第40話 狂熱の波形と、魅惑の調律(チューニング)
1.狂騒のスタジアムと、王様の帰還
インカレの最終日。
メインスタジアムは、大会の最後を飾る男子サッカーの決勝戦で異様な熱気に包まれていた。
特に目を引くのは、スタンドの半分を埋め尽くしていると言っても過言ではない、若い女性ファンたちの声援だ。
「瞬くーん!!
こっち見てーっ!!」
「キャアアァァッ!
今のパス、ヤバい!!」
ピッチの中央でボールを捌く深海大学の背番号10、御影瞬。
端正で彫りの深いルックスに加え、今大会で見せている圧倒的な「ゲームメーカー」としてのカリスマ性は、元々多かった彼の女性ファンをさらに爆発的に増やしていた。
孤立のトゲを捨て、仲間を信じて『基準点ゼロ』となった瞬のプレーは、華麗で、残酷なまでに美しく、相手チームの守備網を嘲笑うかのように切り裂いていく。
「……決めろッ!!」
瞬の右足から放たれた完璧な軌道のスルーパスが、味方フォワードの足元にピタリと収まり、そのまま決勝点となるゴールネットを揺らした。
ピーーーーッ、ピピッ、ピーーーーッ!!
試合終了のホイッスル。
深海大学、インカレ優勝。
スタジアムが割れんばかりの大歓声に包まれる中、瞬は群がるチームメイトたちと熱い抱擁を交わした。
ふと、彼は観客席を見上げた。
女性ファンが自分に向かって悲鳴のような歓声を上げているが、瞬の視線はその中のたった一人を正確に探し当てていた。
関係者席の片隅で、キャップを目深に被りながらも、自分に向かって小さく、けれど確かな熱を帯びた視線を送ってくる風見凛。
(……見てたかよ。
凛、今夜も俺の熱を受け止めてくれ)
瞬は、誰にも気づかれないように、ほんのわずかに口角を上げて、彼女だけに向けた笑みを返した。
2.貪り合う絶対熱
インカレが終わり、華やかな表彰式やメディアの取材の喧騒が過ぎ去った後。
瞬と凛は、互いの「熱」を完全に解放する術を覚えてしまっていた。
それからの毎日は、まさに狂熱の日々だった。
部活の練習が終わり、日が落ちると、二人は申し合わせたように人目を忍んで瞬のマンションや、大学近くのホテルへと滑り込んだ。
「……んっ、ぁ……しゅ、んっ……」
「……お前、今日もすげえ熱いな。
……俺のこと、どんだけ待ってたんだよ」
薄暗い部屋のベッドの上。
アスリートとして極限まで鍛え上げられた二つの肉体が、汗で滑りながら何度も激しく重なり合う。
あの夜、互いのドロドロとした欲求(泥水)を完全に肯定し、結びついた二人の『自己一致率(C)』は、身体を重ねるたびに恐ろしいほどの密度で同期していった。
「だって……練習中も、ずっと瞬のことばっかり……考えてて……っ」
凛は、シーツを固く握りしめ、弓なりに反り返りながら甘い声を漏らす。
日中は、ストイックで近寄りがたい「日本記録保持者のクールなスプリンター」。
だが、二人きりの密室に入った途端、彼女はただ瞬に愛されたい、彼にめちゃくちゃにされたいと願う、一人の女性としての本能を隠そうとしなかった。
「……俺以外の奴の前で、絶対そんな声出すなよ」
瞬は、凛の汗ばんだ首筋に深く歯を立てながら、彼女の腰を力強く引き寄せ、自らの熱の最も深い部分を容赦なく叩き込む。
「……ぁあッ!
