第一章 25
黒岩製作所の敷地上で戦闘が繰り広げられる最中、真希は光代、伝、七海と共に『繭』内部のシェルターと思しき一室にいる。
見回すと周囲に巨大な機械が幾つもあり、人工知能を備える小型VFが働き者の小人さながら、何か作業していた。
モニターを備えた機器もあるから、使えば外の様子がわかりそうだが、下手に動かしてトラブるのは怖い。
彼らは、まだ自分が大田区の地下にいると思い込んでいた。まさか、大きな繭に包まれて太平洋を飛んでいるとは思いもつかず、何もわからない分、苛立ちが募る。
「……母さん、ウチの地下にこんなものがあるって知ってたの?」
真希は努めて冷静に訊ねた。
「まさかねぇ、坊ちゃん、サンダーバードじゃあるまいし」
伝が茶々を入れ、場を和ませようとする。でも、何か思い詰めたような光代の表情に、普段の大らかさは無い。
「ここまでと思わなかった。でも、地下に施設が有る事くらいは……」
「オヤジについちゃ、何処まで知ってる?」
「坊ちゃん、今、それを聞かなくても」
「今だから聞くんだろ! 散々ごまかされたけど、品川でオヤジが化け物になったのは、本当じゃないか」
真希の怒鳴り声に怯え、隣の七海が身を竦ませる。
「黒いノッペラボーの夢にも、俺の知らない意味があるんだよな?」
「それは、ガンテツさんに聞いた方が」
「オヤジにも後で聞く。でも、今は母さんの話が聞きたいんだ」
口ごもる伝を制し、光代は微笑んだ。
「伝さん、もう良い」
「……でも」
「はっきりさせましょう。私には、あんまり時間が無いし」
「時間が無い? それ、どういう意味?」
真希の問いには答えず、光代が静かに七海を見つめる。
「来宮七海さん」
いきなり名を呼ばれ、七海は目を丸くした。
「私は昔、あなたにとても良く似た人を知っていました」
「……ナナさん、ですね」
「私たちが東京オリンピックの開会式を観に行った日、彼女は大鋼人と一緒に現れた。そして、後を追うように現れた怪物・大鋼獣と戦って傷ついたの」
「大鋼人と? それじゃ、テレビで言ってた侵略者じゃん?」
「いいえ、ナナさんは、とても大きな使命を持って、この国に来た人」
「何処から?」
「光の輪の向こう側……それが何を意味しているのか、私にはわからない。でも、未来を守る為の戦いだと聞いたわ。大鋼人はその為の力。ナナさん、ガンテツと呼んでいた」
「……ガンテツ」
父のあだ名が、悪名高き巨人から来ていたのを知り、真希は絶句した。
「お父さんは、彼女を無条件で信じたの。そして一緒に過ごす内、二人の気持ちは近づいて」
光代の言葉が途中で途切れ、次に発せられた時は苦しげな響きを帯びている。
「私……私は、辛かった。その頃、もうお父さんが好きだったから」
俯く光代を、伝は美しいと思った。
女としての、母の顔を始めて見た真希は、戸惑い、視線を逸らす。
静寂がシェルターを包んだ。
外の放火も何時しか聞こえなくなり、周囲の小型VFさえ動きを止めて、頭部のカメラアイをそっと人間達へ向けている。
「七海さん、これを見て」
光代は、札入れから一枚の古い白黒写真を取り出した。
背景は夕方の銀座だろうか?
当時流行りのワンピースを着た光代が少々軽薄そうな20代の男性と並んでおり、その隣、イガグリ頭の若き轍冶が薄いコートを羽織った女性と一緒に写っている。
七海は、驚きと恐怖に凍りついた。
無理も無い。写真の女は容姿のみならず、年齢から背格好まで七海そのものなのだ。
「わかるでしょ? 似てるなんて言うレベルじゃない」
伝と真希も、その写真を覗き込み、何度も七海と見比べた。
「あの……叔父様にも言いました。私はこの人と何の関係も無いって」
「それは、覚えていないだけかも」
光代の指摘は彼女らしからぬ鋭さを秘め、七海に突き刺さる。
「お父さんは、あなたがナナさんの遠い血縁だと考えているみたい。でも、私は違う。七海さん、私、あなたこそナナさん本人じゃないかと思っています」
「……え?」
「あの時、傷ついた大鋼人は根黒島の地下へ潜って、消息を絶った。でも、ナナさんがどうなったかは、良くわからなかったの。生死不明のまま、捜索も打ち切られた。
だから何処かで生き延び、記憶を失った別人になって、私達家族の前に現れたんじゃないかと」
「……でも、そのナナって人、オヤジと同じ年頃なんだろ?」
「そう、見えたわ」
「だったら七海ちゃんじゃない。こんなに若い筈、ないじゃん」
「普通の人なら、確かにそう」
「彼女が普通じゃないって言うの?」
「少なくともナナさんは普通じゃなかった。見た目は人の形をしているけれど、本質は大鋼人と同じ、科学の力で造られた存在なのだと、彼女自身が打ち明けてくれた」
「……作られた存在」
ポツリと七海が呟く。
彼女の中で過去の記憶がぼやけ、否定したくても否定しきれない疑惑の波紋が広がり始めている。
同時に意識が乱れていた。品川で路上を流離った時の、不確かな精神状態に七海は近づきつつある。
「真希、お父さんが持っている不思議な力も元はナナさんから貰った物なのよ」
「じゃ、姉貴は親父から受け継いだ訳?」
母が頷くと同時に、真希は力なく椅子へ座りこんだ。だとすれば当然、自分にも流れている筈だ。ナナから始まり、大鋼人=ガンテツとも共通する異形の血が。
「私……私は来宮七海。お父さんはインドにいて、お母さんも……」
口中で独り言を繰り返していた七海が、不意に立ち上がり、シェルターの扉から外へ飛び出した。
「七海ちゃん!?」
慌てて真希も後を追う。
光代と伝、二人きりで取り残されたシェルターの静寂は、一層重く感じられた。
「……まだ話の途中なのに、私、言い方を間違えたかしら、伝さん」
光代に問いかけられても、伝には返す言葉が見つからない。
「昔からの悪い癖。大事な時には、いつも間違う」
遠い眼差しで虚空を見上げ、光代は寂しげな微笑を浮かべる。
闇の中をどれくらい走ったのだろう?
