帰ってきた夫①
あれから3年が経った。
娘は……「恵子」は3歳になった。
夫が付けた名前だ。
夫の行方が分からなかった。
調べるお金も無かった。
そのまま時が過ぎて娘が3歳になった。
父を知らない子。
可哀想だと思った。
夫が付き合っていた女性、夫がただ一人愛した女性。
夫からの手紙には「余命宣告を受けた」と記されていた。
あれから、その人が生きているのか知る術も無かった。
離婚も出来ない。
夫が行方不明だと離婚が出来ない。
10年、行方不明だったら離婚出来ると上司の妻から聞いた。
「後7年……。」溜息が出た。
何もしてくれない夫なのに、戸籍は筆頭者。
もう夫が帰って来るとは思えなかった。
もう忘れ去られていると思った。
それなのに離婚出来ない。
上司が「離婚出来ていたら、再婚も出来るのに……まだ若い身空で。」と言った。
単純に再婚出来れば恵子を育てるのは、今よりずっと経済的に楽になる。
離婚出来さえすれば……でも、夫が失踪していたら離婚は出来ない。
⦅こんなことになるのなら、出て行った時に離婚届に署名捺印して置いて行ってくれたら良かったのに……。⦆と涙で枕を濡らすようになった。
◇◇◇◇
そして、ある日。
玄関を叩く音がした。
女が子どもと二人だけの暮らし、直ぐにドアを開けたりしない。
「何方ですか?」と聞くと、「俺。」と返事があった。
その声は夫の声に似ている。
そっとドアを開けて隙間から見ると、あの晴れた日に私達を捨てた夫が立っている。
慌ててドアを閉めた。
「何か御用ですか?」と聞くと、「……帰って来た……長い間……ごめん。」という言葉が返って来た。
何も言葉が出なかった。
その時、娘が「おちゃぁちゃん、抱っこ。」と甘えて来た。
すると、「恵子?……恵子か?」と夫が娘に呼びかけた。
「だぁれ?」という娘に、妻は「知らない人よ。」と答えた。
ドアの前で立っている夫は言葉が出なくなった。
妻は漸く夫に話し掛ける言葉を見つけた。
「娘を寝かしつけます。お話の時には上司夫婦に同席して頂きます。それでないと、お話出来ません。」と言い、玄関の鍵を掛けた。
夫が「帰って来たんだ。」と再び言った。
妻は「誰にこの家のことを教えて貰ったのですか?」と問うた。
夫は「前の社宅に行ったら表札が変わってて、それで、お隣の奥さんに教えて貰った。」と答えた。
妻は笑った。苦々しい笑みだった。
⦅退職者の家族が3年間も住める訳ないのに……。⦆と腹が立った。
「兎に角、帰って下さい。恵子を寝かしつけないといけないので!」と言って、恵子を抱いたまま玄関から離れて部屋に戻った。
妻は、もう玄関を気にしたくも無かった。
夫の声は全く聞こえなかった。
夫が帰ったのかどうかを確かめなかったが、翌朝起きて玄関を出た時には誰も居なかった。
玄関を入ったら直ぐに台所、その奥に6畳の部屋が一つ。
それが妻が娘と暮らす家だ。
狭いけれども娘と暮らしてきた大切な家だ。
誰にも侵されたくない娘との家。
この家を夫が訪ねるなど考えられなかった。
⦅今更!⦆と思った。
この家で夫が暮らすことなど、最早、考えられない。
妻が乳飲み子を抱えて、どんなに辛い日々を送ったか……夫は何も知らない。
寝息を立てている娘を見つめて、涙が頬を伝わり落ちた。
「恵子……恵子……お父ちゃん……居ないままで……いい?
許してくれる?
恵子………ごめんね………ごめん、恵子………。」




