第一章 26
亜紀が残りの衛兵を退け、統弥、笠井らとJガイア・統合司令室へ乗り込んだ時、中には榎と三橋防衛庁長官しかいなかった。
いくら何でも手薄過ぎる。
激戦が続く外の喧騒に比し、余りにも静かな室内へ疑惑の眼差しを向けると、
「……デリケートな作業をしている。少し静かにしてくれたまえ」
亜紀の方を振返り、榎は妙に緊張感のない声を出す。
部屋の奥にはJガイアの各所や監視衛星からの映像を映す大型スクリーン付きコンソールがあって、正面の肘掛け椅子に三橋が座らされていた。
その頭部に銀色の異物が巻き付き、鈍い光を放っている。
一目見て、亜紀は声にならない呻きを漏らした。12年前、拉致された黒岩姉妹に何かを注射し、恐怖と激痛の記憶を刻んだ、あのヘッドセットそのものなのだ。
「処置は洗脳対象を確保した後、数分程度で終わる。但し対象者の体力、人格に合わせた微調整が難しい」
ヘッドセットのカプセルから、淀んだ液体が三橋の脊髄へ打ち込まれるのが見えた。
「只、命令に従わせるなら、大量に投与すれば良い。問題は対象の人格を温存し、知識や能力を活用したい時に生じる。投与を何度かに分けて、高い濃度へ順応させていく必要があり、今、彼はその最終段階にある訳だが」
榎がヘッドセットを外すと、哀れな男の体は激しく痙攣し始めた。
「分量を間違えたり、長期間投与を怠ると、結局、人格が崩壊してしまうのだよ」
立ち尽す亜紀の脳裏に、品川で捕えたテロリストの末路が蘇る。牢獄で急速な幼児退行を発症し、彼らは三才児以下の知性しか保てなくなった。
「あぁ、いかんなぁ。君達が邪魔するから、ほら、壊れてしまったじゃないか」
三橋長官は、もう震えていない。口から多量の泡を吹き、ピクリとも動かない。
「次の傀儡を探さなきゃならん。しかし黒岩君、君は使えまい」
冷やかな笑みを、榎は亜紀へ向ける。
「昔、一度試した」
「……そうね、良く覚えているわ」
一見、冷静な亜紀の内側で怒りの炎が荒れ狂っていた。抑えきれずに拳銃を構え、榎の額へ狙いをつける。
「亜紀ちゃん、撃つな! そいつには、まだ使い道がある」
笠井の叫びで、亜紀は我に返った。
そうだ。捕まえて事の真相を聞きだし、マスコミの前に引き出さなければ、黒岩家の濡れ衣を晴らす事はできない。
唇を噛んで、拳銃を下す。
だが、背後から伸びてきた何かが、その銃を奪い、引き金を引いた。正確なヘッドショットで榎は吹っ飛び、床に血潮の絵模様が広がる。
「……誰!?」
銃を構えているのは柘植統弥だった。
亜紀はこの時、彼を信用していた訳でも、油断していた訳でもない。ある程度、距離を取って行動していたが、黒い触手に変形した統弥の腕が長く伸び、瞬時に亜紀の拳銃を奪っている。
「事ここに至れば、この際、榎を射殺してくれた方が、俺には都合が良いのさ」
統弥はコンソールへ歩み寄り、モニターを操作した。榎が射殺される際の監視カメラの映像が、即座に投映される。
「この映像に若干の加工を加え、マスコミに手渡す。それで君達がテロリストだと言う印象を、決定的な形で世界の隅々まで伝播する事ができるだろう」
統弥の操作で、又、モニターに別の映像が流れだした。
東京湾沖合から太平洋に至る過程で、美貴や黒岩製作所のVCが村正と戦い、互角以上に渡り合う光景である。
「奇襲で落とせれば、こんな小細工は要らないが、想像以上に君達はしぶとい。私の同胞が、今頃は『繭』の奥深く潜入し、次の策に取り掛かっている筈」
統弥の爪先が、横たわる榎の亡骸を無造作に小突いた。
「Jガイアでの蜂起も想定外だったな。お蔭で予定より早く処分せざるを得んが、私の隠れ蓑になってくれて感謝する、榎君」
「……あなた、トウヤじゃないのね」
「何を言う、俺の可愛い怪物さん」
「怪物? その伸び縮みする指の方が、ずっと人間ばなれしてるじゃない」
統弥の顔をした男が首を傾げて見せた。
「本物の柘植統弥は何処?」
「市ヶ谷のアジトで眠っている。彼は余りに自我が強過ぎ、洗脳に手間取った」
「……生きているのね」
安堵の溜息をつく亜紀の隣で、今度は笠井が正体不明の敵へ銃口を向ける。
「榎の代りだ。お前に話を聞かせて貰う」
「フフ、時には洗脳した者を手足とし、時には自分自身が彼らと入れ替わって、計画を遂行してきた」
笠井の問いを受けて冷笑する男の顔が、榎の顔、三橋の顔に変形し、最後に笠井の渋面をそっくりコピーしてみせた。
「我はベクター。個体の名称ではなく我が故郷にて制作された同一機能の人工生命を指すシリーズ名だ」
「……シリーズ名?」
「同胞は私をβ(ベータ)と呼ぶ。35年前、ガンテツを追って、この地へやって来た」
「一体、何が目的だ?」
「聞かずとも、我がDNAを受け入れ、下僕になれば全てわかるよ」
再び統弥の顔に戻り、ベクターβは、ヘッドセットを笠井の前に差し出す。
「DNAだと? それじゃ、洗脳に使っていた液体は?」
「この私の髄液さ。それで対象者の脳細胞、中枢神経を浸食し、意識や記憶を共有する事で、崇高な目的に奉仕させる。互いに、個の限界を乗り越えるんだよ。私を超えるあなたの為に、あなたを超える我らの為に……」
「おぞましい!」
βの触手が伸びると、半ば恐怖から反射的に榎とその部下は発砲した。全ての銃弾が敵の肉体を穿つ。
しかしβは倒れなかった。
黒いゲル状の肉体を弾は無為に貫通していき、底知れぬ空洞のような眼差しが歴戦の勇者をも竦ませる。
亜紀が救う暇も無く、彼らは一人残らず急所を触手で突かれ、床へ昏倒した。
「……やってくれるわ。もう、私も手加減しない」
幼き日、自分と妹の運命を狂わせた仇敵に対し、亜紀の瞳の奥で青い炎が揺らめく。激しい闘志と、純然たる殺意を秘めて。
読んで頂き、ありがとうございます。




