007 かけっこ勝負! 前編
スィータンが部屋の中を思う存分駆けまわり、練習を重ねに重ねたある日のこと。
とうとう競争の日がやってきた。
スィータンはいわゆる体操服に身を包んでいる。
通常の紳士淑女教育では必要のない運動用の服。キャンディ先生はそれを貴族たちに購入させた。
実際に傭兵たちの間でも使われているものだ。その服を身につけることは社会貢献の一環だと言われてしまえばしかたがない。
それほど金額も高くなく、逆にここで出し渋ると貴族仲間から軽く見られかねないという思いも働き、どこの親も体操服を購入している。
それは走るのが野蛮だと思っているスィータンの父親、ラックスであっても例外ではなかった。
ビシッとそろった服装の子供たちが並んでいる。
運動すると熱がこもるので半袖半ズボン。もっとも暑さ対策というよりは、関節周りの動きを制限しないようにという理由で、袖もほとんどノースリーブでズボンの丈も極端に短い。
そんな中に現れたキャンディ先生。
「よーしお前ら! ちゃんと走り込んできたか? 今日はそれを確認してやる。いいか、世の中ってのは平等じゃない。勝者がいて敗者がいる。お前たちも子供ながら今までそれを感じてきたこともあるだろう。だが、今日、それは明確になる。勝て。勝ったやつが一番強い!」
おおよそ紳士淑女教育とは思えないが、的を射ている。
まあそんなことは全く気にせずに、スィータンはすっかり走るのが好きになっていた。
ずっと狭い部屋の中を走り続けていたので、久しぶりに外の広い場所で走ることが出来るのでウキウキしているのだ。
「ちょっとアナタ。ぼーっと立ってたら邪魔よ。何とか言ってみなさいよ、目隠し娘!」
最近大人しかったが、ことあるごとに絡んできていたハーリクちゃんだ。
目隠し娘とはまた。前髪で目が完全に隠れているスィータンへの当てつけだ。
子供であるがゆえに容赦なく人の身体的特徴を攻めてくる。
「ふん! アナタしゃべれないんだったわね。静かでいいわ。それにしてもこんな野蛮なこと、なんでやらないといけないのかしら。まあ、アナタにはお似合いかもね?」
一人で語るだけ語って去っていってしまった。
どうやら泣きながらごめんなさいをしたあの神隠し事件から完全に立ち直ったようだ。
《何しに来たんだろうな》
《わからないわ。それよりも、早く走りたいわ》
スィータンは気にもしていなかった。
普段ならともかく、今は走るワクワク感で一杯。
鼻息も荒く、体も不規則にリズムを刻んで揺れている。
決戦の場所は学校内の広場。紳士淑女教育のための学校なので運動科目は無く、広場は運動目的の場所ではないのだが、広いので走るのにはピッタリ。
そしてそして、今日は父兄参観日も兼ねている。
父兄参観日は一部の親バカなご両親に学校を解放する日だ。もちろん来ない親もいる。スィータンの父親などはその最たるものだ。
本当は見に来て欲しかったスィータンだったが、父親に迷惑をかけたくはないので、そこまでは求めない。
だから今日、勝利を引っさげて屋敷に戻って父親に褒めてもらうだけだ。
広場には親バカ一家しかいないとは言うものの、周囲は満員。結構な数で親バカな貴族たちがいると言うわけだ。
黄色い声援が飛び交う中、スィータンを含めた女子達が一列に並ぶ。
ライバルは多い。スィータンの父のように走る事が淑女教育とは結び付かないと思う貴族たちが大半だが、ここに集った猛者たちは違う。娘の晴れ舞台を飾るために専任のコーチを付けて娘を教育してきた親バカ達だ。
それも全て、娘が勝利する瞬間を目に焼き付けるため。
それらに巻き込まれた他の娘たちは不憫なものだ。
「お前ら! 本気で走れよ! 戦場は遊びじゃねえんだ!」
キャンディ先生の檄が飛ぶ。
走る練習なんかしてもいない娘たちは苦い表情を浮かべている。
「ふん! 隣がアンタなんてね」
先生も並び順は考えた方がいいんじゃなかろうか。スィータンの隣には、いじわる子のハーリクちゃんが並んでいる。
とはいえスィータンにとっては誰が隣でも変わらない。
走って、走って、走りぬいて、一番になる事だけなのだから。
「あら、あれは何かしら?」
突如ハーリクちゃんが空を指さす。
「?」
スィータンはそれにつられて顔を空へと向ける。
空は快晴。柔らかな日差しが降り注ぎ、たまに薄い雲がそれを隠してしまう程度。
それだけ。ハーリクちゃんが言うような何かはどこにも見えない。
「??」
見ている場所が違うのだろうかと首を振って空全体を見て見るが、何もない。
ただ雲が流れているだけ。
「あら、ごめんなさい。見間違えだったわ」
何事も無かったかのようにハーリクちゃんはそう言った。
まあ見間違いならしかたない。早く走りたいスィータンは疑問も持たずにそのことを忘れることにした。
これにて一件落着。ということにはならない。
何故ならハーリクちゃんはスィータンの視線を誘導した後、スィータンがあるはずもない何かを探しているうちにしゃがみこんで、スィータンの靴の紐をほどいてしまったのだから。
(紐をほどいた靴で走ったりなんかしたら絶対にころんでしまうわよね。フフッ。無様に転んで泣いた顔を見てやるんだから!)
ハーリクちゃんは悪い笑みを浮かべる。
思えばスィータンの事が気に入らないから突っかかるようになって長いが、思ったほどの結果を得ていないのだ。それは女児であることによる限界もあるが、今日は今までで一番の効果が期待できるとハーリクちゃんはニヤついているのだ。
「よーしお前ら! 私が手を叩いたらスタートだ。いいな!」
キャンディ先生がスタート合図の準備に入る。
スィータンの顔がキリリと引き締まる。
もちろん正面しか見ていない。紐のほどけた靴など眼中にないのだ。
お読みいただきありがとうございます。
スィータン、靴紐! 靴紐!
次回スィータンの靴紐が……。お楽しみに!




