会の経営にも携わっている方。
なんだか、すごい人みたい。
「その方を、私に?」
「ああ。」
アルフォンス様が、穏やかに頷く。
「君の料理には、人を驚かせ、喜ばせる力がある。」
「……アルフォンス様。」
「プリンも、チーズケーキも、そして今日のオムライスもそうだ。」
アルフォンス様は、まっすぐに私を見つめた。
「君のプリンやチーズケーキは、材料さえ揃えば、もっと多くの人に届けられるのではないかと思ってな。」
「もっと多くの人に……。」
「ああ。例えば、王都の人々にも君の料理を味わってもらうことができるかもしれない。」
……王都の人たちに?
私は、思わず想像してしまった。
小さなお店に並ぶ、たくさんのプリン。
焼きたてのチーズケーキ。
それを食べて、笑顔になってくれる人たち。
……なんだか、楽しそう。
「もちろん、君が望むなら、という話だ。」
アルフォンス様が、穏やかに続ける。
「今すぐ何かを決める必要はない。ただ、そういう道もあるのではないかと思ってな。」
「……アルフォンス様。」
私は、少し考えた。
これまで、私が料理を作るのは、家族や身近な人に喜んでもらうためだった。
でも。
もし、もっと多くの人に食べてもらえるとしたら。
それは、きっと楽しいだろう。
「……少し、興味があります。」
「そうか!」
アルフォンス様の表情が明るくなった。
「では、今度その友人を紹介しよう。」
「はい。よろしくお願いします。」
「ああ。きっと、君の料理に驚くはずだ。」
……そうかしら。
でも、少し楽しみかもしれない。
私は、紅茶を一口いただいた。
プリンから始まった、アルフォンス様との出会い。
チーズケーキを作って、初めてのデートに出かけて。
そして今日は、一緒にオムライスを作った。
なんだか、少しずつ世界が広がっている気がする。
「ところで、リリア。」
「はい?」
「今日のオムライスだが……。」
「……はい。」
「次は、もっと大きな王国を築くことはできるだろうか。」
「…………。」
……大盛りにしてほしいってことですよね?
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