瞬、好き……私、あなたの全部が……っ!」
「……俺もだ、凛……ッ!」
互いの息遣い、筋肉の収縮、皮膚の温度。
スタジアムという闘技場で爆発させたエネルギーの余韻を、二人は毎晩のようにベッドの上で貪り合い、互いのEgo Cubeの繋がりをより強固なものへと焼き付けていった。
スポーツのルールの下では決して満たしきれない、原始的で、暴力的なまでの愛と欲求の解放。
二人は完全に、互いの放つ熱に依存し、溺れていた。
3.忍び寄る不協和音と、新たな嫉妬
だが、光が強ければ強いほど、そこに落ちる影もまた濃くなる。
満ち足りた日々の中で、凛の胸の奥に、かつては知らなかった新たな「泥水」が少しずつ溜まり始めていた。
『瞬くーん!!』
キャンパスを歩いていても、瞬の周りには常に彼を慕う女性ファンの姿があった。
瞬自身は彼女たちに見向きもしないが、凛のEgo Cubeは、その状況に対してチリチリと焼け焦げるような『嫉妬』のノイズを鳴らし始めていた。
(……瞬は、私のものなのに。
あんなに熱く、私だけを抱きしめてくれるのに)
自分の奥底で渦巻く、醜い独占欲。
そして何より凛を苛立たせていたのは、インカレの公式アンバサダーを務めた葛城姉妹の妹、奏音の存在だった。
インカレが終わった後も、奏音は「大学スポーツの取材」と称して、頻繁に深海大学のサッカーグラウンドに姿を見せていた。
そして、ことあるごとに瞬に近づき、あの蠱惑的な笑顔で彼に話しかけているのだ。
瞬は露骨に嫌そうな顔をしているが、奏音の放つ『響』の波形は、男の本能を否応なくくすぐるような、危険な甘さを持っていた。
(……あの女、瞬を狙ってる)
凛は、物陰からその様子を見つめ、無意識のうちに爪が掌に食い込むほど拳を握りしめていた。
嫉妬。
それは愛の裏返しであり、強大な重力を持つ感情。
太陽の言葉を借りるなら、その「泥水」すらも肯定しなければならない。
だが、凛は自分のエゴが、奏音という異質な存在の介入によって、少しずつ乱されそうになっているのを感じていた。
4.葛城姉妹からの招待状
その数日後。
神野太陽のスマートフォンに、一通のメッセージが届いた。
『太陽。
そろそろ、あなたのEgo Cube「テッセラクト(四次元超立方体)」。
調律が必要じゃないかしら?
今夜、ホテルのレストランで待ってるわ』葛城美音。
メッセージを読んだ太陽は、小さくため息をついた。
葛城姉妹によるEgo Cubeの『調律』。
それは、かつて太陽が奈落の底で経験した、命を削るような感情の再構築の儀式だ。
正と負の感情の完全一致によって生まれた特異な器であるテッセラクトは、定期的に彼女たちの『調律』によってメンテナンスを行わなければ、強大すぎる質量の歪みによって自壊してしまう危険性を持っていた。
「……行くしかない、か。
彼女たちの機嫌を損ねるわけにはいかないからな」
太陽が返信を打とうとすると、すぐに追伸のメッセージが届いた。
『あ、そうそう。
今日は、あの可愛いサッカー部の男の子(御影瞬)も一緒に連れてきてね。
奏音が彼のこと、すっかり気に入っちゃったみたいだから。
……もし来なかったら、あの子凛ちゃんにちょかい出しちゃうかも』
「……ッ」
太陽は、眉間に深いシワを寄せた。
美音は、完全にこの状況を面白がっている。
瞬と凛が自己一致を果たし、絶対的な熱で結びついたことを見透かした上で、あえてその「絶対定数」を揺さぶるようなゲームを仕掛けてきたのだ。
太陽は、グラウンドで練習を終えた瞬を呼び出し、事情を伏せたまま「少し付き合ってほしい場所がある」とだけ告げた。
5.魅惑の密室と、エゴの調律
都内に建つ、高級ホテルのフレンチレストラン。
夜景が一望できる個室のテーブルには、太陽と瞬、そして純白のドレスを着た美音と、漆黒のドレスを着た奏音が向かい合って座り食事をしていた。
「……なんで俺が、あんたらの食事に付き合わなきゃなんねえんだよ」
瞬は、出された高級シャンパンにも口をつけず、不機嫌そうに奏音を睨みつけていた。
「冷たいのね、瞬くん。
インカレでのあなたのプレー、最高にエキサイティングだったわ。
……私、あんな風に空間を支配できる男の人、大好きよ」
奏音は、テーブルの下で自分のヒールの先を、瞬の足首にそっと這わせた。
「っ……!」
瞬は慌てて足を引いたが、奏音の放つEgo Cube『響』の波形は、香水のように甘く、そして抗いがたいほどのフェロモンを纏って瞬のEgo Cubeに絡みついてくる。
「からかうのはその辺にしておいてくれ、奏音。
……彼には、愛する人がいる」
太陽が低い声で制止するが、美音がフフッと上品に笑ってそれを遮った。
「愛なんて、揺らぐからこそ美しいのよ、太陽。
……それに、今日はあなたの『調律』の日でしょ?
時間ももったいないし、そろそろ部屋に向かいましょうか」
美音は、ウェイターから二枚のカードキーを受け取ると、その一枚を奏音に渡した。
「上のスイートルームを二部屋取ってあるの。
太陽くんは、私の部屋へ。
……そして瞬くん。
あなたは、奏音の部屋に行きなさい」
「……は?
