第三章 8
「Δ、これがガンテツの蓄えてきた力、技術だ。バイオマシンには到底及ばない、こんな機兵でも光輪を自在に操る事ができる。なぁ、俺達の世界の常識で考えられるか?」
阪田は攻撃を止め、再びモニター越しにΔへ語りかけた。
「お前もコード名なんか捨てろ。お互い人間に戻って、話をしよう」
「……人間に、戻る?」
「国防軍の兵士だった俺達が、各基地から人体改造の候補に選抜され、一堂に集められた時は300人以上いた。その数が、日を追う毎に減っていく。遺伝子を操作する処置に肉体が耐え切れず、仲間は次々と死んでいったんだ」
感情を抑えた阪田の声を聞き、Δは故郷での過酷な日々を想起した。
阪田やβには遠い過去の残滓。
しかし、こちら側の世界へやってきたばかりのΔにとって、それはほんの数か月前に体験した出来事に過ぎない。
「α、β、γ、Δ……最後は、俺達四人しか残らなかった」
「ああ」
「後詰めに回ったお前を残して三名が光輪を潜るまで、ずっと一緒にいたのに、俺はお前の本名を知らない」
「コード名で呼び合うのが、チームのルールだったからな」
「今こそ聞かせて欲しい。任務の軛を離れ、心を割って話す為に」
「フン、人に名を訊ねるなら、その前にまず名乗るのが礼儀じゃないか」
ふっと阪田は微笑んだ。日本の、何処の職場にでもいそうな平凡極まる顔立ちに三つ、穏やかな皺が寄る。
「俺の名前なら、お前はもう知ってる」
「……何?」
「阪田由久、だ」
「それは貴様の偽名だろ?」
「記憶の消去と再生の過程で、俺自身、仮の名前と思い込んでいた時期がある。でも違うんだよ。自衛隊に潜入し、黒岩二尉に近づく時、敢えて故郷での名を使う事に決めた。
その後、ガンテツに接触するまで記憶が戻らないようβの処置を受けたが、それでも出来るだけ、本当の自分に近い形で彼女と向き合いたかったんだ」
「任務に私情を持ち込んだのか? 何て、恥晒しな……」
「フフ、今更、俺に隠す事など何も無い。阪田由久、2329年1月20日、千葉県柏市生まれ。私大の文学部に在学中、徴兵されて、国防軍に入った。今回の任務に自分から志願したのは、20世紀の日本に興味があったからだ。
俺は子供の頃、日本文化の粋たるジャパニメーションの黎明期に憧れ、自分なりに調べていたから……」
「もう良い! そんな戯言、聞きたくない」
Δは苛立ちを露わにした。
埒も無い打ち明け話を聞かされ、会話が成立するどころか、敵意のみ、大きく膨らませている様に見える。
「要するに、向う側での俺は、只のありきたりな『日本人』だったって事さ」
ハッとΔが息を呑む。
取りとめのない会話に潜む、阪田の真の意図を悟ったのだ。
「テロリスト『彼岸』を名乗り、異星人の振りまでして現実を隠蔽しても意味は無い。俺達は自身の過去を侵略している」
「……黙れ」
「俺達の故郷は、光輪のこちら側と並行して存在する別次元。所謂、パラレルワールドに属する、24世紀半ばの日本だ。俺達はそこから侵入し、過去の歴史に干渉、未来まで奪おうとした」
「……二つの時空は、それぞれ独立した時系列を持ち、繋がってはいない。我々がこちらで歴史を変えたとしても、それで故郷が影響を受ける訳ではない」
「だから、何をしても良いってのか! 35年、悩んで、迷って、漸く判った。二つの日本が未来を奪い合うのは所詮、共食い。自殺行為に等しいって事が」
「……俺達が滅ぼすのは同胞ではなく、あくまで別次元に住まうエイリアンだ」
「訓練の最中、上からそう教えられたよな。奴らは俺達と違う。300年分の洗練を経てきた24世紀の人類より20世紀の奴らは野蛮で劣っているから、犠牲になっても仕方ないって」
Δは口ごもり、阪田から目を逸らした。
「敵の非人間扱いは戦場ではお馴染み。使い古しのロジックだが、お前、それで少しは楽になったか?」
「黙れ……この偽善者め……」
「祖国を守る誓いを立てた軍人が、日本、いや、こちらの世界の全人類を死へ導く矛盾、勝手な理屈で正当化できると、お前は本気で信じているのか?」
「うるさい、うるさいっ!」
阪田に問い詰められ、Δの苛立ちはヒステリックな激昂へ転じた。