来宮七海は息を切らし、前方へ緩い曲線を描く通路の壁に凭れた。
父の顔が思い出せない。母も、金浜高校へ転校する前に仲が良かった友達の笑顔も、混濁した意識の中に溶けていく。
「苦しいか? 偽りの記憶を失う事が」
物陰に潜んでいた男が、ゆっくりと七海の前へ姿を見せた。
「俺にも覚えがあるよ。足元が崩れて、何処までも落ちていく感覚」
「……あなた、誰?」
「強いて言うなら、君の保護者という所だ、来宮七海さん」
パイロットスーツに身を包んだ男は、目尻に温厚そうな皺を三つ浮かべた。
「今の君の記憶や性格は俺の仲間が作り、本来の意識に上書きした。住処や転校の世話をしたのも、そうだ。黒岩家へ接近させ、ある重要な使命を果たしてもらう為に」
「……使命?」
「先程、黒岩光代が語った『ナナ』本来の使命とは違うよ。むしろ、それとは正反対の役割と言える」
「聞いていたんですか、私達の話?」
阪田由久は、通路の壁に設けられた情報端末に己の指先をかざす。
すると瞬時に黒く変色した指先は細長い触手状に伸び、端子部分へ挿入されて、青白い火花を散らした。
「これで、この端末と同一ライン上にある監視カメラやマイクの情報を、俺は拾える」
「……あ、あなたも、人間じゃないの?」
目の前の男に対する淡い既視感と、薄れゆく記憶にすがりつきたい感情が、七海の中で漂い、揺れる。
「心配ない。一度、現実を受け入れれば、後は楽になる」
優しく七海へ語りかける阪田に、誰かが背後から駆け寄り、殴りかかった。
「七海ちゃんは渡さない!」
鮮やかにかわされ、床へ転がった真希は、阪田が端子から抜いた黒い触手へ激しい怒りの眼差しを向ける。
「……阪田さん、いや、阪田!」
「真希君、久しぶりだな」
「その薄気味悪い指、俺は知ってる。何度もリプレイした悪夢の中で、しつこく俺の腕へ絡みついた奴だ」
阪田は平然と真希を見返し、触手を掌の形へ戻す。
「あれは本当に起きた事なんだな? 俺を追いかけてきたノッペラボ~、あれ、アンタなんだろ?」
「だったら、どうした?」
「こっちが聞きたいよ。七海ちゃんをどうする気だ?」
答えを待たず、真希はガムシャラに阪田へ挑み、その度に殴り倒された。
「美貴姉まで騙しやがって!」
ほんの一瞬、阪田は怯む。
「バカで、短気でメチャクチャだけど、あんな優しい姉貴、他にいねぇんだぞ!」
唇から血を流し、傷だらけで、真希は姉の恋人を睨んだ。
「……ああ、知ってる」
阪田のその小さな呟きは、真希には聞こえていない。顎の先を素早く蹴り上げられ、完全に意識を失ったのだ。
「行こう、七海。ガンテツの元へ」
捨て身で自分を救おうとした少年に駆け寄り、七海はその髪を撫でた。
「……ゴメン。真希君、ゴメンね」
「急げ。今の君の感傷は、所詮、一時の幻に過ぎない」
先を行く阪田を追い、ふと七海は思った。
今の記憶や感情が消えてしまうだけの幻だとしたら、何でこの人の背中は、こんなにも寂しげに見えるのだろう?
読んで頂き、ありがとうございます。