ふざけんな、俺は帰るぞ」
瞬が立ち上がろうとした瞬間、奏音が彼の腕にそっと触れた。
「帰ってもいいけれど。
……あなた、太陽くんがいつもどんなふうに自分のエゴを『調律』しているか、興味ない?
あなたのその器も、一度私がいじってあげれば、もっと凄まじい快感……じゃなくて、エネルギーを生み出せるようになるわよ」
奏音の瞳が、魅惑的に妖しく光る。
「それに、あなたが逃げたら……私、明日から毎日、凛ちゃんのところへ遊びに行っちゃうかもしれないわ」
「……ッ、てめえ……」
瞬はギリッと奥歯を噛み締めた。
凛をダシに使われた以上、逃げるわけにはいかない。
それに、太陽が「命懸けで受けている」というその調律というものに、アスリートとしての、そして男としての奇妙な好奇心が煽られていたのも事実だった。
「……御影くん。
危険だと思ったら、すぐに部屋を出なさい。
彼女たちの波形は、扱い方を覚えないと猛毒になる。
飲まれるなよ」
太陽が厳しい声で忠告するが、瞬は無言のまま、奏音に腕を引かれて別の部屋へと向かっていった。
6.甘美なる侵犯
ホテルの最上階。
重厚な扉を開けた先にある、薄暗い間接照明だけが点された豪奢なスイートルーム。
「さあ、ソファーに座って。リラックスしてね」
奏音は、瞬を促すと、部屋の片隅に置かれていた黒いヴァイオリンのケースを開けた。
「……何をする気だ。
俺は、凛以外に抱かれる気も、抱く気もねえぞ」
瞬がソファに警戒しながら腰を下ろすと、奏音はクスクスと笑いながらヴァイオリンを顎に挟んだ。
「安心して。
直接身体に触れるような野蛮な真似はしないわ。
……私が触るのは、あなたの『魂』の、もっと深くて柔らかい部分よ」
奏音が、弓を弦に滑らせた。
シュォォォンッ……!!
その一音が鳴った瞬間、瞬の視界がグラリと歪んだ。
「……ッ!?」
ただの音楽ではない。
奏音のEgo Cubeから放たれた強烈な波形が、瞬の皮膚を透過し、心臓の奥底にある彼の器を直接「撫で回して」きたのだ。
「うぉ……っ、なんだ……これ……っ」
瞬の口から、無意識に荒い吐息が漏れた。
肉体には一切触れられていないのに、まるで全身の性感帯を同時に刺激されているような、恐ろしいほどの快感が背筋を駆け上がってくる。
「ふふっ。
これが『調律』よ。
……あなたのEgo Cube、凛ちゃんとの交わりで随分と熱を帯びているけれど、少し『嫉妬』のノイズがこびりついているわね。
私が綺麗に溶かしてあげる」
奏音は、部屋の中をゆっくりと歩きながら、蠱惑的な旋律を奏で続ける。
「や、めろ……っ!ッ、はぁっ、はぁっ……!」
瞬は、ソファの肘掛けを強く握りしめたが、身体に全く力が入らない。
彼女の放つ波形は、瞬の理性という防壁をいとも容易くすり抜け、彼の中にあるオスとしての「生々しい欲求(泥水)」を強制的に沸騰させていく。
「我慢しなくていいのよ、瞬くん。
あなたのその重い熱、私に全部委ねていいの」
奏音は、ヴァイオリンを弾きながら、瞬の顔のすぐ近くまで身を屈めた。
彼女の胸の谷間と、甘い香水の匂いが、瞬の視覚と嗅覚を強烈に刺激する。
「……俺には、凛が……っ、あいつが……!」
瞬は、必死に自分の『誰か(P)』である凛の顔を思い浮かべようとした。
だが、奏音の調律は、その定数すらも快感の渦の中に溶かしてしまおうとするほどに強大だった。
「凛ちゃんを愛しているなら、なおさらよ。
あなたの器の許容量を、私がもっと広げてあげる。
……そうすれば、あなたはもっと激しく、もっと深く、彼女を愛せるようになるわ」
奏音の囁きは、悪魔の誘惑のように瞬の耳膜を甘く震わせた。
(……くそっ、頭が……真っ白に、なる……ッ!)
瞬の全身から、滝のような汗が吹き出している。
ズボンの下では、男としての本能が限界まで張り詰め、今にも暴発しそうになっていた。
肉体的な接触が一切ないまま行われる、魂への直接的な侵犯と愛撫。
葛城奏音というアーティストが奏でる、エゴの調律という名の恐るべき官能の罠の中で、御影瞬の『絶対熱』は、かつてないほどの激しい揺らぎと快感の波に飲み込まれようとしていた。