喚き散らす振る舞いは、実に幼い。人体改造を受けた漆黒の肉体は年齢を感じさせないものの、Δの本質は、未だキャリアが浅い若年の兵士。
ヒューマノイドの調整テストへ適合したばかりに、重責を果たそうと精一杯背伸びしているだけなのだ。
「……なぁ、落ち着け。落ち着いて、お前の本当の名前を教えてくれ」
辛抱強く語りかける阪田の眼差しは、温かく、そして哀しい光に満ちている。
あの時、ナナさんもあんな目してたな。
草薙の操縦席で通信モニターに映る阪田を見つめ、黒岩美貴は、三か月前の記憶を辿っていた。
繭の中央ドームに集まった黒岩家の面々に阪田が告白する最中、三次元映像の姿でナナが現れた時の事だ。
実体を伴わないホログラムではあるが、単なる幻では無い。生前の意思と感情、思考力が、今もそのまま保たれている。
35年前、ガンテツの中でGANベクターの攻撃を受け、ナナは肉体を失った。
しかし、繭内部に存在するクローン細胞の脳髄に記憶と意思を移し、言わば『魂』だけのバックアップ状態で完全な消滅を免れている。
「ガンテツとGANベクターが未来の日本からやって来た事実、私はもっと早くお話するべきでした」
ナナは阪田の横に立ち、頭を下げた。
彼女も又、同じルーツを持つ者同士が争う事態の残酷さに悩み、どう伝えれば良いか、わからなかったのだと言う。
この人が『ナナ』?
初めて間近で見て美貴は動揺した。
長年、両親の仲を隔てる障害だった女性なのに、その孤独と深い憂いを目の当りにして、どうしても憎めない。
人である事を捨てたベクター達。
人ならざる者として作られながら、人の心を宿してしまったナナ。
そして異能に目覚め、光輪を無事に潜り抜けられる現在の美貴も又、普通の人間より、むしろ彼らに近いのかもしれない。
できれば、これ以上、戦いたくないな。
生来の喧嘩っ早さと、ノリノリのハイテンションが、胸の奥で急速に萎んで行くのを彼女は感じた。
それに最近、体調がイマイチなのだ。
家族にも、阪田にも隠しているが、体が重く感じられ、悪寒までして、VCに乗り込むのが億劫な時もある。
やれやれ、もう年なンかな、私?
20代半ばで、やたら老け込んだ感慨に耽りつつ、美貴は敵旗艦の艦橋へ振り上げた草薙の刃を下ろす。
できるものなら、阪田とΔには同僚だった頃の気持ちへ戻ってほしいと思った。一時は戦うしかなかった美貴と阪田が、今、再び心を通わせたのと同じ様に。
「……35年か。γ、お前が彷徨っていた時間は確かに長い」
若干の沈黙を経て、Δは言う。
「俺には、その間の辛苦は想像もつかない。しかし、お前も俺が向う側で見た10日間を知らないだろ?」
阪田は素直に頷き、旧友の言葉へ耳を傾けた。
「僅か10日の間に時空震は荒れ狂い、暴走する太陽風の影響が、地球の各地で大きな被害を出した」
「……又、人が死んだんだな」
「毎日、犠牲者の数が増えていく。焦りと絶望が街に溢れ、皆、縋る様な眼差しで俺達を見る。何とかしてほしい、生き延びられるだけで他には何も要らないってな」
Δの両腕が、又、微かに動いた。
ロックオン・アラームが再び大蛇のコクピットに響き始める。
「まず生き残ってこその理想、博愛……星同士の転移がお前の言う解決策より確実である以上、俺は最後までやる」
「やはり、他に道は無いか?」
「向う側の世界では、日本がメインで進めるこの計画に世界中が期待しているんだ。共食いだろうが、自殺行為だろうが、罪は俺達が背負い、あの世まで持っていく」
首を小さく横に振り、阪田は草薙への通信回線を開いた。
「二尉、脱出するぞ」
「……三佐」
草薙と大蛇が合体する隙を見極め、Δは他の艦艇の搭載AIへ命令を下した。
「撃て! 俺もろとも奴らを沈めろ」
夥しい光芒がΔの旗艦と、その艦橋近くにいた大蛇、草薙へ殺到する。
肉体が消滅する寸前、Δは二機のVCが小光輪に包まれるのを見たが、脱出が早いか、砲火の着弾が早いか、それを見極める事はできなかった。
遂に阪田が彼の名を聞けなかったのと同様、刹那の疑問は宙に弾け、空しく消えたのである。
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