第一章 28
第一章は今回で終了です。
黒岩亜紀の拳が唸り、鋭い蹴りが閃く度、Jガイア統合司令室の壁が凹み、機器が壊れて火花が飛んだ。
僅か数十秒の間に繰り出された攻撃は数百発に及び、文字通り目にも止まらない。一発一発が重火器並みの威力を秘め、荒れ狂う猛威は、まさに怒涛の如し。
相手が人間ならば、とうに血肉の塊、いや、グラム単位のミンチと化しているだろう。
でも、柘植統弥の顔をしたベクターβへ一発たりとも当らない。自在に変形する体は掴み所が無く、攻撃を紙一重ですり抜けてしまう。
「……畜生」
らしからぬ言葉を吐き、激しく息を切らす亜紀の正面に立ちはだかって、βは余裕の笑みを浮かべた。
「フフ、感謝して欲しい。その凄まじい力、我々が与えたも同然だ」
睨み返す亜紀の顔は焦燥で歪み、普段の余裕は欠片も無い。
「正確に言うなら、君の体内で、父親から引き継いだナナの因子と、私のDNAが融合した結果だが」
「どういう意味よ、それ?」
「12年前、我々は黒岩家に潜むガンテツの情報を掴む為、誘拐騒動を仕掛けた。しかしうまく運ばず、君ら姉妹を洗脳して内部から探る計画に変更したんだ」
「……つまり、私にもあなたの、その汚らしい髄液を使ったの?」
頷く敵に、亜紀は怒りの拳を突き出した。今度はかわさず、亜紀の手に巻き付いたβの触手が次の攻撃を封じる。
「残念ながら、君達の体に内在していたナナの因子がリジェクションを生じ、洗脳を阻害したようだ。我々は計画を中断したが、代りに予想外の展開となったのさ」
「……私と美貴が力に目覚めた」
「他にも耳寄りな情報があるよ」
せせら笑うβの触手は、もがく亜紀の全身を這い、豊満な肉体を撫でまわし、蜘蛛の巣のように絡め取っていく。
「実は君らは、あの時、死んでる」
首を長く伸ばして、βが亜紀の耳元で囁いた。
「部下が回収した記録、現場に残された血を精査して判明した。君達の生体反応は一度完全に停止し、その後、全く別の生物として蘇生したんだよ」
「だから、何っ!?」
身動き取れないまま、舌なめずりする仇敵の顔を睨み据えて、吐き捨てる亜紀の言葉は恐ろしく冷めていた。
「哀れなものさ、人に見えても人じゃない、女に見えても女じゃない。遺伝子のアレル構造からして違うんだ。人類との交配で、子孫を残す余地は無い」
「……とっくに知ってるわ、普通の幸せを望めない事くらい」
亜紀の脳裏を、ふっと本物の統弥と過ごす甘い夜の記憶がよぎる。
不実な男だが、人間離れした本性を承知の上で亜紀と向き合い、時に恐れ、時に愛そうとした。
良かったわ、あのバカ、生きてて。
あいつの前でだけ、私、自然な私でいられたのよね。
「黒岩君、この際、もう一回、死んどくか?」
おどけた言葉を投げかけるや否や、βの触手が蠢動し、絡めた亜紀の体を持ち上げて、床へ叩きつけた。
一度、二度、三度……リズミカルに、執拗に。
複雑骨折した亜紀の腕があらぬ方向へ曲がり、割れた額から出血して、壁一面に飛沫の抽象画を描き出す。
飽きた玩具さながら、βが亜紀を放り出した時、コンソールの大型モニターから爆発音が響いた。
太平洋沖合いの黒岩製作所・『繭』を航空機から捉えた映像が、そこには投映され続けている。
そして、『繭』は崩壊の過程にあった。
何か非常に強烈な爆発が内部で生じ、本体の上部を覆う岩盤が半ば吹っ飛んで、炎と黒煙に包まれているのだ。
「サーモバリック爆弾か……やれやれ、不出来な同胞が、やっとこさ己の使命を果たしたと見える」
大破した繭が海面へ落ち、ゆっくり水没していく様子を確認して、ベクターβは満足気に頷いた。
「これで、計画は次の段階に進む」
βがコンソールを操作すると、モニターの画面が宇宙空間へ切り替わった。
米軍の衛星からの映像だろうか?
いや、有りえない。そこには月の裏側が映り込んでいる。こんな角度からの撮影は、地球の衛星軌道上からは決して成しえない。
その月の裏側、地球からは観測の死角となる位置に鮮やかな虹色の光芒があった。
直径500キロメートルを優に超え、人工物と言うより、オーロラの如き自然現象の趣きをまとう『光の輪』。
王者の冠に似た独特の形状を持つ威容が、緩やかに月の引力圏を離脱、地球の方向へ移動を始める。
そして、その中心から、夥しい数の宇宙船が出現しつつあった。小型の戦闘艇から空母クラスまで、200隻を遥かに超える大群が光輪を抜けて来る。
到底、地球上の軍勢では対抗しえない圧倒的な戦力だ。
「ご覧、俺の可愛い怪物さん。王冠を潜って、もうすぐ彼らが降りてくるよ。君達の未来は我々の未来で上書きされていく」
「……その顔で言うな」
「ん?」
「統弥の……私の大事な人の顔で、もうこれ以上……」
βはもう一度、瀕死の亜紀を無造作に床へ叩きつけた。
やっと、終わったと思う。
滅びゆく故郷を救う為の、35年にも及ぶ長い戦いが。
「1999年、7月、恐怖の大王が空から降ってくる、か。誰かの予言が当たったな、少なくとも、この次元では」
柘植統弥の顔を捨て、本来の黒く無表情な顔に戻ったβは、地球へ突き進む同胞の大艦隊を飽きる事無く見つめ続けた。
ここまで読んで下さり、黒岩家のみんなを知って頂いて、ありがとうございます。
次回から第二章「昭和編」。
三日お休みを頂き、金曜日から再開しようと思っております。
若き日の徹治、光代、そしてナナによるもう一つの初恋物語を御覧頂けたら嬉しいです。




